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18. 文官と二度目の面会
アルフレッドが婚約者候補でなくなって、もっともうれしいのが、図書室へ出入りしたところで鉢合わせにならずに済むことだ。
タルボが言うには、アカシアは婚約者候補を決めていないから、輿入れが決まっているオメガの結婚相手が出入りする程度だという。
図書室は公共空間なのに、僕が独り占めしているような状況だ。
(ぜいたくだなあ)
日差しが直接当たらない、明るい閲覧席に陣取り、僕は図書室の静けさを味わう。地理のコーナーに、レイブン伯爵領や北部の森についてまとめているものを見つけたから、何冊か運んできた。
たとえ、横に置かれたカートに、婚約申し入れ書の山があろうと、僕は気にしない。タルボがちらちら見るのだけが妙に気になるだけだ。
「ディル様、次はこちらをどうぞ」
地理の本ではなく、婚約申し入れ書を渡されて、僕は首を振る。
「タルボ、読みたくありませんっ」
「結構な美男子ですよ。売れっ子俳優です」
「俳優……?」
好奇心に負けて、冊子を開く。金髪碧眼のキラキラしい男の写真があった。きざったらしい甘い顔立ちは、人気の俳優というだけはある。
「タルボ、この人のファンなんですか?」
「いいえ」
違うのか。
思わず、僕はじと目になる。
「ディル様のお好みの顔はどんな感じかなと思いまして。とりあえず十人並べてみるので、どれが好みか教えてください。ほら、遊びと思って」
「本を読みたいのに、傍仕えが邪魔する……」
小声での僕の抗議は、タルボに訊かなかったふりをされた。有無を言わせぬにこにこ笑顔を前に、僕は敗北をさとった。
「うーん、そう言われても……」
前の世界では、意味深な視線一つで周りに邪推されて窮地におちいるため、社交の場では常に内心をさとられない笑顔で武装していなければいけなかった。顔が良いからって見とれる真似をしたら、家族に叱責される。
(だいたい、家の利益になるから良い人みたいな感じだったしなあ。それに顔が良いからって、美人なわけじゃないし)
性格は顔ににじみ出る。どれだけ美しくとも、心根が悪ければ、毒花のようにゾッとする雰囲気があった。
「この中でしょう? 写真だけなら、この人かな?」
茶色い髪と目をした、笑顔が優しい美男子だ。
「ディルレクシア様、趣味が悪いですねえ。この男は、男娼通いにはまって、窮地に陥っているんですよ」
「ひっ」
思いがけず夜色の青年がひょっこりと顔を出したので、僕は心臓が止まるかと思った。
婚約者候補の一人、ネルヴィス・ロア・フェルナンドだ。合わせと思われる灰色の外套とトラウザーズ、白いシャツと淡い青のジレを着ていて、びらびらのクラバットをつけていた。
こんなびらびらしたクラバットは似合う者を選ぶものだが、優美な容姿をしているネルヴィスにはしっくりきている。
「どうしてフェルナンド様がそんなことをご存じなんですか?」
「…………………………………………」
僕が問うと、ネルヴィスの深い沈黙が落ちた。吐き気がすると言わんばかりに、盛大に顔をひそめられる。
「フェルナンド様! やめてくださいよ、気持ち悪い。初対面からネルヴィスなんて長いから、ネルとヴィスとどっちが良い? と訊いておいて。私がねじじゃないんだからヴィスなんてやめろと言ったら、ヴィス呼びし始めたのはどこのどなたでしたっけ?」
僕は助けを求めて、タルボを凝視する。
(本当に?)
タルボは口だけ動かして、「本当です」と答えた。僕はディルレクシアを恨めしく思いながら、気まずさで目をそらす。
「ええーと、その節は大変失礼しました。これからはネルヴィスと呼びますね」
「病気をされてから、本当におかしいですね」
ネルヴィスは疑いを込めて、こちらを観察する。僕は視線から逃れようと、先ほどの男の写真を示す。
「この人のこと、なんで知ってるんですか?」
「各貴族や有力者の弱みになりそうなことは、知ってるに決まってるじゃないですか」
そうなの!? 決まってるの?
父親が宰相なだけあって、情報収集能力が高いようだ。恐ろしい。
「この中だと、この男が一番おすすめですね。派手な顔のわりに、小心者で気が優しいんですよ。しかし、王子殿下を狂わせたと思えば、もう次の獲物を狙うとは。さすがはディルレクシア様、フットワークが軽くていらっしゃる」
トゲのあることを言って、ネルヴィスは口端を吊り上げて笑う。
(浮気性だとからかっているのかなあ)
ネルヴィスの嫌味の意味をつかめず、僕はきょとんと瞬きをする。
これにはタルボが怒った。
「私が婚約申し入れ書を見るように言っただけです! ディル様に失礼ですよ」
「ほう、ディル様ですか。傍仕えとそこまで親しくなったのですか」
「この方は、厄払いでディルと改名される予定なので、そうお呼び申し上げているのですよ。うがってとらえるのはおやめなさい」
「改名ですか。それは存じませんで、失礼しました」
ネルヴィスはあっさりと非を認めて謝る。
僕はこくりと頷くと、わずかに首を傾げた。
「それは構いませんが、今日はいったいどんなご用件ですか? お約束はなかったと思いますが」
「ええ、ディル様。先日以降は、予定は全て空白ですよ」
「そうなんですか? レイブン卿と会うつもりかと思っておりました」
ネルヴィスは意外そうに言った。
「受付で面会申請をしましたが、今回はご機嫌伺いに参りました。先日、第三王子が騒ぎを起こしたので、様子を見にまいった次第です」
この言葉に、僕は警戒を抱く。
レイブン領の本を一冊だけ持つと、僕は椅子を立った。誰が聞いていると知れない図書室で話すには、ふさわしくない内容だ。
「薔薇棟でお茶にしましょう。タルボ、その本は後で部屋に届けさせてください」
「かしこまりました」
タルボは司書を呼んで言づけると、僕の傍に控えて、一緒に薔薇棟に向かう。ネルヴィスが来ないので、僕は振り返った。
「あなたをお茶に誘ったつもりですが」
「そういう意味でしたか。ディルレクシア様にお茶を誘われるなんて初めてでしたから、気付きませんでした」
「そ、そうですか」
僕はパッと前を向いてから、苦笑いを浮かべる。
(ディルレクシア、寝所には引っ張り込んでおいて、お茶はしないって順番がおかしいでしょう)
本当に彼は、やばすぎる問題児だ。
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