第三部 少女の運命

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第三部 少女の運命

「エミリア様、行く前に一つお願いがあります」 「何じゃ」  エミリアは面倒そうに答えた。 「シュンも連れていって下さい」 「好きにしろ」 「あの、それでもう一つ」 「願いが多いやつじゃの。貴様の願いはいくつあれば気が済むのじゃ」 「申し訳ありません。でも、シュンは人間です。私は人魚の姿にしていただいたから何とかなりますけどシュンは深海を渡り歩く事が出来ません。だからシュンも人魚にして下さい」 「馬鹿を言え。人魚は代々、女しかなれない。男の人魚など気持ち悪いだけだろう」 「でも、それならどうすれば」 「こうすればいい」  エミリアはシュンに魔法をかけた。すると、シュンの姿は魚人の姿に変化した。 「要は深海に耐えられる姿になれば問題ない」 「ありがとうございます。エミリア様」 「ここまでやったんじゃ。この後の仕事に期待しておるぞ」 「その仕事とは一体」 「着いてからのお楽しみじゃ」  先が読めない展開に海春の不安は募りに募った。  エミリア、シュン、シャークレイ、そして海春の四人は前代未聞のメンバーで海王殿から竜宮神を目指す。  先頭にエミリア、その後方に海春、シュン、シャークレイが続く。 「海春、ちょっと」  シュンは海春の背中に問いかける。 「このまま海王様を連れて行くのは危険だ。僕が囮になるから先にいってくれ」 「そんな無茶は許さない。黙ってついてきてよ」 「海春に何か策はあるのか」 「さぁ」 「さぁってそんなので大丈夫なのか」 「分かんない。でも、私たちに選択の権利はない。与えられた道に進むしか出来ないんだ」と海春は振り返る事なく言った。 「シュン、そういえばコルク見なかった?」 「コルク? あぁ、デープドルフィンのことか。見ていないぞ」 「やば。海王殿に置いてきちゃった。どうしよう、今から戻るにしても大分進んじゃったし」 「コルクなら竜宮神におるぞ」とエミリアは後ろを振り向いて言う。 「戻っていたんですか」 「あぁ、大分弱っておったがしばらく安静にする必要があるな。海春のことを心配していたぞ」 「そっか。無事だったんだ。良かった」 「海春、少しスピードを上げるぞ。しっかりついてこい。シュンの手を握ってやれよ」 「え?」  海春は恥ずかしそうに自分の手を摩った。 「海春」  シュンは手を差し伸べた。それを見た海春は手を握る。 「行こう。シュン」 「うん」 「よし、飛ばすよ」  人魚の瞬発力でスピードが上がった。  海、海、海。周りの生物は海春達に道を作るように避けていた。行きとは別で帰り道は一瞬だった。  竜宮神の真上に飛び出した海春は華麗に一回転して着地した。 「帰ってきた。竜宮神」  深海の娯楽の地、竜宮神に海春は再び辿り着いた。もう二度と戻るはずのない場所に懐かしさと歯痒さが混ざっていた。海春はここで何をさせられるのか。  その瞬間、海春とシュンの身体が光った。二人は元の人間の姿に戻る。 「あれ、戻った」 「もう人魚の姿は不要じゃな」 「ゲホ、ゲホ、ゲホ」と海春はその場にしゃがみむせた。 「どうした急に」  エミリアは不思議そうに言う。 「人魚から人間に戻ると少し体調が悪くなるんです」と海春は苦しそうに言う。 「おかしな話だな。シュンはなんともなさそうだぞ」 「嘘。シュン、身体に変化ないの?」 「いや、特に何も感じない。おそらく海王殿で魚人にされたりしたから身体が慣れたんだと思う」 「そうなんだ。それはいいね」  しばらくして海春の体調は戻った。  少し、遅れてシャークレイが着地する。 「久しいな。何十年ぶりだ。竜宮神」 「海王。目立つからそこにいろ」 「それは聞けない相談だな。同行させてもらうぞ」 「そう言うだろうと思ったよ。ただし、目立つなよ」  予想していたかのようにエミリアは言った。しかし、その存在は歩いているだけでかなり目立つものだった。 「海春、シュン。行くぞ」 「はい」と二人は返事をしてまだ見ぬその先に足を進めた。  異例の事態に竜宮神の従業員は慌ただしく動いていた。エミリアが到着したからではないそれよりもはるか前からこの騒動は続いている。  それは三日前のことである。海春が竜宮神を出発してから一週間後のこと。  ことの発端はある外来生物存在が騒がせた。『ゾンビウイルス』正式名称はない。  