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0.瑠璃苣の館
僕が立っている門より遠く、ツタが多く絡み付く洋館がみえる。屋敷の周囲は青く小さな花が取り囲んでいるようだった。手に汗握りつつインターホンを押すと、
「…ハイ」
インターホンからこちらをうかがうような、暗い声が出迎えた。
「すみません。N社の染嶋憐と申します。取材の約束をしていたのですが。」
「あぁ、開いています。お車ですか?駐車場は…」
「いえ、タクシーで来たので。このまま入っていけばよろしいですかね。」
「えぇ。」
見えているのになかなか建物に近づいていない気がする。しばらく歩いてようやく洋館の扉の前までやってきた。山奥にある建物なのでそれほど暑さは感じていなかったがさすがに日中帽子もかぶらずにこの距離を歩くとじっとりと汗をかいた。あたりを見回すと綿毛に包まれたような蕾を持った青く小さな花が一面に咲き乱れている。乱雑でなくしっかり手入れされているようだった。勇気を出してノックしようと試みるが重厚な扉を前にしてすっかり緊張してしまっている。すると、こちらの緊張を裏切るように家主と思われる人物が現れた。声から想像するよりずっと若々しい。しかし生気がない。そして、少年としか表現のしようのない人物が出迎えた。
「外は暑かったでしょう。どうぞこちらへ。」
「あの、おうちの方は今日いらっしゃらないんですか。」
「この家には僕と身の回りの世話をしてくれる人が一人だけですよ。彼にも今日は暇を出しています。…もしかして、僕のこと子供かなにかと勘違いしています?」
「いえ、そんなことは…」
ある。まさしく子供だと思っていた。せっかく取材に来たがこんな子供が事件の詳細を知るわけがない。後悔までし始めている。だいたい日本に似つかわしくない洋館に子供と世話係一人って、どこのおとぎ話のお坊ちゃまなんだ。いいところまで行ったと思ったが、これは東京にとんぼ返りかもしれない。
「そんなことはあるんですね。僕は今年で26ですよ。」
「は?えっと、冗談?」
「本当のことです。どうぞ座ってください。この家にはお茶しか置いていないのですが、何か茶葉やハーブに好みはありますか?」
古くて高そうな合成板で作られていない家具が設えてある応接室に案内された。こういう家具を”アンティーク”と言うのだろうな、自分にはよくわからないが。茶葉よりなにより26歳ということに驚いて言葉も出ない。3つも年上だ。本当に?嘘だろう?
「えーと、おすすめで。」
喫茶店でもコーヒーしか頼まずそれも豆等はあまり気にしていないので急に聞かれても困る。戸惑った様子が伝わったのか、わかりました。と言うと、これまた高そうなカップ等が所狭しと並べられた戸棚を物色し始めた。後ろ姿で表情は見えないが微笑んだような、やわらかい声だった気がする。ガラスのティーセットを用意すると、玄関へ向かった。もてなしてくれるのはありがたいがお茶など正直どうでもよいから早く本題に入りたい。
「水出しのルリジサティーです。」
見覚えのある青く美しい花がガラスのティーポットの中に浮かんでいた。
「この花、屋敷の周りに沢山生えていたものですか?」
「よく気がつきましたね。そうなんです。飲むと元気になる効果があるそうですよ。私もこの時期はよく飲んでいるんです。」
元気が無い代表みたいな顔をしている人に言われるとあまり説得力がない。この人、生気はないしどことなく暗いが得意な話題になると少し晴れ間が見える。掴みはいいぞ。さほど色づいてはいないほぼ水に見える液体を口に運んでみた。
「草の味がする…」
「あははっ、確かに。レモンや蜂蜜を入れると飲みやすいですよ。」
しまった正直に言いすぎた。と思ったがこうして彼は笑っているのだから少なくとも彼には効果があるのだろう。お言葉に甘えて蜂蜜を入れてみる。しかし、甘ったるくなっただけでこのお茶でないといけないのだろうかという疑問が浮かぶ。
「飲みにくかったですね。すみません」
「いえっ、その、せっかく出していただいたのに。でも、潤いましたし汗も引きました。」
掴みはよかったのに相手を不快にさせてどうする。焦って言葉を探していると、先方から本題に切り込んでくれた。
