23. 稽古の約束

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23. 稽古の約束

 その日は、柔軟運動をすると、木剣の持ち方を教わった。  シオンは丁寧に説明する。 「ディル様、剣は右手で持って、左手は添えて手助けするような形なんですよ。ですから、鍛えると、利き腕のほうに筋肉がついて太くなるんです」  そういえば、前の世界で剣を教えてくれた教師も、似たようなことを言っていた。 「シオンもそうなんですか?」 「ええ、ほら、この通り」  シオンは両腕を持ち上げて見せたが、シャツの袖があるのでよく分からない。 「触ってみてもいいですか?」 「どうぞ」  僕は両手でつかむようにして、シオンの腕に触れる。彼の言う通り、右腕のほうが太く、筋肉がついて引き締まっている。 「本当ですね!」  違いが分かったことが面白くて、僕は明るい声を出す。 「それで、持ち方なんですが、こういう形ですね」  シオンが実演してくれたので、僕は続いて木剣を持つ。 「そうそう、筋が良いですよ。こんな風に持ちます」  シオンは僕の手の上から手を握って、持ち方を微妙に修正する。特に他意は無いだろうが、シオンの体が密着して、僕は少し緊張した。 (大きな手だなあ)  シオンの手は、自分の細く小さな手をすっぽり覆ってしまう。剣を使ううちにマメがつぶれて皮が厚くなったのか、添えられた手の平がかたく感じられた。手の甲に細かい傷を見つけ、思わずじっと見つめる。 「あ、これは見苦しいものをお見せしました。手袋を付けましょう」  僕が何を見ているか気づいたシオンは、トラウザーズのポケットに押し込んでいた手袋を引っ張り出す。 「別にそういうつもりでは。その怪我は魔獣のせいですか?」 「それもありますし、稽古や任務でついたものもありますよ。大怪我でしたら神官に治癒を願いますが、小さなものまでお願いするわけにまいりませんから」 「治癒魔法は万能ではないそうですし、あまり他用すると、自己治癒力が衰えるからですか?」 「いえ、神官様は治癒魔法を使いすぎると体力を消耗しますから。騎士団に常駐されている方でも、大怪我以外は、医術での治療がメインなんですよ」  僕がタルボのほうを見ると、タルボはその通りだという様子で頷いた。僕はシオンの手をまじまじと眺める。 「この小さな傷に、シオンの努力と人生が詰まっているんですね」  こちらの世界のシオンは、これまでどんなふうに生きてきたんだろうか。  僕はぼんやりと、シオンの傷痕を手で撫でて考え込む。 「あの……ディル様」 「はい?」  顔を上げた僕は、赤面するシオンを見つけた。 「照れますので、そろそろよろしいでしょうか」 「ハッ! す、すみませんっ」  考え事をしていて、シオンの手を撫でまわすという変態じみたことをしていることに、ようやく気付く。  僕は恥ずかしくなって赤くなったが、シオンはくすりと微笑んだ。 「ありがとうございます、ディル様。レイブン卿ならば、騎士団を率いて、先頭に立って魔獣と戦うのが当たり前だと、誰も気に留めません。私の傷痕に、努力と時間を見てくださったのは、あなたが初めてです」 「い、いえっ、そんなっ」  お礼を言われてしまった。僕は慌てて首を振り、ちょっと落ち込んで謝る。 「それならば謝らなくてはいけません。アルファは僕と違って体格が良くて、立派で良いなあなんて思ってしまいました」 「…………え」 「え?」  シオンは急に硬直し、僕とシオンの間合いを目ではかって、慌てて飛びのいた。 「これは失礼しました! 距離をわきまえず!」 「どうしたんですか、急に?」 「……いえ」 「?」  何が「いえ」なんだか謎だが、シオンは耳まで赤くして、気まずそうに視線をそらす。 「あの、謝らなくて結構ですので。その……稽古の続きをしましょうか」  だいぶ無理矢理な気のする話題転換をするシオンだったが、僕はありがたく乗っかった。  結局、今日は素振りを十回で、稽古を切り上げることになった。  剣術の稽古なら、前の世界でもしていたから、実はシオンに教わるまでもない。  稽古をつけてほしいというのは、僕にとっては会話のきっかけだ。  