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ヨリはゆっくりと息を吸う。そして深く吐いた。
「さぞ、恨めしい思いだったでしょうね」
静かな深い声に、老女は動きを止めた。恐ろしい魔物であるにも関わらず、ヨリの手は慈しみを持って老女に触れる。そしてにっこりと微笑んだ。
「物語には、終わりが必要ですね。貴方を救う終わりを、与えましょう」
スッと息を吸ったヨリは老女の前に座り、銀の目を閉じて声を発する。透き通るような声で、老女の記憶のその先を語り始めた。
「娘の元へと戻ろうとする男の足に、母は最後の力を振り絞ってしがみついた。娘を守る為、決して離してはならない。死んだとしてもこの腕だけは離すものか。
暴れる男に踏みつけられても、母は全身で男を捕らえた。
娘は必死に帯を解くと、一目散に駆け出した。脇目も振らず慣れた森の中を、愛しい男のいる村へと。普段から山歩きをしていた娘にとってここは庭のようなもの。不慣れな男が追いつく事などできなかった。
村へと辿り着いた娘は村長の家に逃げ込み、あったことを全て話した。村の男衆が集まり、松明を持って母娘の家へとなだれ込む。
男はまだ母娘の家の中にいた。事切れた母はそれでも男を離しはしなかったのだ。
男衆に捕まった男は引き立てられ、母を殺した重罪人として首を切られて晒されることとなり、娘を守った母は立派な墓を建ててもらい、手厚く供養された。
そして娘は村長の息子と無事に祝言を挙げ、末永く幸せに暮らしたということです」
老女の目に、僅かに光るものがある。それを見届けて、ヨリは静かに頷いた。
キョウの刀が老女の首を落とす。ゴトリと落ちた首はそれでも涙を流し、塵と消えるその瞬間まで静かであった。
「……救われますかね?」
「可哀想でも、人を食らって自我を失った者が人に戻る事はありません。せめて最後、飢えを忘れてくれたのならば」
「そう、ですよね」
刀を握るキョウの手に、力が加わる。ヨリはその手にそっと触れた。雪のように冷たい手を。
その夜、二人はこの荒ら屋で一夜を明かした。外套を纏い、大きな体に背を預けるのは安心感があるはずだ。
だが、その体には体温と呼べるものはない。どれだけ胸に耳をつけても、生きているはずの音はしない。
ヨリの目には、生きている者の姿は映らない。白銀の目をそっと開け、眠るキョウを見る。そこには色鮮やかな彼の姿が映っていた。
翌早朝、まだ空が白いうちに二人は廃屋を出た。昨日の様子では心配した団子屋の主人が近くまで様子を見にくるかもしれない。
これ以上は、関わらないほうが互いの為だ。
「行きましょうか」
「はい」
二人はそのまま峠へと足を向ける。目指す当てなどない、気ままな旅の再開であった。
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