取り合いの崖

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北陸線を福井方面に向けて列車は走っている。 窓ガラスを通して車内に入ってきた太陽光がタクミの右頬をじりじりと照らし出したので、ブラインドを下げた。 「ねえ、怖い?」怜子がタクミに聞いた。 「いや、怖くはないさ。だって、賢司は、友人だもん。たとえ幽霊になって現れても、賢司は賢司だし。僕に危害を加えることなんてないしさ。」 そう言って、少しだけ残っていたペットボトルのウーロン茶を飲み干した。 「それよりさ、今日は、悪いね。僕の思い付きのせいで、遠出させちゃって。」 タクミは、急に半年前に自殺した友人の賢司のことが気になって、付き合っている怜子と一緒に、自殺現場に向かっていた。 怜子は、子供のころから、いわゆる霊感が強くて、死んだ人が見えたり、話したりもできる特異体質の持ち主なのだ。 そこで、自殺現場に行けば、賢司の自殺した理由が解るんじゃないかと考えたのだ。 「いいよ。そんなこと。だって、あたしは、今日はデートだと思ってるよ。」 そう言って、目尻を下げて笑った。 「でも、そこに賢司の魂はいるのかな。もう、天国とかに言ってるんじゃないかな。」 タクミは、自殺現場に行ったとして、賢司に会えるかどうかは、確信が持てていなかったが、どうしても行きたくなっていたのだ。 「うん、でも、自殺なら、その場に留まってることが多いから、まだいるかもしれないよ。」 「そうなんだ。もし賢司と会えたら、自殺の原因を聞いてみたいんだ。どうしても、賢司が自殺するなんて考えられないんだよね。」 「そうだね。賢司さんって、その時、彼女と温泉旅行に出かけていたんでしょ。幸せの真っ最中だったのよね。でも、そこで、彼女を置いたまま、賢司さんだけ自殺した。やっぱり、何か変よね。」 「そうだろ。自殺の原因なんて思いつかないよ。それか、単なる事故だったのか。うっかり足を踏み外して崖から落ちたとか。でも、目撃者もいるからね。ふらふらと賢司だけ、崖の方に歩いて行ったかと思うと、そのまま崖の下に飛び降り自殺したらしいんだ。彼女のマリ子さんも、止める間もなく、飛び降りたらしいよ。」 「彼女の目の前で、崖の下の飛び込んだ、、、。何があったんだろう。」 自殺現場は、福井のとある駅から、バスで1時間ほど行ったところにある。 昔から自殺の名所と知られているところだ。 北陸の温泉に行ったら、その自殺の名所と言われる場所に行くのが、定番の観光コースである。 バスを降りたら、自殺現場の崖に向かう。 途中には、土産物屋が崖まで続いている。 「あー、いい香り。あたしね、この醤油が焦げた匂いが好きなの。ねえ、イカ焼き食べようよ。あ、サザエもいいな。」 「はは。怜子は、こっちが目的だもんね。でも、先に進もうよ。だって、イカ焼きにサザエのつぼ焼きっていったら、ビールでしょ。先にビール飲んじゃって、怜子の霊感が働かなかったら、来た意味がないもん。」 「そうだね。あー。でも、イカ焼き食べたいなあ。帰りは、いっぱい食べるからね。あー、イカ焼き食べたい―。」 あっちこっちのお店の前に置かれたイカ焼きの見本を見て、目を輝かせている。 こういう子供っぽいところがタクミは好きだった。 「はいはい。分かったから。帰りは絶対食べるからね。」 自殺の名所まで来たら、急に視界が開けて、100メートルぐらい断崖が続く。 海からの強い風が、松の枝を、ヒューヒューと、この世の物とは思えない幽玄な笛のように鳴らせている。 ゴツゴツとした岩場を歩きながら、断崖の方に行くと、そこは自殺の名所とは思えないほど、風光明媚で、昼間の明るい空のせいだろうか、むしろ爽やかな風が気持ちいい。 怜子は、崖の下に向かって、右手を差し出した。 そして、目をつぶって賢司の行方を探った。 「賢司さん、いますか。賢司さん、いますか。」小さく呟きながら、10分ほど意識を集中してみたが、賢司の魂を見つけることが出来ないでいた。 「ダメだわ。あたしの霊感では、賢司さんを見つけられないよ。」と言った。 近くの崖に腰かけて、それを見ていた男が怜子に声を掛けた。 「誰かを探しているのかね。