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次の金曜日、帰りが遅くなったのは史の方だった。 ドアを開けると、部屋の中からふんわりと出汁の香りが漂ってくる。 「おかえりなさい!」 嬉しそうな顔で柾が出迎える。部屋着に着替えた柾は、スーツ姿でいるよりかなり若く見える。史は、今まで感じたことのない安らぎに、微笑んでただいま、と答えた。 「料理……出来るのか」 平日は帰りが遅くなることも多く、お互い外で済ませて帰る。こちらに来て二度目の週末、史は初めて柾が本格的な食事を作っている姿に遭遇した。 「簡単なものしか出来ませんけど。焼くとか炒めるとか」 「十分だよ。驚いた。美味しそうだ」 鞄を置いてネクタイを解く史を、柾が後ろから抱きしめた。 首筋に軽いキスを何度も落として、柾は史を抱く腕に力を入れた。 「苦しいよ、柾」 「もうちょっとこのまま…」 「……何か、あったのか?」 柾がぴくりと反応する。素直で優しい、嘘のつけない柾はすぐにその心情が態度に出る。史は柾の腕をほどいて振り返った。 柾は困惑した様子で史の目を見た。しかし、飯、食ってからにしましょうと言って、柾は笑った。 食事を終えた柾は食器についた泡を流す手が止まっているのを、史に指摘されて振り向いた。 「柾……どうした?」 「史さん…」 「僕でよければ、聞くよ」 冷蔵庫からビールを二本取り出して、史は柾に手渡した。ベッドに腰掛けた柾はビールの缶を開けずに握り締めたまま、実は、と切り出した。 「……その、持田さんが、とにかくうるさくて…」 柾の同僚、持田 貴志(もちだたかし)は、初日に柾がゲイであることを言い当てたという。そして何かにつけて柾の周りをうろついくらしい。 「俺が個人的にいろいろ構われることは別に良いんですけど…気になるのは、俺と史さんのことを知ってるのが気持ち悪くて…」 史は、白崎のことを考えていた。 くしくも全く同じようなことが起きている。あれから白崎は何も言ってこないが、その分、ねっとりとした視線が絡みついてくる。 慣れているとはいえ、気分が良いものではなかった。 柾に心配をかけたくなくて、史は白崎のことをまだ話していなかった。 「上田さんと繋がっているとは思えないし…史さんの方には迷惑かかったりしていませんか?」 「……大丈夫だよ。特に何も…」 微妙な間に、柾が横から史を覗きこんだ。 「……史さん、何か…隠してませんか」 「え?」 「変な間、が」 「間…」 柾の真っ直ぐな視線に、史はたじろいだ。一緒に暮らすようになってから、史は、柾がよく自分を見ていることを知った。 耳を触る他愛のない癖、仕事で頭が一杯の時はあまり食べない、煙草の量が増えるときは機嫌が悪くなる前兆…そんなことを柾は楽しそうに話した。史が気づかないことまで、柾はよく観察していた。 「心配させたくなくて、言ってなかった…ごめん」 史は、言葉を選んで白崎のことを伝えた。 ほとんど同時期に起こった偶然が、何とも言えず不気味だった。 打ち明けられた柾は身を乗り出して史に怒った。 「何で早く言ってくれなかったんですか!危ないじゃないですか!」 「柾……僕は30過ぎの男だし、湊斗の時のようなことは、そんなにあることじゃないよ。実際何も起こっていないんだし…」 「何か起こってからじゃ遅いんですよ?今は違う部署なんだし…」 東京で起きた思い出したくない出来事は、史だけでなく、柾にとってもトラウマになっていた。史は自分の首筋に手を当てて言った。 「他の同僚たちは良くしてくれるから、心配ない。この匂いは漏れないように気をつけているし……それより」 史は柾の顔を見ないで、尋ねた。最も気になっていたことだった。 「その…持田さんというのは……どんな人?」 「どんなって…普通の、多分俺より2、3年上の…史さんぐらい、ですね」 「…歳はわかった。それで?」 「明るい人です。困ったら助けてくれる…感じの」 「……彼は柾がタイプなんだって?」 「みたいっすね…」 「柾は?」 「……史さん?」 柾が史の異変に気づいた。こういう時、柾の目に自分がどう見えているのか、史にはわからなかった。柾の手が伸びてきて、ぎゅっと史の手を握った。 「持田さんのこと気になります…?」 「………」 「気になるって、言ってくださいよ」 「……柾は、知らないと思うけど」 史は柾の方を向けないままだった。目を見ると、何も言えなくなりそうだった。 柾は隣に座る史に身体を寄せた。腰に手を回すと、史は柾の腕に軽く寄りかかった。そしてもう一度同じ言葉を繰り返した。 「柾は知らないと思うけど…僕は、実は…ものすごく独占欲が強い」 「え…っ」 「気になるなんてかわいいもんじゃないよ。多分、持田さんっていう人、僕に合わせない方がいい」 柾は史の言葉が途切れた瞬間、史の顔をぐいと自分の方に向かせた。 そして乱暴に口づけて髪に手を差し入れ、動けないようにして、何度も繰り返した。 口を離して、柾は史の顔のすぐ近くで言った。 「やばい…今、史さんすごいこと言ってる自覚あります?」 「………」 「持田さんが気になるくらいには、俺のこと好きですか」 「……そうじゃなかったら、一緒に北海道行こうなんて言わないぞ」 「まじかあ……」 「……何だと思ってるんだ、君は僕を」 「だ、だって…俺片思い長すぎて…自信なくて……」 「その割に夜はもう無理って言っても止めてくれないじゃないか」 「それは!……ごめんなさい…ぅぅ…」 史はふっと笑って、柾の髪を撫でた。史は、柾の茶色がかったくせっ毛を触るのが好きだった。 柾は、実は女性に人気があることも、上司や同僚に好かれることも、あまり自覚がない。さりげなく気遣いが出来る優しさと、いざとなったら頼りになる男気を持ち合わせている。それに気づいていないところが、好かれる理由なのかもしれない。 史は柾の髪を撫で続けて言った。 「気をつけた方がいいな。どこから綻びが出るかわからない。僕は白崎さんには近づかないようにするから、柾も………っんぅっ」 腰掛けていたベッドの上に柾は史を押し倒した。そしてまたキスをする。 ついばんで、舌を絡ませて、史に止められるまで柾はキスの雨を降らせた。仰向けにされた史は、自分の上に被さった甘える恋人の背中を抱いてつぶやいた。 「……話聞けよ」 「聞いてます」 「気をつけろよ」 「はい。近づきません」 「もし……浮気したら…」 「したら?」 「……切る」 「ひええっ」 史の手が柾の中心を強く握って笑った。怖い、と言いながら、柾はもう一度史の唇を奪って、シャツの中に手を滑り込ませた。
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