深海の生物ではない。この宇宙のどこからかやってきた存在だ。見た目は紫色の球体で大きさはテニスボールくらいである。その球体は長い時間をかけて竜宮神に辿り着いた。 「ん? なんだあれは」  球体は竜宮神の従業員に拾われる。無意識にその従業員は食べた。躊躇いもなく。  三十分という時間をかけて異変は起こった。 「ぐ、う、う、あ」  もがくように苦しみ出す。 「おい。お前どうした」  異変に気付いた別の魚人は駆け寄る。すると、触れた瞬間に紫色に身体が変色した。  同じように駆け寄った魚人は苦しんだ。  紫に変色した者は意識がなく這い蹲るように動くゾンビだった。その者に強く身体を触れられると同じようにゾンビになっていく。自然と竜宮神内ではすぐに広がった。犠牲者は半数以上に登る。一体の魚人の拾い食いのせいで。  当然、エミリアはこの事態に黙っていない。感染者は隔離という意味で檻に入れた。 「何じゃ。これは。何が起こっている」  エミリアは珍しく頭を抱えた。 「エミリア様、ご指示を」  竜宮神の使い達はゾロゾロと集まる。 「少し黙っていろ。集中できん」  エミリアの魔法では何をしても無意味だ。接触すれば同じように被害にあう。どうしようもないのだ。 「どうすれば」 「提案をよろしいでしょうか」 「何だ」 「殺処分しましょう。これ以上被害者を出す前に」 「仲間を殺せと? ふざけるな。そんなことが出来るか」 「ぐ、申し訳ありません」  この問題は深刻化する。感染者を拘束しても対策がない。自室でエミリアは頭を抱える。つい先日、サザナシの襲撃で建物が破損し大きなダメージを受けたのは記憶に新しい。そして今回の謎のゾンビ化のウイルス問題である。短期間にトラブルが起こりエミリアとしてはストレスしかなかった。 「エミリア様、大変です」  勢いよく扉を開けたのはレイナだった。 「騒々しいぞ。何事だ」  エミリアの機嫌は最悪である。 「申し訳ありません。報告させてください。至急来ていただけませんか。コルクが、コルクが大変なんです」 「コルクじゃと。奴は海春と行ったはずだぞ」 「帰って来たんです。ただ、怪我を」 「案内しろ」 「ピャ、ピャ」  コルクは蹲るように丸まっていた。背中のヒレは半分に切断され、身体の至る所から血が吹き出ていた。瀕死の状態である。 「これは酷いな」 「エミリア様、治せませんか?」 「やってみないと分からん」  エミリアはコルクに手をかざし念じた。治癒魔法である。  その力で血は消えていく。しかし、千切れた背中のヒレは元には戻らない。 「一命は取り止めた。しかし、無くなった部分は元に戻らん」 「エミリア様、海春の身に何か起きたかもしれません」 「そうかもな」 「私、助けに行きます」 「止まれ。行くことは許さん」 「どうしてですか。私は友達を助けたいんです」 「海春なら大丈夫だ」 「どうしてそんなことが言えるんですか」 「そんな気がした」 「そんな無責任な」  そんな時だった。一体の兵士魚人が慌ただしくやって来た。 「エミリア様、大変です」 「今度は何じゃ」 「ゾンビ達が逃げ出しました」 「何じゃと。檻に入れたはずだぞ」 「実はその檻が何者かによって壊されたんです」  現場に駆けつけると檻は破壊されゾンビ達は一体もいなかった。 「これは外側から壊したような跡があるな。何者かが壊したことは確実だ」 「そんな。一体誰がこんなことを」 「分からん。それよりも逃げたということはまた被害者が増える」 「それはまずいですね」 「またどこかに誘導しないと」  エミリアと兵士魚人が話し込んでいると別の魚人兵士が駆けつける。 「エミリア様、ゾンビ達の弱点が判明しました」 「本当か。それはどんな方法じゃ」 「笑いです」 「笑いじゃと?」 「はい。ゾンビ達の前で雑談していた時に偶然、元の姿に戻ったのです」 「なるほど。詳しく教えろ」  その方法を聞いたエミリアは海春の力が必要と判断し、竜宮神を留守にして連れ戻しに深海へ向かった。 「何ですか。この人達は」  海春は案内された部屋を見て困惑した。部屋には檻に入れられた魚人や人魚など数百体が収容されており、全員肌の色が紫で「うー」と呻き声をあげながら檻越しから手を伸ばしていた。 「見ての通りじゃ。こいつらには意思はない。完全なゾンビじゃ。おっと、シュン。無闇に触れるな。同じ姿になるぞ」  エミリアは檻に手を伸ばそうとするシュンを静止させた。 「害になるのであれば全員殺せばいい。