第二章 彼を助けて

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第二章 彼を助けて

 僕は13歳になった。4月の感謝祭の翌朝、廊下で父さんの側近と出くわした。50代の小柄な側近は生真面目な顔のまま跳ね上がったあと、ぼくに堅苦しい礼をした。相変わらず顎髭たくましい。彼はあたりを見回してこう呼んだ。  「ルゼ、ルゼはおらんか」  ルゼは若いメイドだ。近くで廊下の花の手入れをしていた。そばかすがあって、まとめてるつもりなんだろうけど、それでもいっぱいの髪の毛がチャームポイント。染めてないのにいつもほんのりオレンジ色。  「はい、こちらに」    反応していそいそやってきた彼女は僕を見て、即座に跳ねて礼をした。次に側近に礼をした。側近は彼女にこう言いわたした。  「国王様がお呼びだ。今夜、東塔の寝所に出向くこと」  彼女は突然青くなった。  「わたくしに落ち度がありましたでしょうか」  「ない。話し相手をして欲しいとのことだ」  彼女はガタガタ震え出した。側近は厳粛に言った。  「そんなに緊張することはない。湯で身体をすすいでから行くがよい」  一部始終を見ていた僕は、想像力が暴走している彼女が気の毒になった。声をかけた。  「心配しないで。父さんはきっと優しいよ」  一緒に励ましてくれればいいのに、側近は僕に礼をしたあと、さっさと立ち去ってしまった。僕は言った。  「ルゼ、一緒にお茶しないか。おいしいお菓子がねーー」  彼女は僕の個人的な申し出を聞いて後ずさりした。僕にまで震えあがっているんだ。臆病なオレンジの雛鳥みたいだった。  「身にあまるお言葉、恐れ多くてわたくしにはとてもーー」  彼女は礼をして走って行ってしまった。  僕は仕方なく廊下を歩いた。すると軍の将校と会えたので呼びとめた。  「ご用でしょうか」  将校は跳ねあがって起立した。兵隊だからってわけじゃない。臣下はみんなこう。小さいころは普通に思ったけど、今では変だと思う。自然体でいてくれるのはファティマだけだ。  「ゼラック、僕も父さんも怖いかな」  「何故ですか」  ゼラックは発声練習のように姿勢を正してたずねた。ウエストがしまって、胸板の立派な人で、格闘技の達人と聞いている。  「メイドのルゼが、今夜父さんに呼ばれるから恐がっていたんだ。安心させようとしてお茶に誘ったら、逃げてしまったよ」  姿勢の良かったゼラックが、何でか少し気落ちしたみたいに見えた。彼は言った。  「彼女の無礼をどうかお許しください。王族の方々は我々には眩しすぎてーー彼女は気が小さいのです。お気に障ったかも知れませんが、最後くらい、そっとしておいてやってくださいませ」  「最後って何」  「国王様のお気に召されたら、しばらくは故郷に帰れますまい」  「それはそうかもーー」  そんな感じで、王族と臣下に隔たりがありすぎて誤解は数々生じていた。僕は翌週火曜の昼休み、中庭に通りかかり、高貴な女性達が色とりどりのドレスで円陣を組んでいるのを見つけた。そして彼女たちの話を聞きかじった。  「ミラドラもいなくなった」  「寝所できっと彼女」  「国王様にめされたらもう」  「決して目立ってはだめ」  僕は言った。  「誤解だよ」  女性達は跳ねあがって僕を振り返った。全員青くなって無言の礼をした。  「父さんは優しいよ」  一番年輩の女性は緑のドレス。彼女が若い女性をかばうように答えた。  「おおせの通りでございます」  「みんな目立ったっていいんだよ」  「いえ、さっきのは……」彼女は言いよどんで両手をもみ合わせた。「女はありもしない噂をしてスリルを楽しむものですから」  「ならいいけど」  僕はこうして周囲を否定しながら、心の中では葛藤していた。いつもつらかった。すべてを否定しきれないからだ。昼食の後は数の授業だ。その後、物思いにふけりながら教室を出た。廊下の向こうから父さんが歩いて来る。僕はすれ違いざま話しかけた。  「父さん、あの」  「すまないがあとで聞く」  彼は赤いマントをひるがえして風のように歩いて行ってしまった。彼はあとでと言うけれど、いつだって“あと”はなかった。  そのあとファティマがやってきて僕をねぎらってくれた。