決死の脱走劇(2)

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決死の脱走劇(2)

 いち早く気配を感じ取ったラーテルさんが眉根を寄せ、寮の正面玄関へと視線を向ける。それにならって目を向けると背の高いオリーブの植え込みの陰から、髪を下ろし、バスローブに似た白い寝間着を着たエルクさんが、竹刀を片手に芝生を蹴り、足早にこちらへ歩いてくるのが見えた。ど、どうしよう?? 私はパニックになってしまい、開け放した出窓の前、机の上にへたりこんだままぶるぶるふるえて……情けないことに身体が動かなくなってしまった。  その合間に大股で庭を横切ってきたエルクさんは、ラーテルさんから少し離れた位置で立ち止まり、腕を組み、仁王立ちで私たちを見下ろす。青白い月の光を背にして逆光でよくは見えないはずが赤みがかった瞳は怒りで燃え上がっているのがわかる。  立ち上る気配は殺伐としてて、あんなに怒ったエルクさんを私は今まで見たことがない。彼女から発せられるピリピリと肌をさす恐ろしい雰囲気に打ち負かされ、私は耳としっぽを下げ、口をあいまいにあけたまま我を失ってしまった 「エルクさん、申し訳ありません。アーミーは無関係です! 彼女とは、たまたまここで鉢合わせただけ」  こんな恐ろしい空気のただ中にありながらラーテルさんは全く屈しない。エルクさんに視線をやったまましゃがみ、芝生に置かれた剣を背にはく。そしてすらり、と、ぬき放った。 「私は何度もあなたにティーナへ行かせてくれと頼んできた。でもそれは許されなかった。ですが……私は諦めるわけにはいきません」  月影を受け、白銀色の刀身が彼女の固い決意を顕すかのように強い光を放つ。まさか!? ラーテルさん、エルクさんと戦うつもりなの!? 「あなたを倒して港町へ参ります」  ラーテルさんが前屈姿勢をとり、重たい剣を軽々と両手で構え、前方へと駆け出した。千切れた草が舞い上がりあっという間に私の視界から彼女の姿が消える。 「ラーテルさん! エルクさんと戦うなんて絶対ダメ!」  戦いについては、「ど」がつくほど素人の私だけれど、ラーテルさんがエルクさんにかなうなんて思えない! ということはつまり、ラーテルさんが大ケガをしてしまうってことじゃない!? そう思うが早いか金縛りが解け、私は出窓から髪を振り乱し、カボチャパンツのパジャマ姿のまま裸足で飛び出し、ラーテルさんの背中を追った。でも当然のことながら、彼女に追いつけるはずがない。 「がっ!」   聞いたこともないラーテルさんの呻き声が上がった次の瞬間、彼女は私の横をすり抜け、今しがた飛び出した窓横の石壁に背中から激突し、崩れ落ちた。剣が芝生に投げ出され甲高い音を上げ落ちる。何が起きたかわからなかったけれど……エルクさんの竹刀が無事なところを見ると、多分、竹刀で彼女の攻撃を受け流し、もう片方の手でラーテルさんを突き飛ばしたんじゃないかな。  お腹の辺りを押されたのか、呼吸もままならなさそうなラーテルさんに向かい、エルクさんがズンズン近づいてくる。ダメ! これ以上何かあったら、ラーテルさん、死んじゃう! 「エルクさん! ラーテルさんを叱らないでください! 私も同じです! 私もティーナに行こうと思っていたんです!」  何も考えずラーテルさんの前に飛び出し手を広げた。目前に立つエルクさんの姿はいつもよりずっと大きく見え、とっても恐ろしくて、逃げたくなってしまうけど……でも私、言わなくちゃ! 「エルクさんもオウルさんも、あの事件は代表者の責任だって、私は気にするなとおっしゃってくれました。でも私の責任だってあるはずなんです! なのにオウルさんはたった一人で危ないところに向かい、大変なお仕事をされている……そのせいでメンバーみんなが不安で、辛く思っている。それを私、知らんふりできません!」  エルクさんの憤怒の表情を見上げ、その目をじっと見つめ返す。右手でグッとペンダントを握りしめる。お父さん、お母さん、力を貸して! 「オウルさんは上司である以前に調査課の大切なメンバーの一人なんです。だから私……助けに行きたい!」 「ボ、ボクもいきますう! オウルさんや、お友達がケガするところ、みたくないものぉ。それが、よわのよわのボクが大好きなみんなのために出来る、たった一つのことだからあ!」  え? 今思いもしなかった声がして、私は後を振り返った。ええ! いつの間に!? 白いネグリジェを着たレトが、うめくラーテルさんの腕をつかみ、魔法で治療しつつ、やっぱりレトも怖いのかしっぽも耳も下がってるけど目をつぶりながらも一生懸命にエルクさんに抗議してくれる。レト……。 「俺も旦那には借りがあるしなあ。何よりアーミーが行くっていうからには、俺も行かなきゃダメでしょ?」  