花の柵 ~はなのしがらみ~

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「いらっしゃっせー」 色とりどりの花が並ぶ駅前の花屋。 店前を通る人々は昼夜問わず入り乱れる。 朝方は通勤、通学ラッシュに揉まれる人々。 昼は午前中に授業が終わったであろう大学生や、都心まで買い物へ向かうご老人たち。 夕方からは帰宅ラッシュを乗り越えた勇者が次々に住宅街へと消えていく。 深夜には顔を火照らせながら千鳥足で列をなす酔狂な人々。 一日中店先に居ればそれら全てを見渡すことができるだろうが、花屋が開く時間には限りがある。 それはまた、先程からずっと店にも入らず外に並んだ商品を眺める男も同じなのだ。 真昼間にスーツ姿、ネクタイもスーツの裾も襟も引き締まっているのに、顔だけは腑抜けたような、かといって沈んでいるわけでもなく、ただ”引き締まっていない”といった顔つきだ。 「あの、すみません」 「はい?」 さっきまで引き締まっていなかった表情が少しだけ覚悟を決めた顔つきになり、今流行りのくすんだ灰色をしたショートボブの女の子に「すみません」と強張った声で話しかける。 英語で言うと「Excuse me」だ。 そこでアルバイトの女の子から発せられる言葉は「はい?」だ。 そう、英語で言うと…あれよ、「year」とか「yes」とか、そう、そんなもんよ。 「こちらの花って…」 「あぁ、ユリの花っすね」 おいおい、お嬢さんや。もう少し愛想よくできないの。 「あ、そうですか。あの、は、花言葉とかって」 「花言葉?」 「はい」 ほらほら花言葉聞かれちゃったよ。大丈夫?答えられる? 「えっと…確かユリの花言葉は『純粋、威厳』っすね」 「純粋、威厳ですか」 「えぇ確か」 やるじゃん。 「じゃ、じゃあこちらは…」 「カスミソウっすね」 「カスミソウ。そ、その、花言葉って」 「カスミソウの花言葉は確か『純潔』っすね」 「純潔ですか」 「えぇ、確か」 なんだ、曖昧だけどちゃんと覚えていたんだ。 「でっ、では!」 「うぉ!びっくりしたァ!」 びっくりしましたね! 「あ、すみません!」 「い、いや良いんすけどね」 「私いつもこんな感じで」 「はぁ、そっすか」 「そうなんですよ。だからいつも職場の人にも迷惑かけてしまって。なんだか落ち着きないしミス多いって言われてしまうんですよね」 「はぁ、そっすか」 「昨日も会社の発注リストに記載する数を間違えて、ダンボール箱を4488個発注してしまって」 「なんちゅうミスしてんすか」 「本当は448個だったんですよ。覚えやすいように語呂合わせで448で『よっしゃぁ(448)』って唱えていたんですが、いざパソコンを目の前にしたら『よっしゃぁ(4488)』だと思い、間違えて打ってしまったんです」 「覚え方独特っすね」 「よく言われます。そのせいで何度もミスをするんです」 「じゃあ直しましょうよ」 「治さなきゃとは思ってはいるんですが…どうにもうまくいきませんね」 「はぁ、そっすか」 もう少し優しく聞いてあげようよ。 おっちゃん寂しそうだよ。 「ま、間違えることにも慣れてしまったんですがね」 心配した私がバカでした。 「それで、あの、因みにこちらの花は」 「スイートピーっすね」 「その、花言葉は」 「思い出」 「え、あぁ、そうですか…そうしたらこちらの」 「マリゴールドっすね」 「えっと、花言葉って…」 「『絶望』っす」 「そ、そうでしたか。なんだかちょっと…あ、じゃあこちらは」 「カモミールっすね」 「その…そちらの」 「逆境に耐える」 「え?」 「花言葉っすよね」 「あ、いや、まぁ、はい。あはは」 「あと、これ以上は分からないっす」 「へ?」 「お客さんには申し訳ないんですけど、ウチそんなに花に詳しくないんで」 「あ、そうなんですか…」 「まぁ、バイトなんで」 「あ、あぁ…それはその、すみません」 「あんま謝らないでください、面倒なんで。