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「ママ、お願い! 頼むよ。入居者が決まったらすぐに取り外せばいいだろう? 今度は忘れないようにするから……」と背を丸めて片手で拝む。
高い背を無理やり縮こまらせてカッコ悪いのは自分でもわかっている。
それに賃貸マンションの一室を契約するともらうことになっている、臨時のボーナスなんかじゃ、当座の生活資金にも足りやしない。しかしそれでも、ほんの一時しのぎにはなる。
たとえその契約が「気味が悪い」からダメだと言われた手段を使ったものだとしても、現金収入は喉から手が出るほど欲しい。なりふりなんて構っていられるか。
その時、自動ドアが開いた。
「いらっしゃいませ」
母親が営業用の笑顔を来店者に向けた隙に、細長い木箱をジャケットの下に隠すと、のぼりを持って来店客と入れ違うように外に出た。ドアの横にのぼりを立て、旗がねじれているのも直さずに、逃げるように歩きだした。
長年の客商売だ。沁み付いた習慣から、母親が客を放り出して追いかけてくるはずはない、そう思うものの、後ろめたさからつい足が早まる。五月だというのに、湿度が高く、たちまち汗ばんできた。
手に持ったジャケットのポケットを探り、木箱とマンションの空き室の鍵を取り出した。
うっかり落としたりしてはまずい。
道沿いのショーウィンドーに、歩く自分の姿が映っている。黒のTシャツ姿になると、首だけが前に出ているのが目立つ。背筋を伸ばすと一瞬シャンとするが、またすぐに首だけが前に出てしまう。チッと舌打ちして、自分の姿を睨む。
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