第三章 つけ髭との出会い

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第三章 つけ髭との出会い

 師匠だなんてこそばゆい話でございます。私がここでコンシェルジュをして、どのぐらい月日がたったのでしょう。  私の手癖の悪さはどうにも治らず、もう手を焼くか折るかしかないと、だいぶん思い詰めておりました。  しかし、怪我ではいずれ治ってしまう。かと言って、治らないほどの怪我を自分で行う勇気も出ない。手の先の感覚を失くすためにはどうすれば良いか考えるものの、私の頭では思いつく事も出来ず。ただただ、人様の物を奪い続けておりました。  疑われながらビクビク働くより、奪う方が楽だし、一瞬ですが気持ちがスッキリする気がしたからでございます。  簡単に言うと、楽な方へ流されたのです。考えるのも面倒になり、その日の小遣いを適当な人から、財布を拝借しておりました。  「やはりここに居たのか。ワンパターンなのだよ君は。早速だが、話の本題に入らせてもらう。突然だが、倶楽部を作ろうと思っているのだ」  一体どこから登場したのかも判らないぐらい、急に目の前に男が現れたのです。えっへん! とでも言いたげに、仁王立ちで急に男が話し始めました。  秘密の倶楽部をね。そこで一番大事なのが外敵から、どう身を守るか。指紋認証や、監視カメラなど色々方法はあるが、私は機械にはどうにも人間を越えられない壁があると思っている。それは、直感や感覚。君の手は、きっとつけ髭を触るだけでその人の体調、心情などあらゆる事を感じ取れると思う。  それに、ここが大事なのだが、つけ髭をつけている人を排除するような事をしたくないのだ。つけ髭をつけるという事は、それなりに悩みなどをあると思っているのだよ。 「倶楽部の方々のために、その手を使ってくれないか。まずは君の技量を測りたい。私のつけ髭を触ってみてくれ。さあ!」 「さあ、と言われても…」  一体、何を言っているのか。一気に説明されポカーンとしてしまいました。  この男が、勿論この倶楽部のオーナーなのですが、オーナーは私の手を取り、つけ髭を触らせてくださいました。と言えば聞こえは良いですが、実際は無理やりつけ髭を触らされました。確かにフサフサとして、とても丁寧に手入れをされている事は判りましたし、つけ髭は温かく、悪くない気分でした。 「その手、粗末に扱いすぎだ。馬鹿か君は」   あとね、私は実は耳が良いのだ。  君が私のポケットから財布を取る時に 「ちょろい…」  と言っていたのも知っているし、お金がなくなったのか、私の財布を取ったのは片手の指じゃ足りない回数である事も知っている。  世の中うまいもので、そういうお金はなかなか身につかないから、すぐなくなってしまうのだ。無駄遣いも甚だしい、お金はタダではないのだぞ。せっかく私が財布の中に「うちに来なさい」という紙を入れておいてあげたのに気づかないとは。何回紙に書かせる気だ。とうとう迎えにくる羽目になってしまった。この私がだ。 「お芝居はこのぐらいで終わりだ。さあ、来るのかい? 来ないのかい?」  オーナーのつけ髭が、少しヒヤッと冷たくなった気がしました。  これ以上、調子に乗ったら後はない。  そういわれた気がして、私は、そこでもう、つけ髭に嘘をつけなくなってしまいました。その時のつけ髭は今、私の顔にお守りのようにくっついております。むしろ見張られていると言ったところでしょうか。 「手袋を付ける仕事に就いてもらうよ。直接つけ髭に触れるのは特別な時だけにして欲しい。今ので私の大事なつけ髭が、君の汗でびっちょりだ。とりあえず、財布をすった分はタダ働きして貰う。大事な事だから二回言う。お金はタダではない」  ご想像の通り、つけ髭を離すタイミングが判らず、ずっと他人のつけ髭をつかんだままお説教をされるという、なんとも嘘みたいな経緯で、私はこの倶楽部で働く事になりました。    この倶楽部は、つけ髭によって守られた場所なのです。  軟禁に近いと申しましょうか…げふん、げふん。私はここに住まわせて頂いているので、倶楽部へは好きな時間に訪れて頂いて大丈夫です。  つけ髭に上下の差なし。  貧富の差も、つけ髭の前では無力です。  困った時にはつけ髭に頼る事が出来る安心感。  それがつけ髭ミステリー倶楽部です。  淑女たちがメイクをするように、つけ髭をつける。ハンカチを持つように自然につけ髭を持ち、お気に入りの靴で出かけるようにつけ髭を変えていく。  紳士も淑女も様々な方がこの倶楽部を訪れます。  身だしなみを整える時、鏡を見るたびに、どうぞつけ髭の事を思い出してください。  つけ髭は、いつもあなたを見ているのです。 ―ミステリーとつけておけば、不思議な事が起こっても、不思議じゃないだろ? 例えば、目の前に急に死体が現れても、ミステリーならありえるんだ。そういうシチュエーションだという前提が出来上がるんだな。   私にとってのミステリーとは「目の前で起こった全ての事柄を受け入れる」という事なのさ。  ありえないんじゃない。なんでもアリなのさ。
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