この世界のシオンのことを、プロフィール以外で何も知らない。例え同じ人に見えても、違う人だと自分に言い聞かせて、よく知る努力をしようと考えた。 「もうやめるんですか?」  僕が少し不満を見せると、シオンは気遣いのこもった苦笑を浮かべる。 「病み上がりに無理をすると良くありませんから、少しずつまいりましょう」 「そうですね、すみません」  僕が謝ると、シオンは以前のように目を見張り、心配そうにする。 「最近はお元気が無いようですが、大丈夫ですか?」  僕が素直に謝ったから、健康を疑われている!  相変わらず、ディルレクシアのやばさを痛感する。  僕は慌てて笑顔を取り繕った。 「ええ、問題ありませんので!」 「そういえば、お伝えしたかったのですが、ディル様。私に敬語など不要ですよ」  この間、ネルヴィスともしたやりとりだ。 「シオンがやめたら、やめますよ?」 「無理だと分かっていておっしゃってますね。しかたありませんね……」  僕の返事を聞いて、シオンはすぐに諦めた。ふうと息をついて、前髪を左手でくしゃりとかき上げる。少し不服そうに見えた。 「シオンはこれから用事がありますか?」 「いえ、何も」 「お茶をしませんか」 「よろしいんですか?」 「はい。この間、ネルヴィスともお茶をしたところなので」  他の婚約者候補とお茶をしたから、公平にというわけではないが、なんとなく口から言い訳で出てきた。 「フェルナンド卿ですか。そういえば、私の所にもいらっしゃいましたよ」 「あの件の調査でしょうか。あの方、意外とマメなんですね」 「…………」  僕はただ思ったことを呟いただけだが、シオンは表情を曇らせる。 「フェルナンド卿は、真面目に婚約者候補に残ると聞きました。ディル様はやはり、ああいった方のほうがお好きなんでしょうか」 「うーん」  僕は首を傾げる。 「正直、好きでも嫌いでもありませんね。意地悪な人だなあとは思いますが」 「意地悪?」 「あっ、だからってシオンまで意地悪しないでくださいよ。優しいあなたのほうが好きです」  僕がそう返すと、シオンは真顔になった。 「もしかして私は今、手の平で転がされているんでしょうか……」 「え?」 「……いえ」  またよく分からない「いえ」を返すシオン。 「とりあえず、僕はシオンとネルヴィスのことをよく知らないので、気が合うかどうか、もう少しよく知りたいと思っています」  僕が考えを話すと、シオンは驚きを見せる。 「では、結婚相手として吟味くださっているのですか?」 「吟味って、そのような言い方は……」 「大事なことです。他にも婚約者候補を作られるおつもりだと思っていたので」 「今のところは、他は考えていませんよ。あの、でも、気が合わない方とは結婚生活なんて送れませんから……」  シオンの状況だけに、期待させると忍びない。僕はしどろもどろに言って、そろりそろりとタルボのほうに下がる。  僕がひるんでいるのに気づいて、シオンは距離をとって畏まった。 「失礼しました、あんまり驚いたもので。少なくとも、これまでのディル様からは、気まぐれにペットを可愛がる程度の好意しか感じられなかったもので」  正直な人だなあと、僕はいっそ感心した。 (ディルレクシアの態度の悪さが、目に浮かぶようだよ)  まさかのペット扱いとは。僕はうんざりした。 「良い候補がいたら、傍仕えとしてはおすすめしますけどね」  タルボがしれっと口を挟む。  ここで話を混ぜ返すのはやめてほしい。 「タルボ」 「申し訳ありません、ディル様」  僕がとがめると、タルボは慇懃に礼をする。 (絶対に悪いと思っていないでしょう、タルボ)  数日の付き合いだが、だんだん分かってきた。 「とりあえず、あの……お茶にしましょう」 「はい」  僕は薔薇棟の中へと足を進める。  いったん汗を流して着替えることにして、シオンには客室を使うようにすすめた。  その後、なんとなく気まずく思いながら、僕はシオンとお茶をした。分かったのは、彼がベリーパイを好むことだった。  夕方に来る時は、一緒に夕食をとろうと約束をすると、僕はシオンを見送った。
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