盲目の語り部

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盲目の語り部

「昔々の事でございます――」  村の開けた場に座り、語らう男が一人。  色が白く線が細く、ほっそりとした輪郭に、腰の辺りまである白髪を下ろした年齢不詳の男は、だがその両の目を開ける事はない。作り物のような端正な顔立ちに『白』という強い印象は、まるで幽鬼を彷彿とさせた。  だが、彼が語る声音は人の心に染み入るように心地よい。男にしては少し高めの声は時に華やかに、時に神秘的に聞く者を酔わせた。  枕を語り終えた男はスッと息を吸う。途端、場が糸を張ったように緊張する。声を一段下げた男の「さて」という声は、薄らと寒く感じた。 「とある村の庄屋には長年連れ添った奥方の他、年若い愛人がおりました。庄屋はとにかくこの若い娘に入れあげ、今まで支えてくれた奥方を煙たく思い始めておりました。 そこへ、根の悪い若い娘がほんの少し、悪知恵を授けたのです」  男の周りには人垣ができていて、男の語りを固唾をのんで聞いている。  男の目は開くことはないが、まるで周囲の様子が分かるように深く笑みを浮かべ、薄い唇がにっこりと三日月の笑みを作った。 「ある夜、庄屋は旅の商人だという男を家に上げました。四角い荷を負った商人は言葉巧みに奥方に商品を見せます。そして、都で流行の白粉を、奥方へと置いて行きました。 庄屋の寵愛が薄れて久しい奥方はその白粉を大層気に入り、毎日のように使います。肌が白くなり、五歳は若返った気になるのです。 ですが一年もすると、奥方は日に日に弱り床が上がらなくなり、食事もままなりません。肉が落ち、痩せ細ってもあの白粉だけはと他人に化粧をさせます。そしてとうとう、返らぬ人となりました」  「はぁ……」と、聞き入る人々から声が漏れる。その様を、男は楽しんでいるように思う。綺麗な顔は変わらず笑みであるが、空気がそう感じさせている。 「奥方が亡くなった事で後釜にありついた娘はしばらくの間は楽しく贅沢に過ごしました。ですがしばらくすると毎夜の如く怪異が、彼女を襲うことになりました。 化粧をするため、髪を梳くため、見つめる鏡のその後ろにチラリと見える恨めしい女の顔。それは紛れもなく、死んだ奥方の骨と皮になった顔なのです。 恐ろしさに振り向いても、そこにはそんなものはない。気のせいだと思ってもそれが毎日毎夜となれば話は別。娘は徐々に力をなくし、伏せるようになりました」  男の声はゆっくりと、シンと静まる人々の間を冷気を帯びて抜けてゆく。朝の川辺から吹き込むような、足下から冷える語りに群衆はゾワリと震え自らを抱いた。 「やがてそれは、決して見間違えとは言えなくなりました。鏡台を開けると待ち構えたように現れる。水鏡にすら見える。終いには、夜眠っている時にふと目覚めてもそこにあるのです。 娘はとうとう狂いだし、鏡という鏡を割って叫びます。 これに参った庄屋は娘を離れに移し、目の届かない場所に追いやりましたが、時既に遅し。娘は口いっぱいに白い粉を含み、喉を詰まらせて鏡の前で死にました。それは、商人と語った男が奥方へ渡した、毒の入った白粉でした」  ゴクリと喉の鳴る音までする群衆の後ろに、ふと背の高い男が現れた。これだけ人々が恐怖に飲まれ、それでも聞く事を止められないという空気の中、彼だけは場違いな嬉しそうな顔をして男を見ている。  語る男もそれに気づいたように僅かに顔を上げるが、見えているはずはない。なぜなら彼の目が開くことはないのだから。 「やがて庄屋の家は一代で傾き、不幸が続きました。商人を名乗った男が事故で死に、屋敷の者も妙な病にかかり、終いには屋敷に魔物()が憑いて庄屋を食い殺した。 魔物の出る不吉な村に人は居着かない。一人二人と村人が離れたその場所は、今や名残を残すばかり。ですが、まだいるのだと聞きます。薄らと寒い霧の夜、屋根の落ちた屋敷を覗くと鏡の前、痩せた女が一心不乱に髪を梳き、白粉を塗っているのだそうですよ」  水を打ったような静寂の中、男は拍手喝采を受けているように誇らしく深々と頭を下げる。それでもまだ余韻に包まれる人々の中、最後尾にいる場違いな男が拍手を送った。  ハッとした群衆が夢から覚め、釣られるように拍手を贈る。 「いやぁ、語り部の物語なんていつぶりだろう。思わず引き込まれてしまったよ」 「怖かったね」 「あぁ、本当に。しばらく後が怖いよ」 「有り難うございます。ですが、所詮は物語。頭の中の幽鬼を払えば思い出す事もございません」  口々に男を称える人々に気をよくした男はにっこりと微笑み、お礼と称して今度は笑い話を披露した。先ほどとは打って変わって明るく調子のいい掛け合い、声色まで変えての一人芝居に今度は笑い声が起り、終わる頃には最初の語りなど人の頭からは抜けてしまったようだった。  語りを終えると、一人の恰幅のいい男が語り部に近づき店へと誘ってくれた。何でも茶屋をしているらしい。  そこに、背の高い青年が合流した。  短い黒髪に赤い瞳の青年は、一瞬鋭い禍月を思わせる。だが浮かべる表情はそれとは真逆で人懐っこく、にこにこと茶屋の主人と語り部を見た。 「怯えなくとも大丈夫ですよ、ご主人。これは私の用心棒です」 「初めまして、キョウと申します」  高い背をやや丸くしてにっこりと笑い頭を下げた彼に、茶屋の主人も徐々に警戒を解いていく。  キョウはぴったりと語り部の少し後についた。 「キョウ、ご親切なご主人がお茶とお団子をご馳走してくれるそうですよ」 「本当ですか! わぁ……本当に、ご親切にどうも!」 「いやいや、素晴らしい語りを聞かせて頂いたのですから」  茶屋の主人はそう言うと、語り部とその用心棒の先に立って店へと案内していった。  それにしても、語り部の歩みはまったく危うげがない。杖も持たずにスタスタと歩く彼はまるで見えているようだ。  だが、何度見ても彼の両目は閉じている。気になった主人はチラリと見やり、語り部へと声をかけた。 「足下、大丈夫ですか? なんなら手を引きましょうか?」 「あぁ、お気遣い頂き有り難うございます。ですが、ご心配には及びません。目に頼らぬ生活が長いものですと、他の感覚が優れるもの。それに、危なければこの者が助けてくれますから」  語り部がそっと背後のキョウを見上げるような動きをする。それに、忠犬のようなキョウもにっこりと微笑んで頷いた。 「そういうものなのですかね? いやぁ、不思議なものです」  そんな事を話すうち、一行は主人の茶屋へと到着した。
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