02. 平行世界という仮説

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02. 平行世界という仮説

「オメガが最低地位……? しかも一方的にアルファに契約を破棄され、狂死(きょうし)したとおっしゃるのですか」 「そうなんです。僕はたしかに睡眠薬を酒で流し込んで、バルコニーから飛び降りたはずなんですよ」 「それで目が覚めたら、ここにいたと?」 「ええ。僕の名前はディル・ロア・サフィールといいます。外には薔薇が植えられていますし、もしやここは薔薇の宮では?」  レフと僕は質問しあう状況になっていた。  診察を受けた後、レフが僕に質問をしたので、僕は洗いざらい話した。自ら死のうとした僕には、失うものは何もない。むしろこうして生きていることが、面倒にすら感じられる。 「いいえ、ここは〈楽園(らくえん)〉ですよ」 「楽園? あなたがたは天使で、ここは死後の世界……というようには見えませんが」  僕が首を傾げると、レフはタルボの名を呼ぶ。 「タルボ、説明しておあげ」 「先生、面倒くさくなったんでしょ。いいですよ、一の傍仕えがご説明させていただきますとも。いったん失礼します」  タルボは部屋を出ていき、ややあって地図を抱えて戻ってきた。 「では、こちらをご覧ください。これがシーデスブリーク王国で、こちらがこの国の〈楽園〉ですね。ノール神殿の分所が、国ごとにあるのです」 「ノール神殿……。確か女性の保護活動に熱心だったと思いますが」 「ふむ。どうもところどころ名称は同じなのに、内容が異なるようですね。常識も」  厄介だと言いたげに、タルボは眉を寄せる。 「どう説明したものか。最初に申し上げておきますが、このノールフィールドでは、オメガは最高位に座しています」  ノールフィールドのことは分かる。世界神ノールが治めている世界の名だ。  だが、オメガが最高位という言葉には度肝を抜かれた。 「は? 最高位……? 一番上という意味ですか?」 「その通りです。順を追ってお話ししましょう」  レフとタルボはベッド脇の椅子に座り、僕に世界について語り始めた。  こちらの世界では、出生率が低い。女のほうが生まれにくいため、女は過保護に扱われている。  一方で、男は働くことが美徳とされたが、それでも人手が足りないため、魔導具により補ってきた。  それでも人口が減っていくと、とうとう世界神ノールが慈悲の手を差し出す。  それがオメガの存在だった。 「アルファ、ベータ、オメガという第二の性が、男にだけ現れたのです。男でも子をなせるというのは、神の奇跡――神秘そのものです。それゆえ、オメガが神の使徒として尊ばれています」 「待ってください、女性のオメガはいないのですか?」  僕は手を挙げて質問する。  タルボは頷いた。 「ええ。医者が調査していますが、今のところ男性のみですね」 「不思議な世界ですね。ところで、子どもを作れない女性やオメガ男性はどうなるのですか? 奴隷に?」 「奴隷! ああ、神よ、汚らわしい言葉を口にした私をお許しください」  突然、タルボは天に向けて祈った。 「あなたの世界は、なんて物騒なんでしょうか。子どもを作れなくても、女性とオメガは神秘そのもので、大事にされるべきなのです。そもそも、人間の数は少なく、命はとても重い。男は働くことが美徳とされてはいますが、蔑視(べっし)されているわけではございません」 「す、すみません……」  つい、自分が受けていたような扱いなのかと想像したが、タルボの怒りようではまったく違うようだ。 「それなら、僕は一人でもなんとか生きていけそうですね」  貴族だったので外で働いたことなどないが、人間扱いしてもらえるだけで大助かりだ。  パッと目の前が開けた気持ちでつぶやくと、タルボは大きな声を出した。 「それこそ! とんでもないことです!」 「うわ、びっくりした」  僕はびくっと身じろぎする。レフも目を丸くした。 「驚かすでない、タルボ。老人のか弱い心臓に負担をかける気か」 「あなたはしぶとくてらっしゃるでしょ?」 「なんだと!」  レフはタルボをにらむ。タルボはひょうひょうと受け流す。 「それよりも、ディル様。ええと、ディルレクシアではないほうのあなた様を、便宜上(べんぎじょう)、ディル様とお呼びしたいのですが、よろしいでしょうか」 「ええ」 「では、ディル様。