2人が本棚に入れています
本棚に追加
照明のついていないグラウンドを横目に長い坂を上る。赤色の上履きが片方だけ落ちている昇降口。白と緑色の非常口の姿だけがくっきりと見える廊下。冷たいパイプの手すりに触れて階段を踏む。ひたひたと足音だけが耳に入っていた。
ようやく三階まで辿り着くと、遠くに人の声が聞こえて、明かりのついている教室が一つだけあった。
一番奥の教室、そのドアに手をかけてガラリと開ける。
「遅かったですね」
「もう来ないかと思ったよぉ」
「早くやろうぜ」
黒板の前に立っていた黒縁の眼鏡をかけた大学生。白いシャツに黒いズボンというシンプルな装い。まさにクラス委員のような人物に見える。彼の胸元には十センチくらいのガムテープが貼られていて、そこには油性ペンで「早坂」と書かれていた。
一番ドアに近いところに座っていた女性、彼女はわざわざ高校の制服を着ていた。ガムテープは赤いリボンで少し隠れてしまっているが、彼女の名前は知っていた。彼女とは同級生だったからだ。
教卓の目の前の席で腕を組んで座っている体格のいい男。大工か、運送業か。とにかくそのような現場で働いていそうな中年の男だった。
「たーなーかーっと」
同級生の三鈴は油性ペンで名前を書いたガムテープを渡してきた。
「その格好何よ……」
「かわいいっしょ」
田中たちが高校を卒業したのは五年も前の話。もう大学も卒業して、田中は社会人、三鈴は大学院生だと言うのに。
幸か不幸か、童顔の三鈴が当時の制服を着ていても何も違和感がなかった。
「遅刻ギリギリです、田中さん」
わざとらしく眼鏡をくいっとする仕草。クラス委員こと早坂はこの企画を言い出した張本人だった。
「ごめんなさい、仕事が長引いてしまって」
「姉ちゃん休日まで仕事してんのか」
教卓の前の男、辻田が言う。
「あ、はい」
「今どき珍しいことでもないだろ」
教室の中心辺りから低い声がした。集められた人数は大体一クラス分。初対面の人が圧倒的に多い中で誰の発言かはわからなかった。
「どこかに座ってください」
「はい」
早坂は白いチョークを持って教卓に手をついた。
「今回主催の早坂です。お集まりいただきありがとうございます」
田中は窓際の一番前の席に座った。その時にちらりと周囲を見る。今回も変わらず年齢層が広い。上は既に髪が真っ白なおじいちゃんから、下は今年卒業したばかりの早坂まで。
「ではまず参加費を集めます」
田中は立ち上がり教卓の上から一枚のビニール袋を取る。それを広げて一人ずつ席を回る。顔と名前を覚えるチャンスだ。
この参加費回収は最後に教室に入った者の役目。出席のチェックと名札づくりは最初に教室に入った者の仕事だ。
「お久しぶりです、先輩」
聞き覚えのある声。そうだ、体育祭の時に面倒を見た一つ下の男の子。
「御堂くん、久しぶり」
彼は当時野球青年だった。年中坊主で、顔自体は整っているのに彼女ができたことはなかったという。
「では、恒例の椅子取りゲームを始めます」
まだ参加費の回収は終わっていないのに早坂はそんなことを言う。
ここに集う人々は皆、この歴史ある高校の卒業生だ。卒業生専用の掲示板で参加者を募集し、こうして時々集まっている。集まった人々に年上も年下もない。卒業生という平等な肩書だけだ。
「大人の本気の椅子取りゲームだぁ!」
「おー!」
最初のコメントを投稿しよう!