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「こ、こんにちは」
対して彼女はなにも答えず蒼へと顔を向けた。顔だ。目ではない。彼女の目は閉じられ、その表情は暗く曇っているように見えた。
「こら由夢、無視しないで。ごめんなさいね、妹はいつもこうなの」
姉の方が苦笑しながら車いすを自力で蒼の方へと向け、自己紹介した。
「私は『弓岡薫』、彼女は妹の『弓岡由夢』。あなたのお名前は?」
「俺の名前は――」
「――こう、た?」
蒼の自己紹介を遮ったのは由夢だった。彼女は困惑に首を傾げている。しかしそれは、薫と蒼も同じだった。
「え? 誰ですか?」
「ゆ、由夢っ!? あなたなにを言って……」
「っ! ご、ごめん、なんでもない」
由夢は弾かれたように顔を上げると、二人から顔を背けた。蒼は、得体の知らないモヤモヤを感じながらも、改めて自己紹介をした。
「俺は、伊黒蒼って言います。そ、それじゃぁ俺はこれで……」
「あっ、ちょっとっ」
蒼は薫の声を無視し、二人に背を向け足早に歩き出した。彼女らと関わってはいけないような気がしていたのだ。二人の雰囲気はそれだけ異様だった。一般人であればただの綺麗な姉妹にしか見えなかったのかもしれない。しかし、蒼には彼女らの纏う鋭い刃のような空気がとても一般人のものには思えなかった。
蒼が庭園の入口付近まで戻ると、一人の男性とすれ違った。その男は、三十代ほどの男で厳つい表情に、筋骨隆々な体もあって迫力があった。ただ、不自然なことに右腕をだらんと垂らして歩いている。
男が無言で蒼を睨みつけると、蒼はペコリと頭を下げそそくさと墓地から去っていった。
彼らが眠れる獅子であることなど、今の蒼には分かるはずもない。
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