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03. 一週間が過ぎて
僕がディルレクシアとして目が覚めてから、一週間が経った。
どうやらディルレクシアは風邪をこじらせ、肺炎になりかけて高熱を出していたらしい。
起きたばかりの時は他に気にかかることがあったが、休んでいると胸に痛みがあった。薬を飲んでしばらく養生するうちに回復したものの、念入りに休むように言われ、やっと寝台を出てもいいとレフの許可が下りた。
「どうですか、ディル様。まだ死にたいお気持ちになられるでしょうか」
タルボの問いに、僕はゆるく首を振る。
「いえ」
アルフレッドの裏切りを思い出すと、正直、まだつらい。
だが、死にたいと思うほどではない。
「番契約を一方的に破棄された後は、喪失感がいっぱいできつかったです。発情期明けなんて最悪でした。耐えられずに死を選びましたが、ここで目が覚めてからはそれがありません。記憶は僕で、体はディルレクシアなんでしょうね」
「ディル様は何歳なのですか?」
「僕は二十歳です。この彼はもう少し若いですよね?」
「ええ、十七歳です。発情期は終わったばかりでしたから、二ヶ月半後ですよ」
タルボは帳面を取り出して、日程を確認してから教えてくれた。
「傍仕えというのは、発情期の管理もしているのですか?」
僕の場合は、薔薇の宮の侍女長が管理していた。
「そうです。ディルレクシア様は細かいことを覚えるのがお嫌いでしたからね。ああ、私はベータです。影響を受けませんので、ご安心ください」
タルボはにこりと微笑む。
「では、差し支えなければ、入浴と着替えの手伝いをさせていただきたいのですが」
「使用人を貸していただければ、それで構いませんが」
「お話ししましたでしょう? オメガは最も高貴だ、と。使用人風情がたやすく触れられるとお思いですか?」
この部屋で、他の使用人を見かけなかったのは理由があったのか。僕は今更気づいた。
「だからタルボさんとレフ先生が、僕の世話を?」
「秘密を知る者は、最低限が良いだろうと配慮してのことです。しかし一週間が過ぎても、お戻りになる様子がない。これからはディル様のままだと思って行動すべきでしょうね」
「すみません……」
「謝らないでください。神様の思し召しですよ。それから、私のことはタルボと呼び捨ててくださいね。正直、あなたの顔で丁寧にされると、背筋がぞわっとするんです」
気を遣っているのかと思えば、タルボの口元は引きつっている。僕は苦笑した。
「タルボと呼びますね」
「敬語も不要ですよ。もっと傍若無人に」
「いえ、それは無理です」
「分かりました。周りには病み上がりでしおらしいと言っておきます」
「…………」
いったいどれだけ不遜だったんだろうか、ディルレクシア。
不思議に思いながら、僕はタルボの手を借りて、入浴と着替えを済ませた。
「さすがは王太子妃教育を受けておられるだけあって、世話をされるのに慣れていらっしゃいますね。礼儀作法も完璧です。教養のほうはすりあわせをしないと、ボロが出そうですが」
「あの……もしよければ」
「はい」
「勉強しても?」
僕がおずおずと切り出すと、最後の仕上げに髪をとかしていたタルボの手から、ポロリと櫛が落ちた。
「ディルレクシア様がお勉強したいと!?」
それだけで、彼が勉強嫌いだと分かった。
「詩と古典が好きなんです。でも、オメガは社交さえしていれば、知恵などいらないと……」
「ひどい世界だ。でしたら、図書室にご案内しましょうか。病み上がりですし、外出するのはお体にこたえるかもしれませんしね」
衝撃から立ち直ったタルボは、にこりと提案する。
「図書室! 楽しみです。ところでディルレクシアさんは、なんのお勉強が好きだったのですか?」
「あの方は音楽の才に恵まれておいででしたよ。楽器と歌は天賦の才をお持ちです。それから、ダンスもお上手で」
「……僕の苦手分野ですね」
「試してみてはいかがですか? 案外、才を受け継いでいたりして」
「いえ、リズムに乗れないので、ダンスが下手なんです」
「つまり音痴ですか。ははは、社交はしなくても構わないので、気楽になさってください」
タルボはずばずばと指摘するが、まったく嫌味に感じさせないので、僕は傷ついたりしない。彼の声にはいつも親しみがこもっており、敬愛を感じられた。
それがディルレクシアへのものなのか、オメガという信仰対象へのものなのかは分からないが、前の世界の人達よりよっぽど優しい。
「ありがとう、タルボ」
「……はい? なんですか、突然」
「いえ、ディルレクシアの一の傍仕えがあなたで良かったなと思ったんです。あなたが明るくいてくれるから、僕の痛みはだいぶ薄れました」
僕がかすかに笑ったせいか、鏡に映るタルボが目を見張る。そして、タルボはほころぶような笑みを浮かべた。
「ディル様が優しい方で良かった。私はディルレクシア様のこともお好きなのですが、穏やかなあなたと過ごす時間も気に入っているんですよ」
「わがままで横暴なナルシストなんでしょう? どの辺が好きなんですか?」
純粋に気になった。タルボはにかりと歯を見せて笑う
「あの方は、嘘はつかないんですよ。あけっぴろげで、自由です。こにくたらしいと思うのに、気まぐれに笑うと、それもどうでも良くなる。私にとっては幼い弟のようで、不思議なカリスマのある方でしたよ」
わがままでも憎めないタイプというと、末っ子気質なんだろうか。
僕は弟を思い浮かべた。
「しかし一方で、この方と番になる方は苦労するだろうなと同情しておりました」
正直すぎるタルボの言葉に、僕は深く同意するのだった。
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