うばう、うばう。

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うばう、うばう。

 その井戸があることを、一体何人の人が知っているのだろう。  私がそこに気がついたのは、殆ど偶然のようなものだった。会社からの帰り。真っ直ぐ、一人ぼっちの部屋に帰りたくない気持ちでいっぱいであった私は、途中にある公園に寄ったのである。私が幼い頃からある公園で、裏手はちょっとしか丘(山?)になっているのだ。上の方は雑木林になっていて、夜くらい時間は危ないので近づかないようにとよく言われたのを覚えている。  その山の上には、ちょっとだけ子供が遊べる遊具とベンチがあって。麓のアスレチックに飽きた昼間などには、時々小さな山登りをして山の上の遊具で遊んだりしたものだ。そう、子供が遊ぶような場所だし、街灯もあるからさほど暗いというわけでもない(夜は遊ぶな、というのはそれでも若干足元が見えづらくなるからだ)。だから子供の頃は気づかなかったのだ。雑木林の中に、あんな古井戸が隠れているなんてことは。  私もうっかり転んでバッグの中身をひっくり返し、転がり落ちていった筆箱を追い掛けていったりしなければ。もしかしたら一生、その井戸の存在に気づくことはなかったかもしれない。  ボロボロのブルーシートがかけてあるだけの、苔むした石造りの井戸。何故、公園の雑木林の中にそれがあったのか、私には知る由もない。  確かなことはその井戸に特別な力があるということ。もうすでに、何度も試している私は知っている。井戸の後ろには、小さな立札のようなものが立てられていた。それをぐっと強く睨んで――私は覚悟を決めたように、リュックサックを下ろした。 「やるんだ」  己の覚悟が揺らぐことのないいおうに。私は言葉を口にした。 「やるのよ、瑠衣子(るいこ)。……あの人を、手に入れるって決めたじゃない」  夏場だというのに、項を流れる汗はやけに冷たい。  なんせ私の荷物の中には――大振りの包丁が一本、入っているのだ。
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