俺様が手伝おうか」 「海王、そんなことをしたら一生許さないぞ」  エミリアの口調は強張る。  竜宮神に入ってからエミリアに加え、海王が入ったことで生き残りの従業員は怯えていた。中には気絶するものもいたほどだ。化学兵器に近い海王の存在はそれほど大きいのだ。 「海春、先日偶然にも元に戻す方法が判明した」 「その方法は?」 「笑いじゃ。こやつらは爆笑させれば元の姿に戻った事例がある。海春の仕事は笑わせることだ」 「わ、私ですか? そんな才能は私にはありません」 「何を言う。この妾を笑わせたではないか。やることは同じだ」 「しかし、エミリア様に有効でもこの人達に有効とは限りません」 「元の世界に帰りたくないのか」  その言葉で海春の心が動く。 「分かりました。やれる限りやってみます」 「それともう一つ」 「まだあるんですか?」 「檻を壊した犯人がこの竜宮神のどこかに潜んでいる。そいつを探し出して捕まえて欲しい」 「犯人ですか?」 「これがその写真だ」 「これは」  海春が見たものは外側から壊された跡があった。方法は不明だが、鉄越しが内側に折り曲がっていた。 「まさか海王様が」 「俺様は今、ここに来たところだぞ」 「そう、この写真は数日前のものだ。何者かがこの竜宮神を乗っ取ろうと企んでいる」 「その件は僕に任せてください」  シュンが名乗りを上げた。 「僕は犯人探し。海春は従業員を元に戻す。分担してやります」 「分かった。頼むぞ」    笑いで元に戻るという曖昧すぎる解決策に海春は腕を組み悩んでいた。  そもそも海春はお笑い芸人ではないので笑いのセンスはない。なので手始めにエミリアで有効だった方法を試すことにした。 「トイレに行っといれ」  意思のない従業員は無反応だった。 「イルカはいるか」「カエルがひっくり返る」「タラも食べたら」  海春は大声で親父ギャグを三連発で言い放った。 「うー、うー、うー」  周りは無反応で呻き声をあげているだけだった。 「ダメか」  海春はがっくりと膝を床に付けた。  一方、シュンは檻を壊した犯人探しに動いていた。手掛かりは破壊された檻の写真のみ。 「この壊し方はおそらく素手では難しいな。だとしたら断線できる道具を使ったか」  ブツブツとシュンは呟く。  道具はどうにでもなる。いや、そもそも竜宮神の混乱を生む犯人がいるという存在がシュンを含め、信じられなかった。 「シュン」  正面から呼びかけられたのはレイナだった。 「レイナ」 「あなた、無事だったのね。良かった」  レイナはシュンの手を握った。 「シュンがいるっていうことは海春も無事?」 「あぁ。無事だ。今は例のゾンビを笑わせようと試行錯誤中だ」 「そうなんだ。良かった。シュンは何をしているの?」 「僕は檻を壊した犯人を探している。きっとこの竜宮神のどこかにいるはずだ」 「あぁ、それね。役に立てるか分からないけど、良い情報があるの」  レイナのいう情報にシュンは耳を傾ける。 「どうしよう。全然、笑わないんだけど」  海春は檻の前で頭を抱えていた。手段が思いつかないようだ。 「小娘、だったら力ずくで笑わせればいい。笑え! 庶民供!」  シャークレイは威嚇だけの風圧でゾンビを吹き飛ばす。 「あの、そんな脅しでは笑いたくても笑えませんよ? それにこれは私の仕事ですので海王様はどうか客間で寛いで下さい」 「別に良いだろう。小娘の仕事ぶりが見たいのだ」 「はぁ」  海春は後方の禍々しい威圧感の中、呆れを返していた。  分かっていることは笑わせれば元に戻るということと親父ギャグは通用しないということだった。 「笑いってなんだろう。海王様はどんな時に笑いますか?」  威圧感に耐えられず、海春はシャークレイに話を振った。 「笑いか。力で圧倒し、怯えた奴をねじ伏せるとか、或いは無鉄砲に向かってきた奴を殺すのは最高に面白い。笑いが止まらんよ。ふははは」  シャークレイは思い出し笑いをした。悪趣味は答えに海春は引いた。むしろ質問したことを後悔した。常識人の海春と海王のシャークレイでは考え方に大きな違いが生じた。 「どうしよう。一人で話を作るのは無理だし」 「おい、小娘。俺様の意見では不満げだな」 「いえ、そんなことはありません。充分参考になりました」  目が泳いでいたが誤魔化しながら海春は言う。 「そうだ」  海春はあるアイデアが閃いた。 「海王様、エミリア様とのデートの為に一つ一肌脱いで頂けませんか」 「不審者を見た?」 