オメガは神の遣わした宝です。ゆえに『至宝(しほう)のオメガ』と呼ばれております」 「至宝……!?」  前の世界と、天と地ほどの差のある呼ばれ方に、僕はぽかんと口を開ける。 「そうです。オメガを粗末に扱ってごらんなさい、ノール(しん)様からどんな災いがもたらされるか……考えただけでこのタルボ、めまいがいたします」 「そんな大げさな。神様が何をするっていうんです」 「もしかして、あなたの世界では、神は存在しないのですか?」 「え? ええ。概念……みたいな?」  なんといえばいいのだろうか。実在を誰も証明できない存在だ。  今度はレフが問う。 「では、治癒魔法はありますか?」 「魔法はありますけど、治癒なんてできませんよ。医学ならありますが」 「治癒魔法が存在しない世界など、ゾッとしますな……」  自分から質問しておきながら、レフはぶるりと身を震わせる。タルボも激しく同意しながら、話を続けた。 「よろしいですか、この世界には神が存在しています。そして、我ら神官に預言(よげん)を与え、治癒魔法をさずけるのです。治癒魔法を使えるのは、神官だけ。そのため、この世界では神殿の地位がもっとも高いのです。王も頭が上がりません」 「王様も? ええと、医学や薬学はないのですか」 「ありますが、神官が魔法を使ったほうが速いですし、確実ですね。貧民以外からは、もちろんお布施をいただきます。先生」 「失礼しますぞ、ディル様」  タルボに促され、レフが僕の額に手の平を当てた。その手から光があふれだし、額から僕の体を包みこんでいく。熱によるだるさが少し薄れた。 「これが治癒魔法ですか?」 「ええ。しかし、治癒魔法は万能ではありません。怪我には有効ですよ。手足を失っても再生できます。一方で、病気となると扱いが難しい。患者の体力を使うため、逆に死に追いやることもあります。ですから、薬学は必要です」  怪我には万能だが、病気には薬が必要ということらしい。 「手足を再生できるなんて、素晴らしいですね」 「死人を生き返らせることはできませんけどね」  レフは念のためにと付け足した。  こんな魔法を使えるから、神官は優位なのだろうと僕は納得する。どれだけ財産があろうと、最後に権力者が望むのは延命だ。神官がいれば死の危険が遠のくならば、とても無視できない。 「つまり、神殿に見捨てられたら、国が荒廃する……?」 「そうです。神殿に切り捨てられることは、この世界では死を意味します。ですからどの国も神殿を誘致するために、多額の寄付をします。そして我ら神官は、神の遣わしたオメガを保護しているのです。そして、オメガを保護している場所を〈楽園〉と呼んでいます」  タルボは説明する。  オメガは一歳ほどで母親ごと保護され、〈楽園〉で育つ。母親は十二歳まで共に暮らすことができるが、それ以降は夫のもとに戻る。寡婦(かふ)であれば、神殿から手厚い保護を受けて悠々と暮らす権利を得る。  オメガは安全のために、神殿を自由に出入りすることはできないが、蝶よ花よと育てられる。まるで王族の子どものように、食べ物や衣服を惜しむことなく与えられ、教育をほどこされる。 「私のような、傍仕えが共にいます。一の傍仕えというのは、側近のことですね」 「えーと、そんなことをして、神官になんの利益が?」 「ですから! 神の使いだと申しているでしょう。オメガにお仕えすることは、神官にとって徳を積む修行でもあります。ディルレクシア様はわがままで大変だったので、私の徳はだいぶ積まれたと思いますよ」  タルボはにやりとした。 「徳を積むと、どうなるんですか?」 「治癒魔法の能力が上がります」 「そんな分かりやすい恩恵があるのですか!?」  僕には驚きだった。治癒魔法があることも、神官の修行であることも、〈楽園〉でまさしく宝のごとく大事にされて育つオメガがいることも。 「オメガは大人になると、番候補を選ぶため、お見合いをします。もちろん、神殿が精査した相手のみですよ」 「お見合いですか? では、この体の持ち主には、すでに番が?」  僕は不安になった。アルフレッドにより受けた心の傷は深い。今はとても誰かに会う気分ではない。 「もしかして、タルボさんがそうなんですか?」 「まさか! 恐れ多いことです。アルファだろうと、神官は決してオメガとそのような仲になりません」  タルボがぶんぶんと激しく首を振る。  