というか返す言葉のバリエーション増やさなきゃいけないのでちょっと勘弁願いたいっす」 「え、あ、はい。すみません」 「……」 「あ、まぁ…そうですよね」 「……」 「えぇっと、じゃあ、私はそろそろ行きますね…お邪魔しました」 「……」 「では」 「お兄さん、どうぞ」 「はい?」 「いま店で余ってる花っす。そんなに数もないので商品として出せないんすよ。だからどうぞ」 「い、いいんですか」 「まぁ…何か可哀そうだったんで」 ほとんど君のせいだけどね!! 「あ、ありがとうございます。奇麗なお花ですね、因みになんという」 「それと今後、花屋の店員にあまり花言葉を聞かない方がいいすよ。無数の花の花言葉をすべて覚えてる人なんていないと思うし、そもそも花言葉って国によっても言語によっても意味が異なったりするんであんまり鵜呑みにしない方がいいんすよ」 「え…そうだったんですか」 「まぁ、はい」 「それは申し訳ないことを…あっ」 「またっすね」 「はい」 「でもま、だからこそなんつーか、新しい花とか、自分が知らない花とか見つけたら…勝手に新しく花言葉つけちゃってもいいんじゃないんすかね」 「新しく花言葉ですか」 「うっす。誰もいないところで好きに名前つけて、好きなように意味を考えるくらい、別に怒られやしませんよ。あ、ウチら花屋も怒らないんで大丈夫っす」 「……」 「なんすか」 「いえ、ちょっと落ち着きました」 「そっすか」 「はい。あの、今日はありがとうございました」 「いーえ」 「これから帰るまでに色々と考えてみようかと思います」 「そっすか」 「はい。…では、失礼します」 つい数分前までの男の顔は明らかに引き締まっていなかった。 けれども、たった今店の外へと足を運ぶ彼の背中はほんの少しだけ、本当にちょっとだけだが足取り軽そうに小刻みに揺れていた。 きっと顔は相変わらず引き締まってはいないのだろう。 いや、男だからといって。 スーツを着ているからといって何も引き締める必要はないのではないか。 花に勝手に意味をつける人間のように、人間もまた人間に勝手に意味をつけてしまっているんじゃないかな。 …とか、言ってみたり。 「店長、何してんすか。休憩変わってくださいよ」 やべ、休憩長くとってたのバレた。 しょうがない。そろそろ働きますか。 と、思いながら重い腰を上げる私であった。 「ところでさっき何のお花あげたの?」 「あー…見てたんすか。今朝残っててレジ裏に寄せたやつですよ」 ほーん。 上手いこと照れ隠ししたつもりかは知らんが、私の目はそんなに甘くはないぞ。 君が挙げた花は『ガーベラ』で、花言葉は『希望』!! さっきこれ以上は知らないって言ったくせに、ちゃんと覚えてんじゃん。 ま、そんな可愛げがあるから、多少ぶっきらぼうでも雇ってるんだけどね。 「店長、何笑ってんすか」 「あっ、いや何でもないよ。いい天気だなぁって思ってさ!」 「はぁ、そっすか」 「うん。そんなことよりもお疲れ様。休憩行ってきていいよ」 「うっす。じゃあ休憩もらいます」 「いってらっしゃーい」 ふぅ。 今日もいい天気だ。 ほんとうにいい天気だ。 これだけ暖かけりゃそろそろ夏が来ちゃうんじゃないかな。 ってことは夏のお花も入荷させなきゃな。 というかそもそも「これは夏の花です!」ってのは誰が決めたんだろう。 暖かくなって意気揚々と生きている花達に、人間が勝手に名前と意味を付けたんだろうか。 そうだよなぁ、きっと。 「あ、店長そういえば」 「うん?」 「さっきあげたやつの中にスタンプカード入れといたんで。あのお兄さん、また来るんじゃないですかね」 くぁ~!ぬかりねぇな!
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