「うん。裏口から出てくる人を見かけたの」  シュンがレイナから聞いた話は次の通りである。  夜、デープドルフィンの様子を見に来たレイナは裏口に人影を確認した。その様子は慌ただしく逃げるように立ち去っていく。その直後、檻が壊されたという情報が竜宮神の内部で広まったのだ。 「その人物は知っている人なのか?」 「暗かったから正確には判断が難しいけど」 「なんでもいい。心当たりがあるなら言ってくれ」 「キコリ。人魚よ。数年前まで竜宮神で働いていたけど、辞めた人。仲良かったから覚えているわ」 「辞めた理由は?」 「エミリア様のパワハラかな。エミリア様の世話役に任命されて数ヶ月で耐えられなくなってそのまま辞めた。まぁ、あそこに行ったら誰でも辞めるよ」 「その人魚、怪しいな」 「まさか疑っているの? 無理だよ。あの子、力弱いし檻を破壊するような力はないし」 「いや、力がなくても破壊することは可能だ」 「どういうこと?」 「これを見てくれ」  シュンは破壊された当時の写真を見せた。 「鉄越しが削れたような痕がある」 「う、うん。それが?」 「ノコギリのようなもので削った後に強い衝撃を与えたように見えなくもない」 「確かに。でも彼女がした証拠はないよ」 「レイナ。犯人は犯行現場に戻ってくる」 「そんなバカな」 「犯人の目的があれだったら間違いない」 「小娘。何をしている」  海春は両手を顔の横に広げ、アヒル口を作りながら目を見開いていた。その姿に海王は困惑していた。 「あれ、面白くありませんか」 「何が面白いんだ」 「えっと、顔です」 「全然」 「ダメですか。では、海王様も面白い顔をして下さい。睨めっこです」 「睨めっこだと」 「そうです。ではいきますよ。睨めっこしましょ。笑うと負けよ。あっぷっぷー」  海春は精一杯の変顔を披露する。しかし、海王は無反応である。 「ほら、海王様も変顔をしてください」 「何故、俺様がそんなことをしないとならん」 「これもエミリア様とデートする為ですよ。さぁ、早く」 「俺様がそんな下品で醜い顔をしろと」 「エミリア様とデートしなくていいんですか」  海春はエミリアの話を盾にするように海王を誘導する。 「ぐっ。これでいいのか」  海王は顎を上げ上から目線になった。ただ偉さが増しただけで面白くない。 「海王様。ここはプライドを捨てて下さい」 「この俺様がプライドを捨てるだと。ふざけるな」  声を荒げた海王の圧に海春は真顔になった。怖い気持ちになるが泣かなかった。 「ふざけているように見えるかもしれませんけど、私は真面目です。私はここにいる全員を救いたい。その為であればこんな安いプライドは捨てます」 「小娘の安いプライドとは違い、俺様は海王だ。プライドの桁が違う。言ってみれば小娘もこいつらも俺様にとってはどうでもいい。付き合っていられないな」 「そこは自由です。でも、最後まで私の仕事ぶりを見てもらえませんか。私にとってはこの仕事で元の世界に帰れるか帰れないか左右します。海王様、あなたが私を認めるか認めないかという判断をしてほしいです。だから見て下さい」 「それは構わんが、いつまでも時間はない。策がないなら時間の無駄だ。諦めろ」 「次の策は考えています」  海春はニヤついた。自信のある表情をしていた。 海春とシュンが悩ませている謎のゾンビ化現象である『ゾンビ化ウイルス』は偶然、一人の手によって悪用されることになった。見た目が紫の球体を拾ったその人物はゴミと思い投げ捨てた。すると偶然にもナマズ系の魚人の口に入ってしまう。近くで次々と感染する姿を見て思った。「これは使えるかも」と。  そう思ったのは人魚のキコリ。かつて海春と同様に竜宮神で人魚の踊り子として働いていた。長く勤務し、客からはその美貌で引っ張りダコだった。  そんな彼女だったがある日を栄えにエミリアの世話係に任命されたのだ。当然、業務内容は通常の踊り子業務に加えてする仕事だったので負担は増える。それにわがままお姫様の世話は精神的にやられる。必然と退職に追いやられたのだ。  キコリは竜宮神に恨みを持つようになった。真面目に業務した上にストレスで辞めた。いや、辞めされられたのだ。  実は裏で糸を引いていた人物がいた。キコリの同期であるレイナだ。才能がずば抜けているキコリに対し、レイナは妬むようになった。キコリが目立てば目立つほどレイナとの距離は広がる。  