それは、自殺した人なのかね。」 怜子は、ちょっとビックリしたけれども、「ええ、ここで自殺した人にコンタクトを取りたくてきたんです。あたし、少し霊感があるので、もしかして、何か声でも聞こえるかなと思ったんですが、ダメでした。何も感じられません。」 「やっぱりな。わしも霊感が少しあるから解るんだけど。ここで探しても、自殺した人は見つからないよ。」 「えっ。ここではダメなんですか。」 「ああ。ここで自殺した人は、何故か潮の流れで、あの向こうにある、ほら鶏の形をした岩があるだろう。あそこに流れ着くんだよ。だから、魂も、あそこに留まってることが多いんだよ。」 「ありがとうございます。じゃ、あっちへ行ってみます。」 「いや、行かない方がいい。あそこへ行ったら、ロクなことがないよ。あそこは、ここより危険だ。」 「危険って。何があるんですか。」 「ああ、あそこはな、私らの間では有名な心霊スポットなんだよ。『取り合い崖』っていうんだけどな。自殺した人が、天国に行けずに、あの崖の下に縛り付けられているんだ。でも、暗い海に一人でいるのは寂しいから、訪れた人を誘うんだな、海の底のあの世に。男なら女を、女なら男をね。カップルで行ったら、その自殺した魂と、カップルの片方とが、恋人を取り合うんだな。だから取り合い崖っていうようになった。ひょっとしたら、あなたの探している人も、そこで死んだのかもしれんぞ。でも、あそこは、特にカップルでは行かない方が良い。」 「そんなところがあるんですか。なんか、怖い。」急に怜子の顔が固まった。 「うん。そうだ。行かない方がいい。」 「ねえ、どうする。もう帰ろうか。イカ焼き食べてさ。ビール飲んで。うふ。」 そうタクミに言って、笑った。 「うん。そうだね。でも、折角ここまで来たんだし。賢司がいるかもしれないんだよ。たとえ、誰かが呼んでも、絶対に行かないし、怜子も行かせないよ。僕がいるから大丈夫だよ。」 タクミは、取り合い崖なんて、地元の単なる肝試しの話ぐらいにしか思っていなかった。 「そう。大丈夫かなあ。ちょっと心配だなあ。でも、タクミが言うなら、行ってみるだけは行ってみてもいいけど。」 「大丈夫だよ。僕には、怜子しかいないんだから。どんなに美人の幽霊でも、誘われたら『ごめんなさい』だよ。それに、これって、ひょっとしたら、僕たちの愛をためされてるのかもしれないよ。」 「そうかな。タクミさん、サラサラロングヘア―のミニスカートのえくぼの可愛い女の子の幽霊に誘われたら、きっと『こちらこそ、お願いしまーす。』なんて、手を差し出したりして。」 「『怜子。今までありがとう。それじゃね。』ってバイバイしたりしてね。」 「あははは。そうそう。絶対、そうだよ。」 「大丈夫。ちゃんと、怜子を守ります。それに、誘惑されても断ります。」 「解った。じゃ、ちょっとだけ行ってみる。でも、何か変なことが起きたら、すぐ帰ろうね。」 「ああ。分かった。」 「行っちゃダメだ。」 男の声が後ろから聞こえたが、タクミと怜子は、お辞儀だけして歩いて行った。 5分ほど歩くと、鶏の形の岩にたどり着いた。 崖の下を覗くと、驚くほど波が静かだ。 風も、さっきよりは、穏やかで、半袖のシャツから吹き込んでは、身体の後ろに抜けて行くのが気持ちいい。 怜子は、崖の下を見ながら、右手を前に出して霊感で様子を探っている。 すると、すぐに震える声で言った。 「あ、ここスゴイ。」 「何か見える?」タクミは、気になって、怜子が集中しているのも忘れて隣から聞いた。 「うん。魂と言うか、幽霊なのかな、30人ぐらいいるよ。あたしが感じるだけでも、それだけは確認できる。あ、そうだ。賢司さんだよね。ちょっと待って。」 そう言って、賢司の名前を呟きながら、崖の下を見ている。 すると、崖の下の一点を見つめて、「あれ、ひょっとして賢司さんかも。」と言った。 「いるんだね。ここに賢司が。」 「ええ、写真で確認した人だわ。間違いないわ。でも、誰か知らない女の人といるみたい。ひょっとして、前からここにいる魂で、自殺したときに賢司さんを呼んだ女の人かもしれないわ。」 そう言ったら、しばらく黙り込んでしまった。 横で見ていると、口を小さく動かしている。 