え? え? 今度は右隣から声がして驚いて、横を見ると……いつからそこにいたの!? ついさっきまでいなかったサクヤが、黒のランニングシャツに、膝丈のパンツ姿で立っているじゃないか! 指で黒のピアスを弾いて揺らし、ニヤリと不敵に笑う。途端、サクヤの指先から生まれた小さく青い電光がバチバチと音を立て、彼の腕の周囲を駆け回る。 「アーミーといちゃつけなかったけど、日に当たって力はためられてる。ウルカス! 久しぶりにお互い惚れた女の意地をかけて、やるか?」  ウルカスさん? サクヤが指差し、名前を呼ぶまで全くわからなかった。エルクさんの背後、影のようにして付き従っていたらしいウルカスさんが茂みから姿を現した。植え込みが落とす黒い影をまとうウルカスさん。でも……あれ? あれは影だけじゃない? 闇夜から溶け出した黒いモヤが、ウルカスさんの両腕や、背、お腹を這っていく。腕をつたう闇は長く禍々しい形をした剣に。体を這う影は黒い鎧へと姿を変えていく。あれが……ウルカスさんの魔法? そういえばウルカスさんて、尻尾も耳も持っていなかった……ということは悪魔、なのだろうか? 風、火、土、水どれでもない。あんな怖そうな魔法……私は今まで見たことも、聞いたこともない。 「これは!? 一体何が?」  こんな状況で寝てられる方がおかしい。ジャンさんがウルカスさんの背後から飛び出し、その姿に視線を奪われ言葉を失った。その姿を見るなり、私はハッと我に返る。 「サクヤ、ダメ! ウルカスさんまで! 戦いはダメです! 話し合いで」  黒い瞳を赤く光らせるウルカスさんから視線が外せないまま、サクヤの腕をつかむ。なんとか止めないと! これじゃケガ人が増えちゃう! 「アーミー……話し合いでどうにかなる相手ではありません」 「わからんやつだな。最初に、かわした契約を忘れたか? 王命は……絶対だ」  サクヤを止めようとする私の背後でラーテルさんの声がした。レトのおかげで持ち直したんだ! でも落ちていた剣を拾い上げ、また構えようとしている。レトが止めようとするけれど、それをふりほどき、ラーテルさんはエルクさんを見上げる。エルクさんもそれに応え、竹刀を構え直した。  オウルさんを助けたいだけなのに! なんで大切な寮の人たちが戦わないければならないの!? どうしてわかってくれないの!? 「もうやめてください! 家族を亡くした私にとって、エルクさんは頼もしいお母さん、ウルカスさんは頼り甲斐のあるお父さん、ラーテルさんは優しいお姉さんみたいな気がしてて……私にとってみんなは家族みたいな大切な存在なんです。だから、傷つけ合うなんて、絶対イヤ! やめてください!」  もう片方の手でラーテルさんの腕をつかみ、私は目の前で竹刀を構えたエルクさんを見上げて叫んだ。知らぬ間にポロポロ涙があふれてしまい、口もへの字に曲がってしまい、ものすごく情けない顔をしてしまったけれど、不意にエルクさんの瞳がいつもの優しい色に戻る。 「……アーミー」  その声にさっきまでの殺気も、刺々しさも感じられない。でも罰として、振り上げた竹刀でぶたれるかも? と覚悟を決めたその時だ。 「あああああ!? てめえエルク! お前、俺のアーミー泣かせてんじゃねえぞ! なぁにがアカツキのゴーケツだ! 子供の笑顔と未来を守る〜だ! 口ばっかじゃねえか、この、イッテええええ!」  サクヤ!? って、あなたもウルカスさんを煽って、私を泣かせた張本人なんだけど?? と反論するより先に、高々と掲げられた竹刀の下で動けなくなった私とエルクさんの前にサクヤが割り込んできた。もしかして、かばってくれた……の? 直後、エルクさんの瞳にまた怒りの色が戻り、振り下ろされた竹刀の一撃が、闇を切り裂く風切音と共にサクヤの脳天にみごと……ひええ、炸裂した。今サクヤの頭、一瞬凹の形にへこんだ風に見えたけど……? だ、大丈夫かな……。 「寮に入る前に規則の説明はしているだろう! 王の命令に背き、無断外泊を企むとは、厳罰ものだ! 一週間、全員、自室謹慎を申し付ける!」  その場にしゃがみ込んで頭を抱えるサクヤの横に、座り彼の肩に手をかける。なんで今この時にサクヤが、伝説の勇者様の二つ名を出したかかわからないけれど……。もうこれ以上はやめてほしい、と懇願するようにエルクさんを見上げた。エルクさんは一瞬私を悲しそうな瞳をして見下ろし、なぜか背後、寮と外の街道を隔てる外壁に一瞬視線を向け……竹刀を腰にしまった。でも、もう一度私たちをものすごく恐い顔をして見下ろし、再度怒鳴りつけられる。 「とにかく中には入れ。お前ら全員まとめて食堂で説教だ!」
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