なんとか対策を立てなければと考えるレイナはあることを思いつく。 「そうだ。エミリア様の世話役にさせればいいんだ」  エミリアの世話役になればほぼ高確率で退職する。長く持っても半年だ。竜宮神では墓場とも言われる業務である。  基本、任命するのはエミリア本人である。気分で決めるので従業員はいつ声が掛かるか怯えながら仕事をしている。 「そうだ」  レイナはあることを思いつく。それはエミリアが視界に入るところに意図的にキコリを置いた。常にエミリアの行動を把握し、それで得た情報を元にキコリを呼び出し、エミリアの視界に入るように仕込んだ。その活動が稔り、結果キコリはエミリアに呼び出された。 「キコリ。お主を妾の世話役に任命する」  キコリは真っ青になった。ついに恐れていたことが現実になったのだと。 「どうした。嫌か」 「いえ、ありがたきお言葉です」  世話役に任命されれば断ることは出来ない。たとえ断ってもその場でクビは確定である。  しかし、キコリはめげなかった。どんな無茶振りをされても素直に受け取り続けた。  そんな日々を半年継続させた。 「ちっ。なんでよ。なんで辞めないのよ」  レイナは親指の爪を噛み、焦りを感じた。それは予想外に生き残りを見せた。 「何か、辞めさせる方法はないだろうか」と考えていたレイナはある企みをする。 「キコリ。エミリア様が客間を全て掃除してほしいって言っていたわよ」 「分かった。やっとくね」 「キコリ。エミリア様が……」と、何かに漬け込んでキコリに無茶な仕事をさせた。結果、キコリは身体を壊し、退職に追い込まれた。 「ねぇ、聞いた。キコリ今日で止めるんだって」 「聞いた。エミリア様の世話役に行ったのが運の尽きだったね」  人魚同士が数人で会話をしていた。偶然、自分の名前が話題に出たのを聞いたキコリは物陰でその会話を聞いていた。 「ここまで追い込むのに苦労したよ」  そう口を開いたのはレイナだった。 「え、どういうこと」 「私が裏で手を引いたの。なんとか辞めさせようとあの手この手で世話役にさせてその後も無茶振りの仕事をエミリア様が言っていたよって言ってやったり苦労したよ」 「レイナ悪! あ、でもあの子目立ちすぎて少し嫌味っぽかったよね。なんか見下されているような」 「あ、分かる。調子乗んなって思う」 「でも、今日で辞めてくれるなら助かるよ」  言いたいことを爆発させるような会話を聞いていたキコリは気づかれないように泣きながらその場を去った。拳に力を込めて怒りが込み上げる。 「許さない。こんな、こんな場所なんてなくなってしまえばいい」  キコリは悔しい思いで竜宮神に恨みを持つようになった。いつかこの手で復讐してやろうと強く思う。そんな時にキコリは『ゾンビ化ウイルス』の存在を知った。  ある出入り口付近でシュンとレイナは待ち構えていた。 「ねぇ、本当に来るのかしら」 「可能性はある。僕の予想が当たればの話だが」  ここは海春のいるゾンビが収容された檻へ行ける唯一の出入り口だ。行くとしたらここを通らない限り行くことは出来ない。 「ねぇ、シュンの予想っていうのは?」 「エミリア様の行動パターンを把握している人物だ。エミリア様がどの時間にどう過ごしているか。この竜宮神はエミリア様が管理している。つまり、エミリア様の行動パターンを知っていれば波乱を起こすことは簡単だ。今、エミリア様は昼寝の時間。それを知っているのは世話役経験のある人物のみ」 「でも、それだったらキコリ以外にも世話役になった人物はいる」 「いたとしてもそんな長く続いていない。一番長く継続したのはキコリさんの半年。半年もあれば情報としては充分だ」 「なるほど」 「このタイミングで来ることは間違いない」 「だとしたら私、顔向けできないかも」 「え? どうして?」 「それはなんていうか」 「レイナ。そうこうしているうちにどうやら現れたみたいだね」  出入り口付近に人影がやってきた。その人物の顔を見たレイナはほろ苦い表情で俯いた。 「これでどうだ」  海春は鉄の棒の先端に綿を巻いたものを用意した。シャークレイは無言でその様子を見張っていた。 「これをゾンビの身体に当てて擽る」  鉄越しから棒を伸ばした。脇付近を狙い、なぞるように当てた。すると違和感があるのか、ゾンビは笑い出した。みるみると元の姿に戻っていく。 「何をした。小娘」 「笑ってもらうのではなく笑わせるんです」 「さっぱり意味が分からん」 「つまり、自然に笑わせるより無理やり笑わせた感じです。