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決死の脱走劇(1)
静まりかえった自室の正面に一つだけある出窓。そこに掛けられたベージュの遮光カーテンの隙間から差し込む、細く淡い水色した月明かりは、ベッド脇の床に落ち、小さな光溜まりを作っている。
「はあ……」
数え切れないほどの寝返りをうち、またその月明りに目を向け、私は何十回目かのため息をついた。胸は不安に押しつぶされひしゃげてシクシクと痛み、全く寝付けない……。
食事会の後、だいぶ遅い時間になってしまったのもあり、エルクさんに片付けは自分がやるから、速やかに自室に戻り休むよう言付けられ、みんなと話し合いもできぬまま解散という流れになってしまった。そのせいで、余計に気持ちは沈むし、悪い方へ悪い方へと考えてしまう……。
昼のソロルの話もそうだけれど、あの食事会で「そうであって欲しくない」と願い続けてきた心配事が現実に起こっていることを知ってしまった。オウルさんと王様が話した調査依頼のこと、きっと一緒にいたサクヤは知っていたに違いない。でも、昼の様子からするとオウルさんに口止めされているのか、私を傷つけないためかずっと黙っていたんだろう……。
オウルさんはやっぱり、あの前回の冒険での出来事、ーー私たちを研修用でないダンジョンに連れて行き、悪魔のサクヤを起こしたこと、の責任をとって、たった一人でティーナという港町のダンジョンに行かされてしまったんだ……。灯台の光が消えてしまったという意外にもきっと、様々な問題が起きているのだろうし、もしかしたら危険な目に遭っているかもしれない。
そもそも……サクヤを起こしたのは私なんだ!
ぎゅっと目をつむり、形見のペンダントを握りしめる。オウルさんは悪魔にはいい悪魔もいると言っていたし、実際オウルさんも、サクヤも悪魔とはいえ良い人たちだし……私は大好きだ。でも、そう思っていない騎士団の副団長、バルトさんみたいな人もネオテールにはいっぱいいる。バルトさんにも、しばらく会えていないけれど、サクヤと仲良くしてる私のことなんて、ますます嫌いになっているだろうな……。ダメダメ! 今はそんなこと考えている場合じゃないのに……! でも……キュンと切ない痛みまで加わり、今にも張り裂けそうな胸を抱えて、うっすら目の端に浮かんだ涙を指でぬぐう。…たぶん。バルトさん以外にも、そういう人たちが王様の周りにいて、オウルさんに対して非難の声が上がった結果なのかもしれない。
さっきジャンさんの話であったみたいに、今もなお、ネオテールを襲う悪魔もいる。私も実際に襲われたこともあるから、そう言う人を責めることなんてできないけれど……。
悪魔は怖い。けれど私がサクヤを助けたのは、みんなを助けるためだったし、私はサクヤに会えてよかったって思っている。もちろん後悔なんてこれっぽちもしていないからこそ知らんぷりできないんだ。
オウルさんは多分、自分でサクヤを起こしたかったんだろう。でも大けがをしてしまって、代わりに私が起こすことになって。だから、自分が悪いって言ったに違いない。でも実際やったのは私だもの、それを見て見ぬ振りするなんて、やっぱり私、できないよ!
ラーテルさん、レト、サクヤ、もちろん私も大好きなオウルさんを死なせるわけにはいかない。なんとしても助けたい! 新人でか弱い私でも、一人よりは二人の方がいいに決まっている。きっと何か私にもできることがあるはずだから!
毛布をけっとばし、ベッドから勢いよく起き上がる。カーテンを開け、出窓から満月に近い青い大きな月を見上げた。
でも最初の仕事の誓約書みたいなのを確認してサインした時、王命は絶対守るって約束しちゃったし、エルクさんは勝手に出かけるなんて許してくれないだろう。それなら……今日みたいな深夜、皆が寝静まった時間帯に、こっそり寮を抜けて行くしかない!
遺跡調査課のメンバーを巻き込むわけにはいかない。迷惑をかけたくないし、危険だし、これは私の問題だから。だから私だけでいかないと!
そう心に決めると、窓の前で行ったり来たりしつつ、私は頭の中でお財布の中のお金の算段を始めた。前回の冒険で王都から少しお給料が出たんだ。それを使えば乗合馬車を使ってティーナまでいけるハズ。大きなカバンは目立つからダメ。小さなリュックに一日分の洋服と、お財布と……何か食べるものを持って。
会食でお酒を飲み、疲れてみな眠りこけている今晩なら、なんとか隙をつけるかもしれない。ライティングデスクによじ登り、窓から辺りを伺い、誰にも気づかれぬよう準備しようとした、まさにその時だ。
ーートスン。
隣の窓から小さな音がした。まさかエルクさんに気づかれた!? ギョッとして左隣の窓を見るけれど特に変わったところはない。……ということは? 慌てて右隣の窓へ首を伸ばし視線を移す。いつの間にか細く開けられた出窓から、茶色の皮のリュックが差し出され、刈り込まれた芝生の上に転がっている。
あれは……ラーテルさんの!?
あ然としてる間に、リュックの隣に、こげ茶の革の鞘におさめられた、べに色の柄の段平の大剣がするりと音もなくおろされる。そして最後には黒いブーツに、闇に溶けるような黒に近い紺のフード付きのマントを羽織ったラーテルさんが窓から降り立ち、リュックに手をかけた。
ーーラーテルさん!
私はレモンイエローのパジャマのまま、窓を開け声をかけようとし慌てて自分の口をふさいだ。目深にかぶったフードのわずかばかりの隙間からのぞくラーテルさんの紫色の瞳が、窓から乗り出す私をみるや否や、大きく見開かれる。彼女の口がわずかに動き、私の名前を呼んだのが声がなくてもわかった。そしてその後、
ーーごめんなさい。
そう言ったのもわかって……その瞬間、私は全て分かってしまったんだ。
ううん、もうリュックが芝生に置かれたのを見た時点でうすうす気づいていた。なぜ最近ラーテルさんが部屋にこもりがちだったのか。そして口数が少なく、元気がなかったのか。ラーテルさんも一人、港町へ行く計画をしていたんだ! 私は必死に首を横に振った。そして彼女に見えるように口を大きく開けて伝える。
ーーラーテルさん! 私も一緒に行きます!
「お前たち。これは一体どういうことだ?」
心臓が口から飛び出すって、きっとこういう時に起こるんだろう。私は脚色なく飛び上がり、慌てて口を両手で押さえて、喉元まで上がってきた心臓を必死に飲み込んで、机の上にへなへなと座り込んでしまった。今、世界で一番気付かれたくなかった人、この声はその人のものに間違いない。エルクさんの、声、だよね……!?
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