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4.保健室にて
「それだけ喋っていられるなら、もう教室帰れよ。久々に病人がいないと思ったらこれなんだからな。はぁ。」
「あ、金田先生。あはは、すいません。制服今日一日乾かないですよね。」
「乾かんな。理仁、肺が苦しくなったり、咳き込んだりしてないか。」
「朝はしてたけど、もう大丈夫です。」
「そうか、いつでも言えよ。」
「はーい。水面起きられそう?」
「うん。」
そういえばこの保健室、やたらとベット数が多い。病院の大部屋より一回り大きい保健室など、あまり聞いたことがない。サナトリウムというだけあって、そのあたりも普通の学校とは違うのか。
「あー、転校生。今日は無理せず寮に戻ったりしても問題ないけど…どうする?お前のカウンセリングとか診察は明日以降だし、今日ぐらいサボっても体調不良ってことで担任に言っとくけど。」
ぼんやり辺りを見回す僕を気にしたのか保険医の金田が声をかけてきた。自分も教室に行くと伝えようとしたのだがうまく声が出ず、冷や汗が止まらない。おそらく白衣が恐ろしいのだ。僕を嘘つき呼ばわりした白衣姿が憎くて恐ろしい。トラウマと金田先生は関係ないはずだ。なのに。カッターシャツの襟元を握り締め、息を吸っては吐くを繰り返す。このままでは僕は一生教室に行けない。理仁やユキにも愛想をつかされてしまう。せっかく普通の人みたいに話せたのに。
「水面」
桶にたっぷりと蓄えられた水、その水面に水滴が一滴落ちたような、澄んだ音色で名前を呼ばれた。波紋が広がり心に影響してゆく。やがて波紋は姿を消した。そこには先程まで理仁と話していた時のような平穏があった。
「せんせい、僕、教室に行きます。」
「…そうか、わかった。高遠も何かあったらいつでも来い。」
「金田先生ちゃんと名前覚えてるじゃん。僕が一度も呼んでない名字を知ってるなんてさ。なんで”転校生”なんて呼んで距離を取ろうとしたの?」
「本当にお前は嫌なところを突くな。社会に出たら上司に嫌われるぞ。」
「僕らは社会になんて出られないよー 社会不適合者だから。」
「まったそんなことを言って、早く教室に行け。前言撤回だ。二度と来るな。」
「はいはい。また来てあげますよ。」
「失礼します。」
保健室の引き戸を閉めて再び教室に向かう。社会不適合者か。確かになと独り言ちながら理仁についていく。後からユキに聞いた話だが増改築が繰り返されすぎて、校舎が生徒数のわりに広すぎるらしい。なので理仁の助けなしに教室にたどり着くことはしばらく無理そうだ。僕が以前通っていた学校に似通った、てらてらしたリノリウムの床とモルタルや漆喰の壁で構成された部分もあれば、木材のみで作られた箇所もあり、この学校はつぎはぎだらけのような印象を受ける。教室から走って逃げた時には気づかなかったが同じ景色というものがまるでない。
「理仁、この学校おんなじ場所が一つもないね。内装に統一性がないって言うか。」
「そうなんだよ。何故か一年中工事してるしね。だから新しい教室ができてもなくなっても、なんだかよくわからないんだよね。これは病気のせいもあるかもしれないけど。こうして生徒を混乱させて一生この学校から逃げられないようにできてるんじゃないかって、ときどき思うよ。」
「どういうこと?」
「さぁ…13歳からこの学校にいるのに未だにこの校舎の間取りが覚えられないのって、いくら工事してるって言ってもおかしくない?新しくできた場所やリフォームされたところぐらいわかると思うんだ。けど、いつも、前からこんな風だった気がするし、そうじゃないような気がする。ほぼ毎日教室に行けてるのが奇跡だよ。」
「それは、不思議だね。」
「さ、もうこの階段を昇ったら教室だけど、心の準備はオッケー?」
「うん。理仁と一緒だから。」
「信頼してもらえてうれしいよ。」
思えばこのときもう少し問いただしておけばよかったのだ。“療養のためにここに来たんだから自分を責めたりするな“と語った彼が“一生この学校から逃げられない“と言っている。それは二度と完治することがない病にかかってしまったということではないのか?それに、変化に気がつかないということは失ってしまったことに気がつかないということだ。理仁は失ったものを塗りつぶすように新しいもので上塗りする学校の違和感にずっと前から気づいていたのに。
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