こうやって無理やり笑わせるんです」  海春は先ほどと同じように別のゾンビを無理やり笑わせた。 「海王様の力で笑わせるというのがヒントになりました」  この調子で檻にいたゾンビは全員、元の姿に戻していった。最後の一体が終わった頃、レイナとシュンが戻ってきた。 「海春、もしかして元に戻ったのか」  レイナは状況を見て判断した。 「うん。無事、強引に笑わせることが出来ました」  二人は「?」が浮かんだが海春の発言に遮られた。 「あれ、その人は?」  海春は二人と一緒にいる縛られた人魚を見て疑問をぶつけた。 「あぁ、今回の騒動の犯人だよ」と、シュンは言う。 「レイナ、そしてお前ら全員は絶対に許さないからな」  キコリは叫ぶように言った。  元に戻った従業員は「キコリだ」とヒソヒソと話している。 「今回の騒動の原因はこれだよ」  シュンは箱に入っている紫の球体を見せた。 「これは?」 「体内に入れるとゾンビ化するものだそうだ。むやみに触れると感染するから気をつけろ」 「こんな小さなものであれだけの被害を」 「あぁ、とても危険な代物だ」  海春の視線は縛られた人魚に向けられた。 「どうしてこんなことをしたんですか」 「私は悪くない。悪いのはこいつら全員だ」  レイナを含め、従業員は視線を下に逸らした。 「レイナさん。この人、全員の知り合いですよね。何があったんですか」  レイナは視線を下に向けたまま喋ろうとしなかった。 「言えないよな。私を追い出した張本人なんだからな」 「どういう」 「だったら私が教えてやる」  キコリはその経緯を話した。海春は目を疑った。 「分かったか、そいつは私が憎くて追い出したのよ」  キコリは泣き叫んだ。 「レイナさん。この人の言ったことは全部本当なんですか」 「ええ、本当よ」 「どうしてそんなことを」 「…………」  海春の問いかけにレイナは目を逸らした。話したくないという意思表示である。  それを見た海春はキコリに向き合い頭を深く下げた。 「ごめんなさい。あなたの気持ちは痛いほど分かる。どうか許して下さい」 「やめなよ。私はあなたに謝ってほしいわけじゃない。その女に謝ってほしい。いや、謝ったところで一生許さないけどね」 「やめない。レイナは私の友達。友達が悪いことしたなら私も謝らなければいけない。それが筋だと思うから」 「海春。どうして私のためにそこまで」 「レイナさん。私はあなたに救われた。だからだよ。過去の過ちは知らないけどレイナさんはレイナさんだと思うから」 「海春」  レイナは顔を上げ、海春と同じように頭を深く下げた。 「キコリ、ごめん。私が悪かった。許して下さい」 「そんなことをしても許さないって言っただろ。望むとしたら死んでくれ。とっとと死ねよ。目障りなんだよ」  キコリが吠えた瞬間、海春の平手打ちが甲高い音と共に周囲に響き渡った。された側のキコリとしては何が起こったのか呆然としていた。 「海春?」とレイナは問いかけると海春は息をスーと吸い込んで暴露した。 「簡単に死ねとか言うな。死ぬ苦しみも知らない癖に軽々しく言うな。死ぬかもしれない感覚は苦しくて辛くて悲しいんだぞ。それが分かって言っているのか。二度と死ねとか言うな。分かったか」 「ご、ご、ごめんなさい」  息を切らしながら言う海春に対し、キコリは堪らず謝り倒した。立場が逆転したことに周囲は呆然としていた。 「ははは。愉快、愉快。海春はとても面白い奴じゃ」  一部始終を聞いたエミリアは大口を開けて両手を叩いていた。全ての問題は無事解決したが、海春はどこか腑に落ちない様子だった。 「あの、エミリア様。お願いがあるのですが」 「分かっておる。無事、元の世界に帰れるよう手を打っておこう」 「ありがとうございます。いえ、その件ではなく別にあるのですが」 「なんじゃ、聞くだけ聞こう」 「キコリさんをもう一度、竜宮神で働かせて頂けませんか」 「何故、海春がお願いをする。初対面で関わりのない人物なのに」 「なんかこのまま去っていくのは寂しいと言うか嫌なんです」 「その曖昧な発言はどうにかならないのか。大体、あいつは竜宮神に大きな損害を与えた罪は大きい。認める訳にはいかん」  海春の表情は暗くなった。そんな時だった。エミリアの部屋に多くの従業員が押しかけた。その数は五十人以上。その多くはゾンビ化した者だった。 「エミリア様」 「なんじゃ、騒々しい」 「どうか、我々からもお願いします。