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07. こちらの世界の護衛騎士
「ディルレクシア様、着きましたよ」
レイブン卿に声をかけられ、僕はハッと目を開けた。
僕の前で、レフが笑っている。
「おやおや、神経質なディルレクシア様が居眠りとは珍しい。病み上がりで疲れたのでしょうかな。レイブン卿、どうぞそちらへ」
「はい。下ろしますよ」
「ええ」
レイブン卿は僕を椅子へと静かに下ろす。
「それでは私は外に……」
僕が思わず上着の裾をつかんだせいで、レイブン卿は意外そうにこちらを見た。
「あ……すみません。タルボ、この方にお茶を……」
「かしこまりました。服の件も手配してまいりますね」
タルボはにこやかにお辞儀をして、レイブン卿を伴って部屋を出ていく。
「あの、ここは?」
「医務室ですよ。私は普段はこちらに詰めております」
道理で、棚や机などの雰囲気が、病院の診察室と似ているわけだ。
レフは僕の右足首を触り、こくりと頷いた。
「ふむ。はれてはおりませぬし、冷やして安静にしていれば、じきに治るかと思います。治癒魔法の使い過ぎは、自己治癒力をそこなうのであまり良いことではありません。今日はこのまま様子を見ましょう」
「分かりました」
治癒魔法は万能ではないとレフが説明していたのを思い出す。こんな制約もあるのか。
「ところで、レイブン卿にずいぶんなついていらっしゃるご様子ですな。どうかしましたか」
レフは微笑ましそうに、僕を見つめる。
僕は少し悩んで、正直に話す。
「僕が前の世界で王太子に捨てられた話をしましたよね?」
「ええ。それで自殺されたのですよね」
レフの顔が、真剣なものに切り替わる。
「あの時、最後まで傍にいてくれたのが、あの方だったんです。だから……あの方が傍にいると、とても安心します」
「ほうほう、なるほど。そうですな、ディル様そっくりなディルレクシア様がこちらにいるなら、他の者がいてもおかしくはない。なるほど、平行世界という仮説が正しそうだ」
レフはしきりと頷く。
そこへ、タルボが戻ってきた。扉を閉めるなり、僕に問う。
「ディル様、アルフレッド王子がそうなんですね?」
タルボの目はさえざえと冷たい光を宿している。
「なんの話だね、タルボ」
「実は先ほど、アルフレッド王子とお会いになった途端、ディル様が真っ青になって逃げだしまして。それで足を痛められたのですよ」
「そうか! 護衛騎士がいれば、クズもこちらにいるのだな!」
レフは勢いよく立ち上がり、うなるように言った。
僕はそっと右手を挙げて制す。
「あの……同一人物ではありませんよ。ここは違う世界ですから。頭ではわかっているんですが、どうしても心が拒否してしまうのです。彼を見ると吐き気がして……」
思い出したら、再び気分が悪くなってきた。うつむく僕を、レフがなぐさめる。
「大変な思いをしたのですから、それが当然です。別世界の人物の罪を、この世界の人物に責任をとらせるのはおかしなことですから、ディルレクシア様がお気に召さなくなったということにして、こちらでも再調査いたしましょう」
「そうですね、レフ先生。レイブン卿への当たり方を見ていると、我らの試験を突破されたアルフレッド王子の誠実さは疑わしくなりました。人格を偽っているやもしれません」
「王族ならば、それくらいできてもおかしくないな。こちらから直接、統括に訴えておく」
レフとタルボは怖い顔をして話合う。
「しかし、タルボや。王家とレイブン伯爵家の確執があるから、そのせいも考えられるぞ」
「だからといって、それをディルレクシア様の前であらわにするなど、言語道断です。この方を怖がらせるなど、許しがたい悪行です」
二人の会話が気になり、僕は口を挟む。
「確執って?」
「レイブン伯爵家は建国時代から王に仕える、由緒正しい家なのですが、レイブン卿の祖父の代で問題を起こしたんですよ。護衛に失敗し、現王に怪我をさせた上、国宝級の魔導具を破損してしまったのです」
「そんなことが? よく取り潰しされませんでしたね」
