15. 預言書の閲覧

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15. 預言書の閲覧

 預言書の閲覧室は、三つある。  貴族向けとなっている部屋の前まで来ると、年配の神官が待っていた。衣が白いのは同じだが、他の神官に比べると装束が立派なので、高位だろうと想像がつく。  白い丸帽子の下は、灰まじりの金髪で、穏やかにほほ笑む顔には、笑い(じわ)がくっきりきざまれている。感じが良い人だ。ケープのような白い布には金糸で模様が描かれ、のりのきいた白いローブは裾が長い。襟には、アメジストのブローチがあった。 「ディルレクシア様、お待ちしておりました。どうぞ、中へ」  男にうながされるまま、僕は閲覧室に入る。  最初に目についたのは、中央に置かれた書見台と椅子だ。書見台は木箱を斜めに切って、立て掛けたような造りで、飾り彫りもこっている。椅子はビロード張りで、クッションつきだ。  部屋には、上のほうに細長い換気用の窓があるだけで、天井にもうけられた魔導具の明かりが照らしている。  僕とタルボ、年配の神官という三人だけになると、神官があいさつをした。 「初めまして、ディル様。私はシーデスブリーク王国の〈楽園〉を統括しております、ベイジル・ノル・マークスと申します」  ベイジルがそう言ってお辞儀をしたので、僕はぎょっとした。 「ご存じなんですか?」 「ええ。タルボとレフから報告は受けておりますよ。統括とは、〈楽園〉の最高責任者です。私が知っていなくては、何かあった時に、あなたを守れませんからね」  ベイジルの言う通りだ。タルボとレフが彼に相談するのはもっともだった。  僕は頷くと、ベイジルに問う。 「ベイジル様、ミドルネームのノルとはどういう意味ですか?」  気のせいか、ベイジルの笑顔が引きつった。 「神官は、神官という身分ですから、宣誓式の後に、全てノルを名乗ります。聞いてはおりましたが、あなたにそんなに丁寧にされると、背筋がゾクゾクいたしますね」 「ディルレクシアは、最高責任者にまでひどい態度を?」 「あの方の生母は、ディルレクシア様を神殿に預けると、早々に家に戻ってしまいました。家に帰りたがっていたディルレクシア様が気の毒で、少々、甘やかしすぎたのかもしれません」  ディルレクシアが幼い頃は、ベイジルが教育係をしていたのだという。 「どんなに恵まれていても、本当に欲しいものは手に入らない。ディルレクシア様が冷めた目でそうおっしゃった時、我々では駄目なのだとやっと理解しました。あの方はただ家族といたかったんですよ」 「そうなんですか……」  ディルレクシアの境遇に、僕は同情を抱く。 「でも、だからって、周りへの態度がひどすぎます」 「その顔で正論を言われますと、戸惑いますな」  ベイジルは苦笑する。彼も僕の反論を、否定はしなかった。 「それはそうと、私がこちらに伺いましたのは、ノール神からあなた様へ向けられたと思われる預言が下されたからです。内容は秘匿すべきと思い、別に保管することに」  ベイジルは、書見台に置かれた一枚の羊皮紙を示す。 「神様から、僕に?」 「ええ。こんなことはめったとございません」 「まさかあの適当なお祈りが通じたっていうわけじゃ……」 「何かなさったんですか?」  僕は神に、ディルレクシアが無事か知りたいと祈ったことを伝える。時間を訊かれたので教えると、ベイジルはほうっと息をつく。 「まさしくその後ですね、預言があったのは。ノール神様も、使徒の問いならお答えくださることがおありなのか……。いや、今回だけでしょうかね。他の世界の人間と入れ替えるなど、初めて聞きましたから」 「その預言、確認しても構いませんか?」 「ええ、そうしてください」  そして僕は、ベイジルとタルボに見守られたまま、書見台の椅子に座った。  預言書にはこう書かれている。 『憐れなる使徒ディルレクシア。  かの使徒は、自由を望み、常に世を憂う。  また、不幸にも死した、別世界のディルレクシアが二人。  第二の世界の一人は天命ゆえに天へいたるも、第三の世界の一人は天命には早い。  我は一考した。  第二と第三の定めを入れ替えた後、  我は使徒ディルレクシアの魂を、空となった肉体のある第二の世界へ送ることとした。  しかして、第三の世界の一人は、使徒と魂を入れ替える。  我の望みは、使徒ディルレクシアの望みを叶えること。  第三の世界の一人よ、  死を望んだそなたには、代償として、使徒の栄華を与える。  この世界で、愛と繁栄を思うままに享受(きょうじゅ)せよ。(いと)()よ』  僕は全文に目を通した後、三回読み返した。  恐る恐る顔を上げる。 「つまり、ベイジル様。この入れ替わりも、ディルレクシアのわがままが原因だ……と」 「神とはままならぬもの。ディルレクシア様は、神子(みこ)であったのかもしれませんね」 「そうすると、子どもがかわいそうだから、お願いを聞いてあげた親馬鹿みたいに聞こえますけど?」  僕が確認すると、ベイジルは気まずそうに目をそらす。 「我らには神の御心は分かりませぬが、あなた様がディルレクシア様のことで心を痛めておいでだったので、このような一大事をなさったのでは」 「その点は感謝しますけど、つまりディルレクシアのお願いを叶えた結果が、僕がここにいるってことですよね」 「………………………………まあ、そうですね」  深い沈黙の後、ベイジルは頷いた。あきらめ顔で、遠い目をしている。 「ほとんどのオメガは、何不自由ない生活でのびのびと育ち、幸せに巣立っていきます。ディルレクシア様のような方が珍しいのですよ」  年に二度、夏至(げし)冬至(とうじ)に神殿で祭りを開き、発情期ではないオメガが参列する。