崖の下の賢司と、霊感で会話をしているようだ。 「あ、そう。今は、幸せなのね。じゃ、良かったけど。みんな心配していたのよ。」 怜子は、小さい声でハッキリとそういうのが聞こえた。 「ねえ、タクミさん。賢司さん、この崖の下にいるよ。それで、若い女の人と一緒にいるんだけど、その女の人が賢司さんを崖の下に引き落としたみたいなの。でも、今は、2人とも魂だけの幽霊になって、崖の下で幸せにしてるみたい。」 そう怜子が崖の下を見ながら言って、ふとタクミを見て、怜子は、背筋の凍るような驚きに襲われた。 タクミの顔が、真っ青だったのだ。 「ねえ、タクミさん。大丈夫、しっかりして。」 タクミは、その声が聞こえていないのか、崖の下を見下ろして、気の抜けたような笑い顔を見せていた。 「ねえ、大丈夫?」 そう怜子は言った時に、気が付いたのだ。 崖の下で、タクミを見つめる若い女がいたことに。 「タクミさん。崖の下を見ちゃダメ。あれは、死んでる人なのよ。ねえ、もう帰りましょう。」 タクミの腕を取って、後に引っ張ったが、タクミは何かに憑りつかれたような状態で、ピクリとも動かない。 崖の下の女を見ると、不気味な表情で笑っている。 「あなた、あたしのタクミさんを連れて行かないで。」そう崖の下に向かって叫んだ。 すると、女は、怜子を見て、「あなたが、この人の恋人なのね。でも、あたしが貰うわ。だって、あたし寂しくて耐えられないもの。」 そう言って、女は、両手をタクミの方に向かって差し出した。 その顔は、自殺したときに損傷したのか、半分崩れて目が落ちそうになっている。 ニヤリと笑ったら、髪の毛が波に流されていった。 「ねえ、タクミさん。目を覚まして。あの女は生きていないのよ。タクミさん、あたしを見て。」 しかし、タクミには、その声が届かない。 ぼんやりと崖の下を見ている。 怜子は、足が震えて、どうしたら良いかも思いつかない。 周りに助けを呼ぼうにも誰もいない。 女は、まだタクミを見ている。 すると、女の顔が、怜子の顔に変化してる。 女が、怜子を見て、「あたし、こんなことも出来るのよ。もう肉体が無くなってしまったから、タクミさんの脳に、あたしの思念を送ることが出来るのよ。彼には、あたしが、あなたに見えている筈よ。あははは。」 もう勝負に勝ったような表情で崖の下の怜子の顔が笑った。 心底、怖いと思った。 でも、ここで負けるわけにはいかない。 負けることは、タクミが死ぬことなのだ。 怜子は、必死になって、タクミのこころを現実に引き戻そうと考えて、さっきの会話をおもいださせようとした。 「タクミさん。これからイカ焼き食べに行くんでしょ。ねえ、早く、いますぐ行くよ。」 そうタクミに向かって、出来る限りの大声で叫んだ。 すると、タクミは、ハッと一瞬、正気に返って怜子を見たと思ったら、「怜子、僕は、もうダメだ。怜子だけでも逃げてくれ。早く逃げるんだ。」そう言ったかと思うと、怜子を後ろに突き倒した。 怜子は、思わず声を上げて倒れたが、その瞬間、タクミは崖の下に身を投げていた。 崖の下を見ると、無残な姿になったタクミが見える。 怜子は、もう半狂乱で、その場で泣き崩れた。 どれだけの時間を泣いていたかは覚えていない。 その後、警察が来て、事情聴取があったが、さっきの取り合い崖の事を教えてくれた男性が、怜子のせいではないことを証言してくれたので、次の日には、遺体を引き取って大阪に帰ることが出来た。 その後の怜子は、魂の抜けたような状態が続いた。 そして、月日は流れて、半年後の事である。 怜子は、タクミの事が気になって、気が付いたら北陸本線のサンダーバードに乗っていた。 まだ、タクミの事が忘れられないでいることを怜子自身感じていた。 電車を降りて、バスに乗り換え、取り合い崖にやって来た。 怜子は、崖の下を、覗いてみる。 もう、この時点では、怜子は腹をくくっていた。 タクミが死んだことは事実なんだ。 いまさら、追いかけても仕方がないと。 でも、もう一度、タクミに会いたい。 崖の下を見ながら、意識を集中した。 すると、崖の下に、タクミが、例の女と抱き合ってキスをし続けている姿が見えた。 「タクミ!何をやっているのよ。