キコリ殿をもう一度迎え入れてもらえませんか」 「ダメだ。それにお前らは被害者だろ。何故、庇う必要がある。理解できん」 「我々は彼女が必要です。どうしてもダメであればここにいる全員で辞めさせていただきます」 「貴様ら、正気か?」  多くの者はその眼差しに揺らぎはなかった。全員、海春に加担したのだ。 「全員辞められたら妾が困る」 「では、認めて下さるんですね」 「本人次第じゃ。のぉ、キコリ」  最後部にキコリの姿があり、全員通路を作るように避けた。 「お久しぶりです。エミリア様。今回の騒動は全て私の責任です。申し訳ありません。海春に言われて私が間違っていました」 「責任、取ってもらうぞ。キコリ」 「はい。申し付け下さい」 「丁度、私の世話役の席が空席となってしまった。その席、埋めてくれるかの?」 「よろしいんですか。この私で」 「正直、世話役としては二番目に気が利いていて手放すのが勿体無いと思ってな」 「ありがたきお言葉。二番目ですか?」 「一番はそこにおる」  エミリアの視線の先には海春の姿があった。本人はキョトンとした顔である。 「一番目はもうここに来ることはないからな。穴埋めはお前だ。キコリ」 「はい。一生懸命頑張ります」 「頼んだぞ。キコリ」  周囲から拍手が沸き起こった。ホッとしたのかキコリは目に涙を浮かべていた。 「良かったですね。キコリさん」 「ありがとう。海春」  こうして竜宮神の平和は取り戻された。 「本当にもう行っちゃうんだね」 「うん。これで本当の本当にお別れになっちゃうね」  数日後、竜宮神での送別会の後、海春とシュンは出発の時を迎えようとしていた。そう、元の世界。地上へ。  レイナと海春はハグをし合う。二人とも涙は見せない。 「ねぇ、もう少しだけここに居なよ。いや、むしろ住んじゃえば?」 「ありがとう。でも、行かなきゃ」 「そう言うと思ったよ。言ってみただけ」  本当はずっと一緒に居たいと願う二人だったが、海春は帰る場所がある。 「さぁ、海春さん。シュンさん。そろそろ行きますよ」  案内人である鮫型の魚人であるトビは言う。シャークレイの使命を受けた特別の鮫で今回二人を地上に返す任務を受け持つ。 「うん。分かった」 「海春、ありがとう。私たち離れ離れになってもずっと友達だよね?」  レイナのその問いに海春は笑顔で言った。「勿論だよ」と。  今度こそお別れ。海春とシュンは竜宮神の従業員全員に見送られて旅立った。 「ありがとう。みんな」    海春とシュンは潜水艦の内部にいた。人間の技術から得た知識を参考に魚人が独自に作り上げた技術の結晶だ。この技術は海王殿内部でも極一部しかその存在は知らせていない。 「海王殿にこれほどの技術があるとは驚いた」  シュンは潜水艦の存在に驚きが隠せない様子だった。海王殿内部にいてもその存在は知らされていない。 「でも、こんなので本当に地上まで行けるのかな」  海春は不安を漏らす。 「何を言いますか、海春さん。深海の最高技術を舐めてもらっては困りますぞ」  トビは否定されたような気分になり、少し怒り気味で言った。 「ごめん。そんなつもりじゃないの。ただ、ミシミシしているから」  海春は潜水艦の船内全体から伝わる音に不安を示した。 「仕方ありません。水深何万メートルの場所です。多少の水圧はありますから」 「そうですか」  海春は目が泳ぐ。 「海春、手握ろうか」  シュンはスッと右手を差し伸ばした。 「あ、うん。大丈夫」  シュンは少し寂しげに右手を引っ込める。 「ごめん。別に嫌って意味じゃないよ。平気だよって意味だから気にしないで」  海春は慌てたように手を振り必死に誤解を解いた。 「そういえば、海春に一つ話しておかなくちゃいけないことがあるんだ」 「話しておくこと? 何?」 「僕の過去のことさ」 「シュンの過去ってもしかして思い出したの?」 「うん。ハッキリと」 「じゃ、果たさなくちゃいけない使命も」 「うん。ただ、僕の過去は余りにも残酷だった」 「何よ。それ」 「僕は親に捨てられた子供さ」 「捨てられたってそんな」 「間違いない。僕はこの海に捨てられた」 「酷い」 「捨てられる前に僕の最大の親友は沖野祐一。僕が虐待を受けていた事実を知る人物だった。僕は彼に救われたんだ。生きる希望を与えてくれた。でも、最後は親の手によって捨てられた。そんな人生だったんだ。それは記憶もなくなるよ」 「そう、それで地上に戻ったらどうするの」 「さぁ。