信徒への顔見せもあるが、その際に馬車で国内を見せ、いかにオメガが恵まれているかを教えるのだそうだ。 「もし恵まれない状況の民を助けたいと思うなら、予算で事業を起こすとか、夫と共に福祉を行うとか、そういう方法があると教えます。自発的にそうされることも。ですが、ディルレクシア様は、誰かを助けることではなく、自由のほうに価値を置いていました。それでいて、オメガが外で生きていくのは無理だとも理解されておりました」  ベイジルの言葉に、タルボが続く。 「ええ。そして鬱屈した思いを抱えて、あんなひねくれた性格になったのですね。ですから恐らく、ノール神様は、オメガなりに自由に生きられる世界のディルレクシア様と、魂を入れ替えたのではないかと思います」  タルボはすでに預言書を読んでいたのだろう。なんとも言えない微妙な面持ちをしている。  ディルレクシアの尻ぬぐいをさせられているようで、僕の胸にもやっとしたものが浮かぶ。だが、ディルレクシアもまた、別世界にいる誰かの人生を続けていくのだ。その苦労は、お互い様だろう。  怒りよりも、他人のふりをして生きていかねばならないことに、絶望を抱く。 「僕はディルレクシアではなく、ディルです。新しく生きるにしたって、せめて自分の名前で呼ばれたい」 「では、病気をしての厄払いとこじつけて、改名しましょうか」  ベイジルがあっさりと言ってのけたので、僕は驚いた。 「いいんですか?」 「もちろん。オメガの意向が最優先です」  それが僕にも適用されるというのが、僕には不思議に聞こえる。 「ディルレクシア様が他の世界に旅立たれた今、私の前にいらっしゃるディル様をお守りしたいのです。前の世界で大変な目にあわれたとうかがっております。あなたの再出発を応援させてはいただけませんか」  ベイジルは真摯に話しかける。彼の淡い青の目が、うっすらと涙ぐんでいることに、僕は初めて気が付いた。 (そうか、過保護に育てたディルレクシアが、この世界を嫌って、他の世界に行ったんだ。親代わりの彼にとってもつらいことだろうな)  親の心、子知らず。ベイジルの想いは、ディルレクシアにはまったく届かなかった。  ディルレクシアはトゲだけ残して、去った。  僕は家族からは道具扱いされて、愛を感じたことがない。ベイジルならば、家族愛を教えてくれるだろうか。 「それでは、ベイジル様。僕はあなたをここでの父と思って、頼りにしてもよろしいでしょうか」 「…………は、」  ベイジルは中途半端に息を吐き、驚きをあらわにする。 「教育係の責務も果たせなかった、この老体を親と思っていただけるのですか? それはあまりにも、私に都合が良いのでは」 「僕は前の世界で、家族の愛を感じたことがありません。帰りたいと思った時に、思い浮かべられる人がいて欲しいのです。そこがどこだろうと、きっと『家』なのではないでしょうか」 「あなたが結婚して家を作るのではなく……?」 「夫婦喧嘩をすると、『実家に帰ります』と言うのでしょう?」  僕とベイジルはそろって首を傾げ、たまりかねたタルボが笑いだした。 「ぶっ。あはははは! ディル様には驚かされます。統括は人格者ですが、古狸ですよ。それがこんな……ただの田舎の親父みたいじゃないですか」 「誰が古狸だね、タルボ」  タルボの失礼すぎる言葉に、ベイジルがギロリとにらむ。それから気を取り直し、ベイジルはまとめる。 「ええと、つまりですな。一つ、改名。二つ、私があなた様の親代わりとなる……ですね。他には? ああ、今、思いつかなくても、後からでも大丈夫ですよ」 「今のところ、ありません。ここでは本当に自由に過ごさせていただいていますから」  僕の返事に、ベイジルが顔をしかめる。 「では、さっそく親として注意しますね、ディル。その言い方では、居候(いそうろう)していて肩身が狭いというように聞こえます。これからは、〈楽園〉が本当の家だと思って、気を緩めるように」  ベイジルは様とつけるのをやめて、少しだけ砕けた口調で言った。  それもそうだと思い、僕は頷いた。 「はい! 今日のところは、これで帰ります。今度、食事をご一緒してくださいね、お父様」 「おと……!」  ベイジルは衝撃を受け、顔を真っ赤にして固まった。 「あ。いきなりは馴れ馴れしいですよね、すみませ……」 「いえ! そんなことは! まったくありません!」 「うわ、びっくりした」  ベイジルが大声で否定するので、僕はビクリとする。 「スケジュールを確認して、連絡します。タルボ、好きな料理について、後で連絡しなさい」 「かしこまりました、統括」  タルボは返事をして、薔薇棟に帰ろうと僕をうながす。  そして廊下を歩きながら、タルボは愉快そうに笑う。 「ふふふ。統括が父親でしたら、私が義理の兄になりますね」 「……どういうことです?」 「ああ、そうでした、ご存じありませんよね。実は統括は、私の実父です」  あっさりと教えられた事実に、僕はあんぐりと口を開く。 「ちなみに私は母親似でして」 「いえ、言われてみると、どことなく似ていますよ」  さっきみたいに、大声で強調するところとか、親身に世話を焼くところとか。  もしかしてディルレクシアの傍仕えになったのは、親から引き継いだのだろうかと考えた時、タルボが見透かしたみたいに言った。 「コネじゃないですからね。神官は結婚できますが、血縁でのひいきは一切できないようになっています」 「す、すみません……」  僕は首をすくめる。  タルボはベイジルを古狸と言っていたが、タルボも狸だと思う。
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