3 探偵館の殺人

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3 探偵館の殺人

 赤星は無人の部屋でひとり立ち尽くしている。探偵業を営んでいた初代所長である父の後を継いで五年ほど。外国のとある町で頻発する猟奇殺人事件の調査に行く……そう言い残したまま行方不明になった父。法的に死亡扱いになり後を継ぐことは形式上特に問題はなかったがまともに仕事ができる訳もなかった。幸いにして遺産はあったので助手を雇い二人三脚で何とかここまでやってきた。  こんな時父ならどうするであろう。  ――バタン!  部屋のドアがひとりでに閉じた音だ。勝手に閉じたのか、外部犯が閉じたのか……赤星には判別できなかった。どこかから木が軋む音がする。何者かが足音を忍ばせてゆっくり徘徊している気がして赤星はぎゅっとフォークを握る手に力を込める。  ――ウフフフフ  幻聴だ。赤星は頭を振り冷静さを取り戻す。  一度に予期せぬことが立て続けに起きて頭が混乱しているだけだ。冷静になればどうってことはないではないか。心臓に手をやるとラストスパートをかけるアスリートのように素早く力強く脈打っている。  犯人は外部犯。これははっきりしている。赤星を除いて全員が殺害されたから。  死体が消えたのも簡単。犯人が持ち去ったから。 「そうだ……そうに決まっている」  その時、父の言葉がふいに赤星の脳裏をかすめる。 『あらゆる可能性を疑え。違う角度からスポットライトを向けることで浮かび上がる真実がある。常に推理をひっくり返すんだ』  推理をひっくり返す……この言葉に従うと――。  今回の事件を整理してみる。  まず犯人は――外部犯。  死体消失の謎は――外部犯が持ち去った。  これをひっくり返すと――。  犯人は――内部犯。まずこれはあり得ない。赤星が犯人でないのは自身が一番よく分かっているから。  死体消失の謎は――外部犯が持ち去っていない。これもあり得ない。現に死体は消えているから――。 「……まてよ」  赤星は探偵館に来て、というより探偵業を継いで初めて己の頭で推理を展開する。今までは助手のフォローがあったから切り抜けてこれたのだ。助手様様である。  外部犯が持ち去っていないにもかかわらず死体が消えることはあり得るだろうか? あり得ないであろう! 死体が歩いたとでも言うのか…………。 「……まさか」  赤星は自身が大きな勘違いをしている可能性に気づいた。  死体は歩かない。それは正しい。それが死体であれば。  四人は本当に死体だったのであろうか?  胸に短剣が刺さっているのは確認したが、厳密に言うと脈確認などの死亡確認はしていない。首が落とされていたわけでもないので見た目だけで死亡判定は出来ない。 「…………」  誰もいない元助手冬香の部屋。無人のベッド。確かにここに彼女は横たわっていた。胸に短剣が刺さり血を流していた。やにわにむくりと起き上がり、血をペロっと舐めニタっと笑みを浮かべる彼女の姿が脳裏に浮かび戦慄する。  まだ近くにいるかもしれない。  どこかでこちらを見ているかもしれない。  血が滴る短剣を携えじっと機会を伺っているのかもしれない。 『私……先生のこと大嫌いデシタ』  振りかぶると短剣に付着した血が散り、細かい斑点がいくつも――。 「…………なにが望みなんだ」  赤星は一歩ずつ後ずさり、ドアに背中をぶつけた所で翻し慌ててドアを開け元助手の部屋を後にする。  廊下に出て慌てて閉じる。  濃密で粘着質な気配が糸を引きながら辺りに漂っている気がして、膝がカタカタと震える。廊下の陰から仮面がこちらを見ていないかキョロキョロと目線を彷徨わせる。  宙を舞う能面。  ケタケタと響く笑い声。  表情は変わらない。 『こちらですわよ、センセイ』 『あらあらセンセイ……ひどい顔』 『私にお任せ下さい……センセイ』  仮面が笑う。遠い昔にどこかで聞いたような声を響かせながら。  ――キイイイィィィィィ 「……っ!」  その時、廊下に明確な音が響いた。ドアを開ける音だ。  ――バタンっ!  次いで聞こえる閉じる音。拒絶しているようにも誘っているようにも聞こえた。  同じ二階から聞こえたのは間違いない。恐らく使用人たちの部屋の方だ。ごくりと唾を飲み込んでから赤星は音がした方へ向かう。  ミアの部屋以外のドアは開けっ放しだった。赤星が出て行ったときと変わっていない。 「…………」  もう一度唾を飲み、ミアの部屋のドアを開ける。  部屋のベッドの上で腰を下ろしている人物がいる。 「あら先生。おはようございます」  それは冬香だった。いつもと変わらない様子で微笑みすら浮かべている。綺麗な肌着姿で血などついていない。 「どういうことだ?」 「何がですか?」 「とぼけるなっ! 今までどこにいた? 死んだと見せかけた理由はなんだ!」 