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第四章 昔できなかったことを
僕が翌朝目覚めると、彼はとっくに公務に出ていた。僕は一旦自室に戻って、一日の終わりに彼の寝所に出なおした。彼が待っていてくれた。窓から見える月には霧がかかっていて、何かを予感しているようだ。
僕の提案で寝所の窓の鎧戸が閉まり、照明も落ちた。彼はベッドに横たわり、僕は傍らの椅子に腰かけ、手元のろうそくで演出する。
その夜はそこで彼の悲鳴がとどろいた。
「うおおおおおおぉぉぉっ、なんと恐ろしい!」
彼はベッドの上で、大きな枕を全身で抱っこしてコアラのようにもんどりうった。部屋の中の猛禽類の目はろうそくの光を反射して一層赤く、なんだか今日は結膜炎のように見えた。
「嫌ですか」
僕が遠慮して口を閉じようとすると、父さんは嫌がるどころか食いついてきた。
「いいや! 続きはどうなるのだ」
「“その時です。ピチャン……ピチャン……足音が聞こえました。清子が振り返るとずぶぬれの礼子が一重姿で立っていました。礼子の首は取れかかって、あらぬ方向へぶら下がって”」
「ぐわぁぁぁぁぁぁぁ!!」
彼はベッドの上で無駄にあがいた。
「お前の話、怖すぎ!」
「嫌ですか」
「いいや! 続きはどうなるのだ」
「――“ぶら下がっていました。礼子は片手に昨日一歳で死んだ愛娘を抱いていて”」
「うぉぉぉぉぉぉ!!」
そうして夜は更けていった。彼は僕にたずねた。
「それでどうなってしまうのだ」
「ご公務に支障が出ます。今日はここまでです」
「気になるぅぅぅぅぅぅぅ!?」
彼は布団の中で魚のようにビチビチと悶絶した。
「今日は下がった方がよろしいですか」
彼はがばっとはね起きて、僕を止めた。
「ならん! 恐くなるではないか! 横で寝ろ!」
「わかりました」
一区切りつくと僕は言った。
「明日はセイランのお嫁さんの話をしましょうか」
「もう何でもいい。とにかく話せ」
「はい」
次の晩も僕は彼の寝所に向かった。湿度の高いアルダットだが、この日はからっとした夜だった。使用人に手押し車を引かせて、ありったけの枕を持っていった。父さん目を丸くして迎えてくれた。
「何だ、それは」
「話をする前に“枕投げ”をして欲しいんです」
「枕投げ?」
「やってくれなきゃ話したくありません」
「仕方ない。やり方を教えろ」
使用人はさがって行った。窓から8月の虫の大合唱が聞こえる中、親子の戦いの火ぶたは切って落とされた。僕と父さんは枕を投げちゃ拾い、投げちゃ広いしてるうちに白熱してきた。彼はゼーゼー肩をはずませて言った。
「なんかこれ、身体によさそうだ」
僕もゼーゼーしていた。
「寝る前の軽い運動です。隙あり!」
「ぐわっ!?」
父さんの次に猛禽類が枕の直撃を食らった。頑丈で倒れなかったのは良かったけど、頭の毛がずる剥けてしまった。これが父さんだったら一大事。
本物の父さんの方は僕と白熱し過ぎた結果、この日、物語を聞かないで熟眠してしまった。
翌日の夜の空もなかなか上機嫌だった。僕は使用人に大小の銃と鎧を手押し車で引かせて、父さんの寝所を訪れた。
「とうとうたてつく気か」
「いいえ、全て空砲です」
「そうだとしても、お前、その格好で寝るのか」
僕はフルアーマー(全身鎧)のいでたちだった。でも鎧の下にちゃんと青い水玉のパジャマを着てる。父さんは僕のことを、敵なのか芸人なのか見極めるのに苦労していた。
「寝る時は外します。父さんも装備を身につけて下さい」
「何で……」
「コンバットごっこします。やってくれなきゃお話はしてあげません」
「ぬう……仕方無い。やり方を教えろ」
使用人はさがって行った。
煌々と光る照明の下で、僕と父さんの打ち合わせ会議が始まった。8月の虫は外で相変わらず大合唱していたがメインボーカルに音痴なやつがいる。まるで今日の演出のよう。
頭のずる剥けた猛禽類は、誰かが下手な修理をしたらしく、今日は合わないかつらをかぶっている。垂れた接着剤が鼻水みたいになってて、風邪ひいたコメディアンにしか見えない。
30分後、僕は持ってきた武器をありったけ身につけていた。ベッドの陰に身を潜め、その向こうでやはり武装した彼に、長銃を向けた。
「ダダダダダダダダ! ヒットした! 父さんの頭が半分吹っ飛んだ!!」
「ぬうおおおおおぉぉぉぉぉ?!」
彼は頭を抱えて絨毯の上を転がりまわった。次に元気に跳ね起きる。「しかし余は生きていたのだ!」そしてバズーカを担ぎあげた。「お前の内臓はこれで吹っ飛ぶのだ。ドォォォォォォン!!」
「わぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
僕は腹を抱えて転がりまわった。次にやっぱり奇跡のように飛び起きると、二丁拳銃を構えた。
「でも僕は生きていた! ダン、ダダン! 父さんの頸動脈は破裂した!」
「死ぃぬぅぅぅぅぅぅぅ!?」
彼は首を押さえて再び絨毯を転がりまわった。
僕は息を弾ませて呟いた。
「これ、昼やったら絶対面白いんだけどな……」
「じゃあ昼やろう」
彼は汗びっしょりで起き上って言った。
「昼やってしまったら、夜はどうするんですか」
「そんなにエキサイトしなくても眠れるわ。物語で十分だ。余はとりあえず着替えないともう駄目だ」
「お風邪を召しますね。僕も一緒に着替えます」
僕は使用人に持ってこさせた自分の着替えをとった。父さんも衣装ダンスから自分のを出した。彼は僕と並んで汗をふいて着替えた後、脱いだパジャマを持って寝所付きの流しに向かった。僕も使用済みのものを持ってそれに続いた。
彼はそこで僕をじーっと見て、おもむろに手持ちのパジャマを絞った。汗がどっちゃり流れた。横広の流しだったので、僕も彼の横で脱いだパジャマを絞った。やっぱ汗が滝のように流れた。彼が僕に突っ込んだ。
「もっとナイスバディになってしまったではないか」
「僕もです。どうしてくれるんですか」
彼はベッドに横になると「話せ」と言った。
僕は傍らに座って話し始めると、彼と一緒に怒濤のような睡魔に襲われてしまった。僕は船を漕ぎ漕ぎ、続きを語ろうと努力した。
「そしてお嫁さんは超巨大人型ロボに乗り、八頭身の美形男子を救うため3人の魔法少女とドッキングして4人になった女子力で『スルメの終わりにくるりんぱ』と叫んだのです……」
「お前……なんかちょっと変……」
僕は彼のベッドに頭をのっけて涎を垂らしていたような記憶がある。多分彼とほぼ同時に気絶していた。後から臣下に聞いた話だと、僕は自分の寝室まで、屈強な男3人がかりで運ばれたらしい。
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