「しかし、祖父君は処刑され、家は多額の借金を背負いました。それで伯爵家ながら貧しく、没落貴族の仲間入りをしたのですな。あの方が当主にもかかわらず騎士として勤めているのも、そのせいです。そして、ディルレクシア様との婚約申し込みも」
祖父の代で築いた負債で、子孫が苦しんでいるのか。
かわいそうに思った僕だが、婚約のくだりに胸が騒ぐ。
「どういうことですか? ディルレクシアを好きになったのでは?」
「オメガをめとると、神殿が後ろ盾につくのです」
「あ。没落貴族が返り咲くと言っていましたね」
「その通りです。このまま行くと、レイブン卿の家は破産しますから、家門を守るために賭けに出たのだと面接でうかがっておりますよ。家門を助けてくれるならば、オメガに一生を捧げるそうです」
「そんな自己犠牲から……」
僕の気持ちが、沼底へ沈むように暗くなる。
「あちらの世界と違う人だと分かっていても、あの方には幸せになってほしいです」
本気で落ち込む僕に、レフは優しく言葉をかける。
「優しい方ですな。ご自分が大変だったというのに、他人を気遣うのですから。ディルレクシア様なら、『だから何?』って言いそうですな」
「そんなに冷たいのですか?」
「どうして他人の幸せのために、自分を犠牲にするのか意味不明だとおっしゃるかと。まあ、スパンと割ったような方ですよ。多少の同情はするでしょうが、だからといって、結婚相手として妥協はしないでしょう」
レフの推測に、タルボも同意する。
「そうそう。そんなに可愛らしい方じゃありませんよ。それに、我々も、同情で妥協しては不幸になるだけですと申し上げますね。例えば、あの第三王子は、王位につきたいから婚約者候補になったんです。全て思惑ありきですよ」
タルボは丁寧に言い聞かせる。
「彼らは至宝のオメガを利用したいのですから、オメガであるあなたは、自身の考えで選べばいいのです。別に、候補の中から選ばなくても、結婚しない自由もありますからね」
そこがこの世界の不思議なところだ。
人口が減ることを気にしながらも、意思は尊重されている。
「ありがとうございます、タルボ。同情にかられて、選択を誤らないように気を付けます」
「ええ、この傍仕えになんでもご相談くださいね」
「ところで……あの方の名前は、シオンで合っているんでしょうか」
僕が気になっていたことをおずおずと問うと、タルボは目を丸くした。
「ああ、そういえば名前が同じとは限らないんですよね。シオン・エル・レイブン様ですよ。レイブン卿やレイブン伯爵と呼ばれています」
「同じく、シオンなんですね。こちらでも、紳士的な方のようです」
「ええ、試験でも品格に問題なしと出ています。王家からはにらまれていますが、騎士団での評判は良い方ですよ」
タルボの返事に、僕は自分が褒められたみたいにうれしくなった。
「そうでしょう! 自慢の騎士なのです。って、ここでは違うんでしたね。ああ、そうだ。あの方に弁償する服を選んでさしあげなくては! ――いだぁっ」
楽しい用事を思い浮かべ、足をひねったのを忘れて立ち上がり、僕は悲鳴を上げる。
「大丈夫ですか、ディル様! そんなに急がなくても、今は〈楽園〉お抱えの仕立て屋を呼んでいるところですから。そうだ、応接室にまいりましょうか。失礼しますよ」
「へ?」
タルボが僕をお姫様抱っこしたので、僕はぽかんとする。
「あれ? さっき、腰を痛めていると……」
「嘘です。ディル様がレイブン卿と離れがたそうでしたので、お節介を焼きました」
「そ、そんなふうに見えていたんですか? どうしよう」
僕は恥ずかしさで、顔を真っ赤にする。
するとタルボが複雑そうに顔をしかめた。
「ああ、これが娘を嫁にやる父親の気持ちなんでしょうか。うれしい反面で邪魔したくなりますね」
「あなたの年齢では、父親というよりも兄では?」
「というより、保護者ですね」
「なるほど」
タルボの世話焼きぶりは、確かにそんな感じだ。
そのまま、レイブン卿が休憩をしている応接室に連れていかれた。
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