「それで、取材の詳細を杏一があまり話してくれなかったので、推測ですが染嶋さんが聞きたいのは、ギムナジウムのお話ですか?」
「杏一さん?あぁ、お電話に出ていただいた!その件です。何度もお電話してしまい申し訳ありません。」
先ほど言っていた世話係のことだろう。その世話係はなかなか本人に取りついでくれず、ついに今日まで高遠氏と電話で会話することはなかった。ずいぶん苦労したので今回居なくてほっとしている。
「いえ、こちらこそ杏一がすみません。受けた電話は全て繋ぐように言っているのですが時折自分で判断してしまうようで。」
「えっと、お手伝いの方かと思ったのですが違うんですか?」
「雇う形をとってはいますが、友人なんです。生活能力の無い僕を見るに見かねてといった感じですかね。秘書みたいなこともやってもらっています。」
友人の身を案じてのことだったのか。確かに10年も前の事件の詳細をわざわざ都心から片田舎まで聞きに来る記者は怪しい。内容が内容だ、無理もない。
「そうでしたか。いえ、ずいぶん親しげな話しぶりだったので。話の腰を折ってしまいました。さっそくお聞きしたいのですが、"かくれ島寄宿学校事件"の詳細を知っている方を探していまして、なんとか当時、養護教諭だった方にあなたのお名前をお聞きしたんですが、その、きちんとお話ができる状態ではなく要領を得なくて。なんでもかまいません。何か知りませんか。」
「何かって…当時の新聞に載っているまでのことですよ。精神疾患のある子供達のサナトリウムを兼ねた寄宿学校で生徒職員が一斉にいなくなった。知っているのはそれだけです。」
「本当ですか!その新聞はどこに?おそらくすぐに報道規制されてしまって、私が調べる頃にはもう事実として載せている新聞雑誌は残っていなかったんですよ。あくまで噂としか取り扱われていなくて。」
「それは本当ですか。」
「…? はい。」
顔色が優れない。また暗い表情に戻ってしまった。
「…やはりこのお話をするわけにはいきません。世間が無かったことにしているなら、尚更。」
「そんな、困ります!やっとここまでたどり着いたのに。」
押し黙ったまま、目を伏せてなぜか泣きだしそうな顔をしていた。最初はダメかと思ったが、やっと有力な情報を知っている人物に出会ったのだ。反応からしておそらく寄宿学校の内情を深く知っている。ここであきらめるわけにはいかない。ガラスのティーカップが汗をかき、雫となってソーサーに落ちようとしている。
「どうして、知りたいのですか。」
「かくれ島の寄宿学校に兄がいたんです。けれど、詳細もわからないまま兄は事故で亡くなったという報告を受けました。遺体の損傷が激しいから見せられない。葬儀はこちらで済ませたと言われました。治療に行ったはずの兄が何の事故にあったかも教えてもらえなかったんです。それから少しして寄宿学校は閉鎖されたと聞きました。遺品も遺骨も…なにも返してはもらえませんでした。」
話すうちに彼の顔色は紙のように白くなり、そして僕にゆっくりと目をあわせた。
「誰に聞いたんですか。」
「兄のことはギムナジウムから電報が届きました。閉鎖のことは島の子供に。どうしても納得できなくて現地に行くとそう言われて、これ以上は大人が介入してきて聞けませんでしたが。」
「そう…」
「お願いです。話してもらえませんか?」
「…分かりました。初めにお兄さんの名前聞かせてもらえませんか。」
「宇美野 理仁(うみの りひと)です。」
名前を告げた瞬間に震えだし涙があふれたかと思うと、嗚咽交じりに僕のせいだ申し訳のないことをした。いつかこんな日が来るんじゃないかと思っていた。と、懺悔を始めたのである。驚くことに取り乱し方が高遠水面の名前を聞き出した元養護教諭と同じ反応だった。
「待ってくださいどういうことですか。僕のせいって、あなた兄を知っているんですか?」
取り乱したかと思うと、震える手でティーカップに口を付けた。すると一変して冷静になり淡々と話し始めた。
「お兄さんとは親友だったんです。」
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