新種の花が綺麗に咲いたと、紫のブーケを持って喜んでいた。  「学術ご苦労様です。ティータイムになりました。今日はビスケットです」  「うん」  僕は彼女と自分の私室に戻った。席について、彼女の生けた花を鑑賞しながら用意されたお茶とお菓子を味わった。空は少し曇っていたけど、一年中暑いアルダットではこのくらいが快適だ。  ファティマは僕のそばに控えて言った。  「国王様の開拓したリブシード地方の卵と小麦でできているのです。お父様の味ですよ。おいしいですか」  「うん」  「国王様は素晴らしいお方なのですよ」  僕はお菓子を食べる手を止め、お茶も置いた。彼女が彼を誉めるといつも複雑な気持ちになった。  「じゃあ、どうして父さんは口を聞いてくれないの」  「申し上げておりますように、ご公務とはお心にご負担がかかるものなのです。国王様はシャン様とお話をする余裕が持てないでいるのです。国王様が貴方様におつらく当たったことはおありですか」  「ないよ」  「愛しているからです。激務がおつらいだけなのです。いつかシャン様とお話できる日が来ます」  僕は不安になるたび彼女に励まされた。彼女は間違ってないはずだ。僕はその確証が欲しくなった。強風の逆巻く四月末日、僕は意を決した。厳格に禁じられていた父さんの寝所を、もう一度確かめに行く。  僕は父さんが仕事に追われる昼間を狙って、東塔に乗り込んだ。寝所の前にたどりついた。ドアを開ける。血臭がした。中ではベッドの上とそれ以外の場所で女の人が三人倒れていた。ベッドの上の女性の首には、巨大な斧がつき立っていた。みんな血を流して息絶えていた。部屋の中の猛禽類のはく製の真紅の瞳が、僕まで八つ裂きにするぞ、と睨んで――いや、憎んでいるかのようだった。    僕は寝所をじっと見つめた。振り返ると近くにファティマが立っていた。  「ここでしたか」  勘だけで探しにきてくれたんだ。窓の外を雨が叩きつけ始めた。昼なのに夕方のように暗くなり、城の外で雷鳴がとどろいている。ガラスのように透き通った材質の靴を履いたファティマは、時空のはざまに現れる妖精みたいだった。  僕は彼女を見た後、涙がこみ上げてきた。彼女は進み出て抱きしめてくれた。  「ファティマ」  「いけないお方ですね。子供の見るものではありませんよ」  彼女がいれば僕は何も怖くなかった。悲しいだけだ。  「僕の父さん、悪い人なの?」  彼女は答えた。  「悪い人なんてこの世にいないんです。人間は間違える生き物です。あなたのお父様は苦しんでいます。苦しんで間違えてしまった」  僕は泣きながらお願いした。  「父さんを止めて」  彼女はつらそうに答えた。  「残念ながら、今の国王様を止められる強い人はここにはいません。でも、将来現れるかもしれません」  「誰」  「あなたです」  「僕が?」  「そうです」  僕は涙を袖で拭った。泣くより大事なことがあるような気がした。彼女は続けた。  「国王様は皆に恐れられると、傷ついて心が悲鳴をあげてしまうのです。彼が恐ろしい時は悲しんでる時。彼が怖い人になってしまっても、彼を傷つけないであなたが冷静でいられたら、彼を救うことができます」  「僕にできる?」  「勉強して経験を積めば」  僕の心は彼女に支えられて決意に変わった。  「僕、父さんを止める人になる」  「わかりました」  彼女はうなずいた。  ぼくは父さんの後継ぎだ。ファティマとの寝物語も面白いけど、正式に勉学、帝王学を学んでいる。ファティマに誓った直後から、違う勉強も始めた。彼女と二人っきりの、皆に内緒の授業だ。  彼女は博士号を持ってないのに博識だった。諸外国の歴史と、意外なことに犯罪者の心理にも造詣が深かった。僕は彼女の話から、過去に実在したあらゆる国王たちの孤独な人生を学んだ。いつも受けている世界史の授業を、自分なりに深く考えるようになった。  国王たちには共通点がある。権力を持ちすぎると孤立する。人間らしい生活が送れなくなるんだ。僕は父さんの悲しみを思った。そうして19歳の8月、父さんを助けることを決意した。
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