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第二章 コメットとリリーの場合
人物紹介、コメットの場合
コメットは事務職員として働いていた。気持ちを込めて、真心込めて。自分は込めているつもりなのだが、見えない物が評価対象となっているので、どんなに頑張っても評価されない世界に身を置く事になってしまった。気持ちを込めたくないわけじゃない、目に見える絶対評価になる物がないから、心優しい人が損をする世界が大嫌いなのだ。
だからコメットはバネッサを見た時に放っておけなくなった。
「今の職場を辞めるわけにはいかないのです。錠剤のままでは薬が飲めない人がいるのです」
「一回外の世界の技術を身に着けてから今の職場に戻ってきても遅くないと思う」
しかしバネッサは、契約満了日までは絶対働くと言って聞かなかった。気弱だから誰もやりたがらない仕事をやらされているかと思ったら負けず嫌いなだけだった。
「最後まで立っていた方が正義なんです」
コメットにもそういう時期があった。この状況はいつか改善すると淡い期待をした。しかし世の中は不条理なのだ。見てくれている人はいても状況が変わらない事もある。言って分からない人は殴るか刺すかしないと分からないのだろうなとコメットは世の中に期待しなくなった。
驚く事に絶望に終わりはなく、今の絶望を超える絶望がスルッと自分を包んでしまう事も知った。絶望に粘り気があればベタベタして、まだ途中で引き返せるのだが、やっかいな事に触り心地の良い布のように近づいてくる。
昔、自分が読んでいた本には「希望には限界があるが絶望には限界がない」と書いてあった。この絶望はどこまであるのだろうと限界を追いかけたくなってしまう。多分バネッサは絶望の入口に居て、絶望に興味が出てきている。昔のコメットがそうだったように。
本当に本は色々な事を教えてくれる。
こういう時コメットは言って欲しい言葉を知っている。
「最終日に殴れるよう、素振りの練習しておくように。私がアリバイ作るよ」
実際にやる覚悟で相手と向き合う。それがコメットの心の込め方だった。
人物紹介、リリーの場合
リリーは金勘定が好きだった。最近は便利なアプリが色々あり、レシートの写真をスマートフォンで撮って送信すると項目が入力される仕組みの物が一番気に入っている。自動読み取りではなく、人の目で見て入力しているというふれこみなので数字の間違いがないのだ。買い物をした時、
「レシートはどうされますか?」
と聞かれると、
「はい、ください」
と答えるので(え? いるの?)と言う顔を店員さんにされる事もしばしばである。
リリーは喫茶店で少し休憩する事も好きで、一人でぼんやりしていると五年に一回ぐらい、何故か見知らぬ人に、裏に電話番号を書かれたレシートを手渡しされる事がある。
「良かったら、ここにお電話ください」
と言われるのだが、リリーはレシートの写真を撮った後ゴミ箱に捨ててしまうので、うっかりこの電話番号を書かれたレシートも捨ててしまい、今まで一度も連絡をしてみた事がない。キャッチ&リリースのリリーだった。どうも、優しそうに見えるから気が合いそうと思うらしい。まずリリーが優しそうに見えている時点で間違っている。リリーは特に優しいわけではない。
発した言葉は取り消せない事を知っているから
(言わない方が良いだろうな…)
と、そのまま口に出さない事の方が多い。簡単に言うと口が悪い。外見と中身にギャップがあるのだ。
だからカクさんを見た時(自分と似てる人だ)と思った。
事実は小説よりも奇なり、カクさんの話はいつも想像を超えていた。そんなに怪我をしていて良く死ななかったものだ。一番驚いたのは
「機械に巻き込まれるタイミングだったのでしょうね~」
と、物事の流れを受け入れているところだった。
(機械に巻き込まれるタイミングって…なんだ)
カクさんは、怪我をしにくい仕事に就きたい事が今の希望らしい。撹拌機に巻き込まれる怪我を思えば大抵の仕事は怪我のうちに入らないだろう。カクさんから見た世界に興味が出てきたので、
「この職場は良いとは言い切れないかも知れませんが、悪くもないですよ」
「そうですね~」
チョロい…リリーは本当に心配になってきた。
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