うばう、うばう。

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 ***  多分、詠美も気づいたのだろう。私が片瀬先輩を狙っていること。自分と、先輩を取り合うつもりでいるということに。  彼女は私も香水をつけてきて、先輩に褒められたのを見ると。さらに片瀬先輩の気を引くために、あらゆる手段を講じるようになったのである。  他の商品も購入して、愛社精神をアピールしたり。  現在売り出されている自社製品全ての種類を暗記してきて、その知識を我が物顔で披露したり。  彼が好きだと少し話しただけで、なんと車を購入するまでしたのだ。一体片瀬に愛されるためだけに、どれほどジャブジャブと金を使ったのだろうか。  そして私は。彼女より“下”にならないように、必死で井戸まで通いつめたのである。  他の香水を手に入れるために、長年愛用のバッグ、筆箱、パソコンを捨て。  自社製品を自力で暗記できなかったため、それを覚えるためにも井戸の力を使った。要求された対価は、私がその時使っていたスマートフォンだった。  そして車を手に入れるためには――ずっと伸ばし続けてきた、唯一綺麗だと自慢してきた“髪”を捨てた。その場でバリカンで丸刈りにして、井戸の中に投込めと言われたのそうしたのである。その日から私は、安物のカツラで毎日を過ごす羽目になった。それでも、あの女と引き離されないために、先輩を奪われないようにするために必死であったのである。能力のない自分は、井戸の力に頼らなければ誰かと対等になることなどできないのだから。  しかし。私の頑張りとは裏腹に、どんどん片瀬先輩と詠美の距離は近づいていくことになるのである。 『いつも君は頑張ってるね。さすがにその服は会社としてはあまり似つかわしくないとは思うけれど』  そして、私は見てしまうのである。あの詠美のことを、先輩が笑顔で褒めている場面を。 『会社のために、みんなのために一生懸命貢献しようという気概を感じる。これからも期待しているよ』 『はい、ありがとうございます!』  このままでは、このゲームは彼女の勝ちになってしまう。私は苛立ちを隠しきれず、ミスを連発するようになった。自分はこんなにも色々なものを捨てて頑張ったのに、何故彼女が評価されるのだろう。このままでは、彼女に愛しい先輩を奪われてしまう。 ――やっぱり、ダメなんだわ。気を引くためのアレコレをしてるだけじゃ……!もっと、もっと具体的にお願いしないと!  そして、私は今此処にいる。  昨日の夜にお願いしたこと――“先輩とキスやセックスがしたい”を叶えるために。その対価を、支払うために。  立札に要求されたのは――“左手”だった。 ――やるの、やるのやるのやるのよ瑠衣子!利き手じゃないからいいじゃない……腕一本捨てるだけで、憧れの先輩とえっちができるんだから!  私は、井戸の淵に――タオルできつくしばった自分の左腕を置くと。包丁を取り出して、押し当てた。なるべく早く、一気にやってしまわなければ。痛い思いをする時間が、少しでも長くないようにしなければ。 「う、うああああああああああああああああああああああああああ!」  もう、後戻りはできなかった。この対価を支払わなければ、願いを諦めることになる。つまり私は一生、先輩とキスやセックスができないことになってしまうのだ。それだけは嫌だった。何が何でも嫌だったのだ。  私は狂ったように、自分の左手首に包丁を振り下ろした。激痛、激痛、飛び散る血肉。泣き喚きながら、自分でもおかしくなりそうな苦痛と戦いながら。私は、愛する人を手に入れる為に死ぬ気で“努力”をしたのである。そして。 「あ、はは、は。やったわ、やった、やった!」  最後の皮がぶちり、とちぎれ。私は血と汗と泥にまみれた手首を、ぼとり――と井戸の中に落としたのである。  自分は賭けに勝ったのだ。私はそう確信した。これで、自分はあの女より上になれる。あの先輩とキスやセックスができるのだから。それはもう、恋人になったも同然ではないか。私はげらげらと笑いながら、叫んだ。 「ざまあないわ、梅津詠美!私の勝ち、勝ち、勝ちぃ!あの人は私のものよ……!片瀬先輩の恋人になるのは、この私なんだからぁ……!」  その時。  一瞬、元の“お願い”の注意書き文に戻っていた立札の文字が。再び、どろりと溶けたのである。  あ、と私は。出血と痛みでややぼんやりする頭で、立札へと視線を向けたのだ。そして、気づくのである。自分の今の叫びが、“願い”としてカウントされたということに。  そして。 “命”。  その一文字が、表示されているということに。 「へ……え、ぇ?」  その文字の意味が浸透するまで、しばし時間を要した。立札をよく見ようと一歩前に踏み出した私は、ずるりと足を滑らせることになるのである。自分自身が大量に流した血と泥のせいで。 「な、ん」  気がついた時にはもう、視界は井戸の中へと逆さにひっくり返っていた。  自分はひょっとして、何かとてつもない大きな間違いを犯したのではないか。  一瞬だけ正気に戻った頭が、そんなことを考えた。――全てはあまりにも遅すぎる後悔であったのだけれど。
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