その女は、あなたを殺した女なのよ。」 分かってはいたが、急に怒りがこみあげてくる。 死んだタクミを心配して来てみたが、そのタクミは、今、崖の下で、タクミを殺した女と抱き合って、しかもキスをし続けている。 許せない。 そう思った。 「タクミ!あたしのことを忘れたの。怜子よ!その女は、ヒドイ女なのよ。」 そう言ったが、もうタクミは死んでいるのだ。 すると、その声に気が付いたのか、タクミが怜子を見上げた。 「あ、怜子なのか。ごめん。今は、こっちの世界で幸せにやってるんだ。彼女が寂しがり屋だからさ。もう少し、こっちの世界にいることにするよ。」 屈託の無いタクミの笑顔が、怜子の愛を憎しみに変える。 女は、タクミの腕の中で、不気味に笑っていた。 こんなことなら、来なければ良かった。 ただ、情けなくて涙が流れる。 怜子は、歯を食いしばりながら、その場に立ちすくんでいた。 すると、崖の下から、怜子を呼ぶ声がする。 「怜子!俺だよ。俺。和夫だよ。」 ビックリして崖の下の男を見ると、高校生時代に憧れていた先輩がいる。 いや、そんなことはない。 先輩が、こんな崖の下にいることは考えられない。 確か、結婚して子供も2人いて幸せに暮らしていると同窓会で聞いた記憶がある。 「あなた、誰なの?」 「だから、俺だよ。和夫だよ。ねえ、ちょっと話がしたいんだ。」 そう言われて、怜子は高校時代にタイムスリップした気持ちになった。 いや、しかし、今、目の前にいるのは、先輩じゃない。 先輩は、まだ生きているはずだ。 ということは、目の前にいる先輩は、或いは、自殺した魂が、先輩に成りすまして、あたしの脳に先輩としての幻想を見させているに違いないと、怜子はまだ、冷静に考えていた。 「あなた、先輩じゃないでしょ。先輩はまだ生きているのよ。」 大声で怜子は叫んだ。 すると、先輩は、悲しそうな顔になって、「怜子がそう思うんなら、仕方がないな。でも、今は、僕は独りなんだ。孤独で寂しくて、仕方がないんだ。」そう言って、泣き出したのだ。 そして、「助けてくれ、、、怜子。」 そう言ったかと思うと、手に持ったナイフで、先輩は自分の手首を切った。 流れ落ちる血で、あたりの海が赤く染まる。 「ちょっと、何やってるのよ。」 ビックリして怜子が叫んだ瞬間、怜子の頭の思考回路がショートしてしまったのか、何も考えることが出来ずに真っ白になってしまった。 「行かなくちゃ。助けに行かなくちゃ。」 怜子は、知らず知らずのうちに、崖に向かって歩いていた。 後ろで、いつか聞いたことのある男性の「行くな。」って声が聞こえる。 気が付くと、怜子は崖の下にいた。 目の前に横たわる血だらけの怜子自身を見た時、ああ崖から飛び降りてしまったんだなと気が付いた。 しかし、もう遅い。 自分の死体を目の前にして、茫然としていた。 ふと目の前の先輩を見ると、崖の上で見た先輩とは違う顔に見える。 「ごめんね。あまりに寂しかったから、君の頭の中の先輩の顔になりすまして崖の下に誘ったんだ。」 そういう男の言葉を聞いても、不思議に怒りは覚えなかった。 よく見ると、なかなかのイケメンじゃない。 男が、そっと怜子を抱きしめた。 「ずっと、僕のそばにいて欲しい。」 そう言われると、何故か温かいものが胸のあたりを包む。 周りを見ると、賢司さんも、タクミさんも、幸せそうに彼女と抱き合っている。 この世界では、もう生きて行く努力をする必要もない。 ただ、この男の胸の中に身を任せていればいいんだ。 そう思うと、何故か幸せを感じる。 すると、何人かの視線を感じた。 10数人の男や女が、怜子を羨ましそうに見ている。 そうだったんだ。 そうだよね、寂しいよね。 怜子は、その男と女に、優しく言った。 「うん。あなたたちも彼女や彼氏ができるように、あたしも協力してあげるね。」 そういうと、男と女たちは、嬉しそうに怜子に手を合わせた。 怜子は感じていた。 幸せって、こういう事なのかなと。 そして、怜子は男のキスを受け入れた。 温かい海の底から海面を見上げると、キラキラと太陽の光が綺麗だった。
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