Rehash

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 過剰な眠気、それはストレスを報せる体の反応。日中の眠気が日に日に増してゆくのは鬱の兆候在り。  そんなような記事が出てきた。ああ、確かにという感想は出てくるが、なんてことはない、いつもの日常だ。一仕事終えた後の一服に調べごとを済ませる。辺りには、詰める前から何箱、と目算されたまばらに置かれたダンボール。いつもよりも2箱少なかった。そういえば、集め終わっていた漫画の数々は捨ててしまったのだっけ。  思い当たる節に納得がいくと、薄めの外套を羽織る。食器を粗方箱に詰めてしまったので今日は外食以外の選択肢はない。この辺には8時で閉まってしまう定食屋が一軒あるのみ。僅かな陽の残り火と、玄関を出てすぐに聳え立つ街灯を頼りに歩き出す。 こっちにきてまだ1年やっと経ったくらいだが、この道はよく通った故に多少の思い入れを感じる。心なしかやたらと歩道に垂れさがる柿の木や、通るたびに吠え倒してくる飼い犬を見て、少しばかりの愁傷を感じなくもない。けれども不快なものは不快なのだ。やたら声を掛けられるご近所付き合いも、こぢんまりとした古本屋以外の娯楽施設を持たない荒涼とした町並みも。  暖簾をかき分け、店内を除くと幸いにも誰一人として客はいない。早めに家を出たのが正解だったようだ。店主のおかみさんに声を掛けられるなり注文を言いつけるや否や、厨房から最も遠い座敷を陣取る。ここにも随分世話になった。特にカツ丼。油っ気の少ない生活を送る貧乏人にとっての癒しだった。  「まーちゃん、きいたわよ。あんたまた引っ越すんだって? いつ出てっちゃうの? つぎはどこにいくの?」  「明日にはここを発ちますよ。今日はゲンを担ぎに来ました」  そう答え、運ばれてきたお盆を受け取る。  「そうなの? じゃあサービスしなきゃね。これまでたくさん食べてくれたでしょ。ああ、お酒のむ? 今もつ煮込みがいい感じなのよ」  「あんまり気を使わないでください。それにまだ荷物運ぶ準備が終わってないんですよ。さっさと食べて帰っちゃうつもりですよ」  作った笑顔を崩す間はなく、カツ丼から味噌汁、おしんこに至るまでの間永遠と傍らに座って口を叩いていた。店を出た後もまだ、妙に塩辛いきゅうりの漬物が口を絞め続けた。  ここ一年間使い続けている目覚ましを、スイッチだけONに押し付けて床に入る。既に新居への期待などという気持ちもない。引っ越し先は多少見て回ったが、これまでと同じ。何もない場所に家ばかりが並ぶ町。廃れてもいないが、決して栄えてもいない。駅が近い場所を条件から外して探し回る結果、お眼鏡にかなう安い物件は大体郊外に追いやられている。今度もそういった、つまらない場所に戻ってゆくだけだ。いつもと同じ12時半に眠気が襲ってくると、そのまま意識が落ちてゆく。  「ねぇ、そのラジコン僕もやりたい!」  「いいなあ、まーちゃんはプラモデルもミニ四駆もマンガもいっぱい持ってて」  「でもいいじゃねえか。まーちゃんやさしいから僕たちも余ったパーツとかもらえるんだぜ」  「でも敵いっこないよ。国語も算数も、いつも100点とっちゃうなんて」  「今日なんてすごかったよな。まさか今週のヤッターマンの展開当てちゃうなんて!」  「こっち来てみろよ。カブトムシいっぱいいるよ!」  みんな俺を囲んでいる。そう、俺は素晴らしいこどもだ。出木杉くんもびっくりの、完璧超人。なんでも持ってるし、なんでも知ってる。クラスで5番目にかけっこがはやいし、ドッジボールの主力選手だ。それは次のシーンに移っても同じこと。  「すげえな、お前。あそこ超難関高校じゃん。ここらへんであんなところ受けるのおまえくらいだぞ!」  「やっぱ今年も選抜はお前だよな! ぜってぇ見に行くからな、いつもの俊足ツーベース、期待してるぜ」  「有北くん、今年はチョコいくつもらった? ふーん、そうなんだ。じゃあ私からは、いらないよね。」  「一緒にかえろ? まーちゃん」 ―――  がなり立てる目覚ましが正気に戻す。眠った気がしないほどに鮮明な夢だった。  私の眠気の正体はわかり切っていて、こういうことが多い為だ。あまりにも夢を見すぎて寝た気がしない。それに、特別怖い夢を見たわけでもないのに、シャツが汗でビショビショになっている上、暴れるような寝相だったのか布団やまくらが放り投げられたような位置に置かれている。確か私は楽しい夢を見ていたのだけど、と不審に思うがたかが夢と思考から振り切る。  業者が来るまで10時まで3時間ちょっと。さっさと荷造りを終わらせて二度寝しないと正味1時間半の移動に体がもちそうにない。顔も洗わずにテレビや電子レンジ、散乱したダンボールを玄関に押しやっていく。日用雑貨を詰める最後の一箱にガムテープを巻く。  よし、準備が終わった。あとは引っ越し屋が鳴らす玄関のチャイムに起こされるまで寝るだけだ。敷きっぱなしの布団に体を投げ出すと、すぐに意識は途絶えた。  見積を見る限り楽な仕事だ、と思った。運ぶべきものがほとんどないじゃないか。  しかし面倒なことになってしまった。現地に到着し、トラックから出る前に、俺たちは家を間違えたと確信したのだ。なぜいつもこんな目に会うのだろう、俺は。  このアパートに住人はいないだろう、そう思ったのだ。壁のヒビは数える気にもなれないほどであり、所々のガラスは割れている。風もないのに吹きさらされたカーテンが不気味にゆらめく。昼間だというのに部屋内どころかレースが見える部屋もなく、どこの部屋もピシャリと締め切られたカーテンがヒラヒラと蠢いている。  それでも情報によると、客の部屋はこの3階にいるらしい。一応チャイムを鳴らしに行くが、誰かが出てくる様子もない。  顧客の留守を伝え、連絡が来るまでその場で待機ということになった。二度とこのアパートを訪れることはないという確信を胸に、トラックに戻る。ここには誰もいないと思いタバコでも吸いに行ってしまったのか。マイペースな彼にはいつも慌てさせられたが、もう慣れた。  ああ、暇だ。昨日は飲み明かしてしまってロクに寝てないんだった。戻ってきたらアイツが起こしてくれるだろう。そう考え終わる前に、闇の中へと意識が沈んでいった。
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