「あら……お気づきだったんですね」 「なんだと?」  まるで高得点を取った小学生を褒める先生のように笑顔を浮かべる冬香。 「俺を誰だと思っている!? 探偵だぞ! こんな子供だましのトリックで――」 「黙りなさい」  突然能面のように表情を殺し言い放つ冬香。そのあまりの落差に赤星は言葉を詰まらせる。 「探偵ですって? つまらない冗談はやめてください。大して手がかりも集めず何の根拠もないのに犯人を指摘して探偵ですって? それなら誰だって探偵になれますよ、先生」  冬香は続ける。 「前回の事件、手がかりを集めて先生に助言したのは誰だったか忘れてはいませんよね? 先生はただの飾りです。ほんとラクな仕事だなあ」 「……さっきから、ヅケヅケと減らず口を」 「先生のお父様は偉大な探偵でしたのよね? その名前に傷がつくと少しも考えなかったのですか? 今の先生はお父様の名前と偉業に凭れ掛かって鼻を伸ばしているに過ぎません」 「なんとでも言え! こんな茶番劇、推理するだけ無駄だ。バカバカしい。しかもお前とは助手契約を破棄済みだ。部外者にどうこう言われる覚えはない。むしろ訴えてもいいくらいだ」  赤星の言葉を聞き、あっははと笑い声をあげる冬香。 「先生……ほんとサイテー」 「どうとでも言うがいい。とにかく、こんな茶番劇に付き合う時間はない。失礼させてもらう」  翻し部屋を後にしようとした赤星に向かって冬香が言う。 「茶番劇……まだ終わっていませんよ?」 「……なんだと?」  赤星は振り返り冬香を睨む。 「私以上に……彼女たちがご立腹なようですので」  その時、赤星の背後に濃密な気配が忍び寄る。 「…………」  赤星もそれを察し首だけ動かし後方のドアを確認する。 「なんのつもりかな?」  ドアの前に三色の仮面が漂っている。彼女たちの白いドレスが部屋からみると逆光で背景に同化して、仮面だけが宙に浮いて見える。  三人の仮面の使用人たちは、手に短剣を持っている。赤星は振り返り三色の仮面と正面から対峙する。 「生憎だが、君たちにそれを向けられる覚えなどない。それとも殺人癖でもあるのかな」  三色の仮面は答えない。 「赤仮面のミア」  おもむろに、冬香が口を開く。 「青仮面のリンカ」  怪訝な表情をした赤星を気にすることなく続ける冬香。 「緑仮面のアスロッカ」  くすっと笑みを浮かべてさらに続ける。 「……わかりませんか?」 「仮面の知り合いなどいないんでな」  冬香に背中を向けたまま赤星は答える。 「そうですか……」  冬香はそっと立ち上がり赤星の背後に近づく。探偵顔負けのスニーキングスキルを披露するも肝心の探偵はそれに気づかない。  冬香は忍ばせておいた包丁を取り出し、赤星の背中に突き刺す。 「がっ……!」  突然のことに赤星は自分の身に何が起こったのか理解が追いつかない。やがて膝から崩れ落ち背中に走る激痛、さらに床に広がる血だまりを見て背中を刺されたと気づく。 「ぐ……がはっ……はあ……な、んの……つも」  上手く言葉が出てこず、喘ぐような声を漏らす赤星。 「さ、後はどうぞ」  冬香が再びベッドに腰を下ろしたのと入れ違うように三色の仮面たちが瀕死の赤星に一歩近づく。 「探偵さん……ピンチですわね」  青仮面のリンカが手にした短剣を赤星の右肩に突き刺す。 「ぅあっ! あがああっ」  激痛に身悶える赤星。 「誰も助けになんか来ませんわ。安心して死ね」  能面の下で唾でも吐かん勢いでリンカが言う。 「どうですか探偵さん。死ぬのは怖いですか」  赤仮面のミアが手にした短剣を赤星の左肩に突き刺す。 「……ぁぁ」  もはや明確な言葉すら漏らさず、代わりにビクッと痙攣する赤星。 「殺される被害者の気持ちがわかれば少しでも探偵としての責務を理解できるかと思います。今後の参考になりますね。でも探偵さん、生まれ変わったとしても二度と探偵なんかしないでくださいね」  返り血が飛ぶもミアの仮面は赤色なので目立たない。  もはや虫の息である赤星の元に、緑仮面のアスロッカが短剣を構えて膝をつく。既に血だまりになっているのでドレスの膝はすぐに真っ赤になる。 「……探偵さん」  若干口ごもりながら、アスロッカは続ける。 「この探偵館をつくった方々は偉大な探偵たち、夢や希望を与える探偵物語の語り手たちです。ここにある資料は全てその軌跡であり探偵物語の魅力そのものです。残念ですがあなたをここに加えることは出来ません」  アスロッカは短剣を振りかぶり、赤星の胸めがけて振り下ろす。  何度も。何度も。なんども。ナンドモ。  辺りには肉を裂くような音と血が滴り飛び散る音がしばらく響いた。  使用人たちの純白なドレスは深紅のドレスにカラーチェンジするも、それを気にする者は誰もいなかった。
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