よくわからないルールがあるようだ。 「ディルレクシア様は好き嫌いが激しく、まだお見合いの途中です。候補は三人いらっしゃいますよ」 「それは小悪魔のごとき横暴さで、見合い相手をもてあそんでおいででしたぞ」  レフが補足した内容に、僕はさらに不安になった。  いったいディルレクシアとはどんな人物なんだろうか。ナルシストで、横暴。そこに小悪魔が追加された。 「結婚を望まず、〈楽園〉で一生を終えるオメガもいらっしゃいますが、ほとんどは外に憧れて出ていきます。番となった相手は、神殿の手厚い保護を受けるため、それは多くの方がオメガと結婚したいと願書を届け出ます。例え王だろうと、オメガの意思を無視して、オメガを番とすることはできません」 「王の命令による結婚がないのですか?」  これは朗報だが、とにかく神殿の地位が高いことが分かって、僕は驚くばかりだった。 「ええ。選ぶのは、オメガです。政治も、親兄弟の意見も、アルファやベータなどすらも関係ありません。オメガに幸福でいていただくことが、我らの徳なのです。そのために、早くから家族と切り離し、〈楽園〉で保護するのですよ」  どうしても生まれ育った環境に影響されるから、望まないにもかかわらず、家族の望みを優先させようとするオメガがいる。結婚後に不幸になり、その相手や周囲に天罰が落ちて、土地ごと荒廃することもあったと、タルボは言う。 「天罰は実際にあるのですね?」 「そうです。オメガをめとるほうも命がけです。一生涯かけてオメガを愛する自信がないのなら、かかわらないほうがいい。無駄な不幸をまき散らさないためにも、我らはオメガを保護します」 「なんだかとてつもない世界に来たようです……」  まさか自分の幸福度が周りに影響を与えるなんて。そんな人智を越えた存在は、「神の使い」といえる。 「その代わり、オメガの番相手は、神殿が後ろ盾につきます。例えば、末の王子や王女ならば王位につき、没落貴族ならば返り咲き、平民ならば貴族に昇格する。そんなふうに繁栄が与えられるのです」  最強の後ろ盾だ。命をかける見返りには十分だろう。  僕はとても申し訳ない気持ちになって、うつむく。 「申し訳ありません、タルボさん」 「どうして謝るのですか?」 「あなたの大事なディルレクシアさんの体を、僕が奪ったようなので」 「うーん、そうおっしゃられても、こんなことが起きるなど、誰に予想できるでしょうか。返せと言ったところで、あなたは戻れるんですか?」  タルボの冷静な問いかけに、僕はふるふると首を振る。 「いえ。だって僕は死ぬつもりだったので、目が覚めてむしろがっかりです。もし僕とディルレクシアさんが入れ替わったのだとしたら、彼は死んだのかもしれない」  その予想に、僕の目に涙が浮かんだ。 「ああ、僕は死んだ後も誰かに迷惑をかけるのですね。どうしてこんなことに……。ああ、そうだ。もう一度死ねば、戻るでしょうか?」  希望を見出して、僕は窓を見た。タルボとレフがさっと視界を遮る。 「いけません! 下手なことを考えないでください」 「そのまま死んだらどうするのですか。放っておいても戻るかもしれませんし、戻らなくても生きていくしかありません。人の身でどうにもならないのですから、きっとノール神の(おぼ)()しです!」  レフはきっぱり断言する。  僕は首を傾げる。 「神様のお考えだと?」 「ええ! 不幸なあなたの身の上をお嘆きになって、ノール神様があなたを呼び寄せたのかもしれない。もしかしたら、その時点でディルレクシア様は神の身元に旅立ったのかもしれない。それとも、他の誰かと入れ替わったのか」  レフの呟きに、タルボが付け足す。 「ああ、そうだ。平行世界という考えがあるのです。あなたの言うような、オメガの地位が低い世界もあれば、ここのように最上位の世界もある。魔法のない世界かもしれない。そちらの誰かと入れ替わった可能性もありますよ。神のみぞ知ることですが」  彼らにとっても訳がわからないことが起きたせいか、神様のせいにする発言を連発する。 「その……預言で分かったりしないのですか?」 「こちらから問うことはできませんが、後で預言部署に問い合わせしておきますね」  そんな部署があるのか。僕には不思議に聞こえた。
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