プロローグ

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プロローグ

 新月の夜に海を滑る大型船は、まるで手負いのイノシシだった。数万ものコンテナを積んだ船体の脇腹にあたる甲板の縁では、けたたましい警報音とともに真っ赤な警告灯が群れている。それでも、その進路は揺るがない。通信用のブイから送られる指令に導かれ、ジョバル国が誇る世界最大級の物流港湾、サワン港へと寄港する自動操舵の歩みは、少しも速度を緩めることが無い。  -----そうまでして生かされる人間の身にもなってみろ。  ダニエル・ヘイデンはその船に向けて小型の高速哨戒艦を走らせながら呟いた。ジェットスキーが大きくなった程度のこの船を操舵しながら漆黒の海に散る白波と水しぶきを眺めていると、海中がぼんやり光るように見える。我が祖国の海は、夜ほど美しい。  完全無人が呼び声であるはずのそのコンテナ船には、読み通り数名の他所者(よそもの)がいるようだ。この頃、同じような被害が増えている。  双眼鏡で見る限り、まだは終えていない。接岸された彼らのボロいボートからは、上に向かってコンテナ船の壁沿いに縄梯子が伸びる。ときおり、波に合わせて左右に揺れている。  ダニエルは船壁沿いのフックに鉤縄を放つと、見事に命中させた。同時にエンジンを切った哨戒艦は、ふと気配を消したまま慣性でコンテナ船の後部に回り込む。無造作に後ろで結んだ黒いクセ毛で弧を描きながら、巧みな操舵でコンテナ船との衝突を免れ横付けする。エンジンを再起動しながらフックに向かい水平にぴんと張った縄を手繰り寄せる腕は、鍛え抜かれた筋肉で隆起している。黒いグローブはよく手に馴染み、首尾よくその縄を掴んでは引いて、距離を詰める。そうしてダニエルの乗った船は、数秒後に縄梯子のふもとにたどり着いた。  夜も深いというのに、あたりは生(ぬる)い。防弾チョッキの下のシャツが肌に貼り付いて不快だ。  10階建てのビルほどの高さを見上げるコンテナ船の甲板から、こちらを覗く者はいない。それは、ダニエルの突入に気付いていないのか、はたまた船上での海賊行為に我を忘れているかのどちらかだ。コンテナ船の図体はあまりに大きく、その隅に張り付いた2つの小船はハエほどの存在感である。いずれにせよ、都合は良かった。  背中に5.56mm機関銃を背負い直し、船壁沿いに一気に縄梯子を登る。海に囲まれた国の軍隊で育ったダニエルにとって、それは挨拶ほどに容易い行為だ。息も切らさずに甲板に降り立つと、警報を鳴らす警備用武装ドローンの群れのど真ん中にいた。  ------何故、撃たない。  これだけの警報音を鳴らしながら、2mほどの高さの円柱状に設計された数十ものドローンは、その腹部に内蔵した銃口をダニエルに向けては来ない。そればかりか、ときおりドローン同士で小競り合いをするように、ウロウロと誤作動を繰り返している。  ------だからドローンは阿呆だと言ったんだ。  ダニエルは心の中で悪態をつくと、未だにダニエルの位置を特定できないドローンの影に身を隠し、9mmハンドガンを構えたまま開け放たれた水密扉の中の暗闇に目を凝らす。 「さすが、日本からご到着の高級コンテナ船!こんだけの量のポートユニットがあれば、10年は遊んで暮らせる。」  上ずった声とともに、背中に大型の防水トランクを担いだ男が3人出て来た。あの中に盗品を詰めるだけ詰めたのだろう。どうやってドローンを無効化したのかはわからないが、その割には実に古典的で、雑な海賊行為だ。そのすきだらけの姿に、思わずトリガーにかかる指がピクリと動く。------しかし、ダメだ。全員が出てくるのを待たなければ。 「おい、アラン!いつまでグズグズしてる、さっさと逃げるぞ!!」 「わかってるっ!」  弾けるように飛び出してきたのは、まだローティーンにすら見える背の低い少年だった。背には大人と同じように防水トランクを背負っているが、さすがに重たいのか滝のような汗を首筋に貼り付けている。3人はそれ以上名前を呼ばなかった。これで全員のようだ。  ダニエルは、先に縄梯子を結んだ甲板の縁に手をかけたリーダー格の男の後ろに続く二人の男に向けて立て続けに銃を撃った。正確に急所を外して肩を射抜かれた二人は、「ぐぅっ」と呻いてしゃがみこんだ。話を聞くのは、一人で良い。 「誰だ!!?」リーダー格の男が銃弾の放たれた方向を向いて警戒の姿勢を取った時にはもう、彼は自分の額に正確に照準を合わせられた銃口と、それを持った黒い戦闘服の男しか目に入らなくなっていた。  男の足がガタガタと震える。ダニエルの口を隠した黒い布の上からは、狼のように鋭い視線が注がれる。 「どうやって、ドローンを無効化した。」  甲板に、ダニエルの低い声が静かに響く。 「し、知らねぇよ!俺らは、指示されただけだ!!」  チャリ、とトリガーの指が揺れる音。 「ほ、本当だ!!!サイフル……カシラが、今日ならこの海域を通る船のドローンが誤作動を起こすって。それが何故かなんて聞いてない。ほんとだ!」  ---嘘を言っているようには見えないが、それでは筋が通らない。もしそれが本当だとしたら、サイフルという海賊のカシラは、ドローンをハッキング出来るのか?何故、完全に停止する方法を取らない? 「あああああ!!!」  と、端から鉄パイプを持った少年が走り込んで来た。  ダニエルが素早く身を引くと、鉄パイプは男とダニエルの間を空振りして床を打ち火花を散らした。ダニエルはガラ空きになった少年の後頭部に右脚の膝を打ち込んで、そのまま回転すると今度は振り向きざまに左脚の踵を男の即頭部に蹴り入れた。  倒れ込んだ二人から身体を離し、しゃがみこんでいた残りの男がやっとかっとこちらに銃を向けている先に2歩詰める。呆気に取られた男の首の後ろをハンドガンの角で叩き、気絶させた。さらにもう一人の男の手を銃ごと床に踏みつけると、悲鳴を上げて倒れこんだ頭を蹴り上げて黙らせた。  全員の後ろ手を縄で縛って武器を回収し、未だに無用の長物と化したまま警報音を鳴らすドローンを一瞥する。胸ポケットから取り出したタバコに火をつけると、思い切り吸い込んで紫煙を吐き出した。 「しっかりしてくれよ、(とう)。」  寄港を告げる汽笛の音が、ぼぉぉ、と響いた。
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