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第五章 愛の復活
次の晩は暑さが少し遠慮してくれて、過ごしやすかった。僕は父さんが望むので又添い寝をしながら、普通に面白い話をした。
部屋の中の猛禽類は少しマシな修理を受けたようで、今日は誇りを取り戻し、安堵しているように見えた。
この日の物語の区切りがつくと、父さんは顎に手を当てて何か考える様子だった。
「お前に物語を仕込んだ女の話は、そんなに面白いのか」
「はい」
「本人から直接聞いてみたいな」
「では乳母を呼びましょう。どんな話が聞きたいですか」
「お前の知らない話を」
僕は『面白かったら彼女を殺しませんか』と牽制しなかった。でも、僕の知らない話を乳母がするかと思うと彼が羨ましくて、何て言っていいか、言わない方がいいか考えてしまった。でもその必要はなかった。彼は僕に尋ねた。
「お前も一緒に聞くか」
「はい」
翌日の晩は雨のしとしと降る熱帯夜。真打ちファティマが語り手となった。僕と一緒に父さんの寝所に呼ばれた彼女は、部屋の照明を少し残して、鎧戸を締めた。僕が前にやったのと同じだ。
彼女の薦めで、僕たち親子はベッドの上で並んで座った。彼女は簡易テーブルの上のろうそくに火をつけ、最後の照明を落とした。そしてベッドわきに座ったのちに、ろうそくを膝の上に置いた。
彼女の美貌は下から明かりに照らされて、妖しげに映えた。彼女は僕らに静かに語った。
「――眞子ちゃんはずぶぬれで走りました。光司君に裏切られ、とうとう、こんな湿地に一人きり。裸足の彼女は何かをふんずけました。ぬるぬるして、ドロドロで……、恐怖した彼女のふくらはぎをかけ上げって来るのです。おお、そして!」
「お助けぇぇぇぇぇ!」
「ごめんなさいぃぃぃぃぃ!」
僕と父さんは抱き合って悲鳴を上げていた。ファティマの怪談に手加減はなかった。
「彼女が見たのは、四角い蛙でした。縁日の日に四角い箱の中に詰められて、その通りの形になってしまったアレです。彼女は絶望しました。どうしてこんな夜に四角い蛙なんか……。彼女は蛙を振り切って、湿地を駆け抜けました。途中で躓いて、泥沼に突っ込んでしまいました。起き上がった彼女は、泥の中に自分以外の気配を感じ、戦慄しました。彼女は知っていました。見てはいけません。決して見ては。でも運命は酷薄でした。彼女が見てしまったのです!」
「ひあぁぁぁぁぁぁぁ!」
「許してぇぇぇぇぇ!」
ファティマは淡々と続けた。
「隣のうちの千夏ちゃんがシャベルで泥をすくっているところを……。千夏ちゃん、どうしてこんなところでお団子なんか作っているのでしょう。パンツ丸出しでしゃがんで……。彼女も眞子ちゃんを裏切るのでしょうか。湿地でふくろうが悪どく鳴いています。もう逃れられることはないだろうと。眞子ちゃんは千夏ちゃんの背後にせりあがった影を見てしまいました。悪意の塊を。それは! ああ、それはぁぁぁぁぁぁ!」
「わぁぁぁぁぁぁ!」
「もうしませんんんんんんん!!」
僕と父さんが同時に落下しているかのように叫ぶ。
「千夏ちゃんの彼氏の健吾君でした……。彼の顔はこの世のものではありません。結膜炎で目は目ともわからないくらい真っ赤でした。ああ、何ということでしょう、そればかりかぁぁぁぁぁぁ!!」
「ひぁぁぁぁぁぁぁ!」
「うわぁぁぁぁぁぁん!」
僕たち親子は、一緒にちびりそうになりながら絶叫を上げ続けた。話は何にも怖くないのに美女の顔がとにかく怖い。美女が凄い顔する。女優だったら大人の事情でアウトの顔。ファティマこそ怪談マスター。
そして夜が更けると、彼女はにっこりと笑った。
「今日はここまでです」
「どうなってしまうのだぁぁぁぁぁぁ?!」
父さんは抱えていた僕の頭をかきむしって叫んだ。僕は僕でライオンに食べられる寸前のミーアキャットのようにブルブルしていた。彼が言った。
「ファティマ! 下がってよいぞ!」
「それではお休みなさいませ」
彼女は女神様みたいに微笑して去っていった。その時の後姿を僕は忘れない。
彼は僕と抱き合ったまま言った。
「続き! 続きが知りたい!」
「一体どうなってしまうんですか」
「怖いな!」
「怖いですね! 今日眠れんのかな」
「くっついて寝ようか」
「それもそうですね!」
その日の晩も僕は彼のベッドで寝てしまった。猛禽類は誰かのジョークで乙女なピンクのリボンをつけていたのを覚えている。僕は父さん譲りのイビキで、本家本元とデジベルを競いあいながら一夜を過ごしたはずだ。
その後、夜中に彼の寝所を訪れる人間にファティマが加わった。僕は彼女とかわりばんこで彼に物語を聞かせた。僕の創作物語も役に立ってくれた。ファティマが言うには、創作の技を持っていれば、どんな話もオリジナル演出ができるということだった。父さんがサーベルを持つことはとうとう無かった。
僕は三年間、彼とたくさん話をした。遅まきながら、いい年していっぱい甘えた。三年後の8月、真っ青な空が広がった日に、一番の友好国ダカンから大事な国賓、カシム王子と、赤い髪のチャーミングな新妻がやってきた。彼らの新婚旅行だ。これは国を挙げて祝ってあげなきゃいけない。
カシム王子は手土産に国産の地酒をたくさん持ってきてくれた。さわやかなライムグリーンのそれは地方でしか売ってない、レアものだ。晩餐会には僕も出席した。父さんはカシム王子の地酒を、いたく気に入ってしまった。僕が止めるのも聞かずにどんどん飲んでしまって、とうとう酔っ払ってしまう。父さんはベロンベロンでこう言うんだ。
「いいか、カシム王子、男は結婚したら女性を泣かしたらいかんのだよ」
「はい」
「そうだ。スカートをめくって泣かしていいのは子供の時だけだ。男は大人になったら女性を泣かしたらいかん。いかんぞお、カシム君」
カシム王子はとても優しい青年だった。真っ赤な顔で同じ話をぐるぐる繰り返す父さんの話を、暖かく神秘的な緑の目でにこにこしながらずっと聞いてくれた。
その席で父さんはある時突然、『芸をする』と言い出した。そして臣下に用意させた女物のぱんつを五枚口に詰めて、あっけなく窒息死してしまった。僕は声を上げて泣いた。臣下は胸をなでおろしていた。
父さんは、窒息した時が一番の国賓の前だったので、葬儀が終わった頃には国民から“国恥王”と呼ばれていた。でも毎晩女の人を惨殺する“恐怖の帝王”と呼ばれるより良かったんじゃないかと僕は思ってる。僕にだけはいい父さんだった。
僕はその後即位した。誰にも恐れられない、優しい王様になるつもりだ。どうしたらいいか、ファティマが教えてくれる。
(終わり)
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