とりあえず彼を探してみる。親の元には二度と戻らないかな」 「そっか。ねぇ、記憶が戻ったならシュンの本当の名前も思い出したってこと?」 「うん」 「教えてくれる? シュンの本当の名前」 「海堂俊輔」 「しゅんすけ。言い名前だね」 「海春さん。シュンさん。そろそろ気絶していただいてもよろしいですか」  トビは不敵な笑みを浮かべて言った。  地上に戻る約束として深海の情報を与えないように地上に出る前に眠って貰うことが条件に挙げられた。 「それは構わないけど、一つ確認してもいいですか」  海春は睨むように言う。 「はい。何でしょう」 「私の家族とシュンは一緒に居させてくれるって海王様と約束したけど、本当に間違いないですよね」 「えぇ、目が覚めたら視界のどこかにいるように配置します。それは海王様から命を受けているのでご安心下さい」 「ありがとう。信じるわ」 「では、失礼します」 「あ、ちょっと待って」  海春は寸前で待ったをかける。 「シュン。いや、俊輔。私も親友探しを手伝うよ。だから地上でもよろしく」と海春は手を伸ばす。 「こちらこそよろしく頼むよ」  シュンはその手を握り返した。 「トビ、準備出来たよ」  二人の手はしっかりと繋がれた。 「では、失礼しますよ」  海春とシュンはいつの間にか意識を失った。  海王殿、海王の部屋にて。 「海王様! 失礼します」  慌ただしく部屋に入ってきたコーリーは息を切らしていた。 「何じゃ、コーリー騒々しいぞ」 「お帰り直後に申し訳ありません。幹部から聞いたのですが人間を地上に返したというのは本当ですか」 「何だ。もうそんな情報が耳に入ったのか」 「はい。それでどうなんですか」 「あぁ、聞いた通りだ」 「何故、そのようなことを? 今までの研究はどうするのです。私の立場は失われたと言うのですか」 「そんな心配するな。お前の仕事はちゃんと用意してある。生身の人間はいないが人間のDNAから採取したコピーを作る。それで今まで以上の研究成果を期待している」 「コピーですか。それならば実験の最中です。海王様の期待の添えるかと」 「ほう、頼もしい。お前は素晴らしい頭脳を持っているな」 「はい。有難き幸せ。ところで地上に返した人間が研究室のことを喋られたらどうするおつもりですか」 「ククク。俺様がタダで返すと思うか?」 「いえ、と言うことは何か裏があるのですね?」 「当たり前だ。俺様をコケにしたあの人間だけは幸せな人生を送らせはしない。待っているのは絶望。目が覚めた時、地獄を見ることになる。その瞬間を想像するとゾクゾクするわ。ふははは」 「海王様、わかってらっしゃる。私も随分とコケにされましたからね。それでその地獄というのはどういったものなのでしょうか」 「それはまた今度だ。俺様はこれから出かけないとならない」 「はぁ、どちらへ?」 「ある人魚姫の元にいく」  海王、シャークレイはエミリアとのデートへ出かけた。  強い日差しで海春は目を覚ます。うつ伏せの状態から身体を起こした。 「ここは」  深海ではない。空があり、太陽が見えた。ここは紛れもなく地上だ。 「やった。ついに深海から抜け出せたんだ」  周囲には同じようにうつ伏せに倒れている人が何人かいた。シュンも海春の母親、父親、そして海斗の姿がそこにいる。安心したのか海春は涙を浮かべた。 「んん!」  魘されるようにシュンは目を覚ませる。 「シュン、じゃなかった。俊輔」 「海春、ここは?」 「俊輔、帰って来られたんだよ。地上に。私たちはもう自由だよ」  思わず海春はシュンに抱きついた。シュンは真面目な口調で「ちょっと待って」と払いのける。 「どうしたの。俊輔」 「僕たちはまだ自由だけど、自由じゃない」 「え? どういうこと」 「よく見るんだ。ここはどこだ」  その周囲には青い海が一面に広がっている。そして現在、海春たちは縦横三十メートルのイカダの上にいる。  現状は見て取れた。 「日本の海じゃないの?」 「日本どころか地球の海かも怪しい。海王様にはめられた。まんまと」 「想像したくないんだけど、もしかして私達って」 「想像しなくても分かるだろ。僕達はこの広い海に放流されたんだ」 「そんな! 嘘でしょ!」  海春の甲高い悲鳴が広い海に響き渡る。  そう、海春たちはこの広い海で遭難してしまったのだ。
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