01. 終わりのはずの、その先

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01. 終わりのはずの、その先

 そう、これで終わりのはずだった。  まぶしさに目を開けた僕が最初に思ったのは、生き残ったことへの絶望だった。 (死ねなかったのか……。次はどうやって死のう)  きっと見張りが厳しくなって、死にづらくなるだろう。困った。  そんなことを冷静に考えていると、視界に見知らぬ男が割り込んだ。  黒髪黒目。白い丸帽子と、足首まで届くワンピースに似た白い服。凡庸な顔立ちの男は、二十代半ばから後半くらいに見える。 「よ、良がっだでずぅー、ディルレクシアざま~。お熱が下がって、良かったですねえ」  男は泣きながら、まるで子どもにするみたいに、僕の頭を撫でる。 「……だれ?」 「ええっ、このタルボのことをお忘れですか? いくらなんでもひどいです。泣きますよ! あなたの一の傍仕えではございませんか」 「傍仕え……?」  なんのことやらさっぱり意味不明だ。 「まさか、高熱のせいで、記憶が? ああああ、お医者ざまああああ、私のディルレクシア様があああああ」  タルボはひどく取り乱し、大声で叫びながら部屋を出ていく。  僕はぽかんとそれを見送り、力の入らない腕でゆっくりと起き上がる。 (なんだ、ここ)  未来の王太子妃に与えられた薔薇の宮かと思っていたが、まったく見覚えのない部屋だ。  白大理石がふんだんに使われ、カーテンや天蓋布は青のビロードだ。家具は白い桐製の最高級品。  青色が好きな僕には、とても好みの配色だ。水色の差し色に黄色の糸で刺繍がされた長椅子なんて、目にも楽しい。  開け放たれた窓からは、なまぬるい風が吹き込んだ。 (暖かい……?)  不思議に思って窓辺に行くと、外には薔薇の庭園が広がっている。白と黄色の薔薇が満開だ。 「嘘……」  僕が自殺をこころみた時は、冬の初めだった。こんな春真っ盛りのはずがない。  もしかして自殺に失敗して、長く寝込んでいたとか? 「でもさっきの人、僕のことをディルレクシアって呼んだよね」  僕の名前は、ディル・ロア・サフィールだ。そんな仰々しい名前は、普通は長男にしかつけない。  タルボが戻ったら聞いてみようと部屋を振り返り、鏡が目にとまった。 「あれ? なんかちょっと……」  違和感を覚えて鏡に近づき、まじまじと見つめる。  カラスのような黒髪と、黄色みの強いこはく色の瞳だ。白くなめらかな肌をしていて、容姿は整っている。 (少し若い?)  記憶にあるよりも、年下に見える。  それに僕は王宮での気の抜けない生活に疲れていて、目の下にくまができていた。それを化粧で誤魔化していたのだ。  二十歳なのに、二十代半ばと勘違いされるくらい老け込んでいた。  それがどうだろうか、鏡の姿は十代に見える。 「ディルレクシア様、お医者様をお連れしましたよ。ああ、良かった! いつもの自分大好きディルレクシア様だー!」  タルボが心底ほっとした様子で言った。 「は……?」  自分大好き?  その指摘に、鏡をまじまじと見入っている行動を客観的に見たらそうなるのだと気付いて、僕は顔を赤くした。 「そんなんじゃありません!」 「ええっ、私などに敬語を使うなんて。やっぱりおかしい」  タルボは再び心配そうに眉を下げる。 「失礼します、ディルレクシア様」  ゆったりした動きでお辞儀をしたのは、灰髪の老人だ。白い衣服は簡素なつくりをしている。後ろには青年が鞄と木箱を持って控えていた。 「美しさを磨くのに余念がないのはわかりますが、ベッドにお戻りください。まだ熱があるのでしょう」 「……」  驚くことに、僕がナルシストなのが前提で話が進んでいる。 「あの……ディルレクシアとは?」 「あなた様のお名前でございますよ。ディルレクシア・エル・サフィール様」  僕はわずかに首を傾げる。  シーデスブリーク王国では、ミドルネームに家の爵位が入る決まりだ。結婚する前は実家の爵位、結婚後は夫の爵位を名乗る。  王族・デ、公爵・リデ、侯爵・ロア、伯爵・エル、子爵・シス、男爵・ソファだ。  僕は王太子妃予定だったが、まだ結婚前だったので、実家であるサフィール侯爵家の「ロア」がミドルネームだった。それが自殺した後に目が覚めたら、名前が変わって、家は伯爵に変わっている。 「もしかして、僕が王太子殿下から婚約破棄されたので、実家の家格が落とされて、僕は名前を変えたのでしょうか」  僕が質問すると、タルボと医者は顔を見合わせた。  医者は慎重に問う。 「私の名前は?」 「存じません、申し訳ありません」  目を伏せて謝り、再び視線を上げると、医者は豆鉄砲をくらった鳩みたいに、驚愕に固まっている。 「……あの?」 「レフじいじをお忘れになったと?」 「レフじいじ?」  僕が聞き返すと、タルボがじとっとした目で医者をにらんだ。 「どさくさにまぎれて、呼ばれたこともない希望名を、さも今まで呼ばれていたかのように言わないでくださいよ。ディルレクシア様が混乱なさるでしょう。ちなみにこの方のことを、あなたは『じじい』と呼んでいましたよ」  タルボの暴露に、僕は驚く。 「ありえません。目上の方にそんな口をきいては、牢に入れられますよ!」  僕は慌てた。オメガの地位は低いので、軽口一つで処罰を受けることがある。 「高熱のせいで記憶喪失になり、その影響で性格が変わったのか、それとも違う人格が顔を出したのか……。あの方、二重人格みたいに裏表がありましたからなあ、そういう可能性もあるのか? うーむ」  医者レフは困り果てて、うんうんとうなり始める。 「とりあえず、まずは体調を治しませんとな。あなたとじっくりお話ししたいのですが、よろしいでしょうか」 「それはもう、僕からもお願いいたします」  僕が丁寧に頭を下げると、レフとタルボが顔を引きつらせた。 「間違いなく別人じゃ。ディルレクシア様は他人に頭を下げることが、この世でもっとも大嫌いですからな」 「ご成長をお喜び申し上げたいところですが、恐ろしいですね」  どんな性格をしているんだろうか、ディルレクシア。  僕はいちまつの不安を覚えた。
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