1-1 第三王子の噂

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1-1 第三王子の噂

ハキーカ暦三〇一五年 アプリーリス  ハキーカ大陸と呼ばれる雄大な大陸の南東に、人を寄せつけない巨大な森がある。鬱蒼(うっそう)とした原生林が茂り、固有種も含む多くの動植物が生息するその森を、人々は〈果ての大森林(ジェンニバラド)〉と呼んでいた。  その果ての大森林の中に、一つだけ国がある。人口千人ほどの小さな王国で、名称は『スプリア』。小国ながら、隣国サンドリーム王国との同盟により平和を守られた、森の恵み豊かな国だ。 「手紙、たくさん書くわ。みんなも、元気で」  スプリア王国第六王女エフェメラは、涙をこらえながら、最後に家族一人ずつと抱擁(ほうよう)を交わした。懸命に笑顔を作る。 「じゃあ、行ってきます」  家族や国民に見送られ、エフェメラは大好きな生まれ故郷をあとにした。慣れた自室も家族がいる温かな王城も、遊び回った森もすべて置いていく。まもなく迎える十五歳の誕生日に、同盟の決まりで、サンドリーム王国の第三王子と結婚をするからだ。  果ての大森林(ジェンニバラド)を抜け、街道(かいどう)を北上し、サンドリーム王国の王都を目指す。六頭立ての絢爛(けんらん)な箱馬車に乗り、サンドリーム王国の兵列に厳重に守られて進めば、静かに草を()んでいる羊も畑にいる農夫も顔を上げた。  街道沿いには春の草原が広がっていた。遠くの稜線(りょうせん)に残る雪だけが最後の冬を飾っている。十日間の旅路の果てに、エフェメラを乗せた馬車は王都のサンドリーム城に到着した。だが出迎えの場である玄関広間に、予想していた人物はいなかった。 「あの……ディラン王子は?」 「申し訳ない、エフェメラ姫」  出迎えてくれたサンドリーム国王アイヴァンが、(とび)色の(ひげ)を撫でながら眉尻(まゆじり)を下げる。 「ディランはいま、手が離せないようでな」  金の王冠をかぶる、三千万の民を導く大国の王だ。おおらかな性格で、エフェメラのことをいつも歓迎してくれる。国民からの信頼も(あつ)く、理想の王だと評判高い。  生まれた頃には第三王子、ディランとの結婚が決まっていたエフェメラは、両者の親睦(しんぼく)を深めるため、三歳の時から毎年夏に彼に会いに来ていた。けれどこの三年は会っていない。一昨年(おととし)はスプリア王国側の事情で来れず、去年はディランが急用でサンドリーム城に不在だったからだ。  エフェメラは三年ぶりに会えると思い緊張していたのだが、拍子抜けしてしまった。 「そう、なのですか……」 「今夜は身内で晩餐(ばんさん)会を開く予定でいる。そこにはディランも顔を出すだろう。食後の甘味(かんみ)は、イチゴのタルトにするよう言いつけておいた。好きだと聞いていたのでな。楽しみにしているとよい」 「あ、ありがとうございます、陛下」  前もって苺が好きかを質問されていた。このためだったらしい。一番好きな果物(くだもの)というわけではないが、どちらかというと好きなので肯定しておいた。アイヴァンは新たに家族となる相手だ。心遣いはありがたい。  するとアイヴァンの隣にいた王妃クリスティーナが、気品(あふ)れる笑みで言った。 「アイヴァン。また理由につけてイチゴのタルトですか。あなたは甘いものを控えるよう医師に言われているでしょう。食べてはなりません」  アイヴァンがぎこちなくクリスティーナを向いた。 「今日くらいよかろう?」 「だめでございます」 「……半分だけにするから」 「だめでございます」  アイヴァンは悲嘆な顔をした。クリスティーナだけが笑顔を保ったまま、「では後ほど」と連れ立ち去っていく。アイヴァンはもうじき五十歳になる。健康に気を使っているのだろうと、エフェメラは気の毒に思った。  二人の背中を見送っていると、年嵩(としかさ)の女性使用人が近づいてきた。白髪交じりの髪をきっちりとまとめ、背中に支柱棒でも差しているかのように姿勢の良い使用人だ。使用人は(うやうや)しくお辞儀をする。 「サンドリーム城南棟の使用人(がしら)を任されております、ベルテと申します。王女殿下の身の回りのお世話をおおせつかりました。何か不自由がございましたら、このベルテになんなりとお申しつけくださいませ」  長く城に仕えているのだろう。優秀そうだ。エフェメラが「わかりました」と頷くと、ベルテは再び(こうべ)を垂れた。 「ディラン王子殿下のことですが、申し訳ございません。使用人総出で捜したのですが、なにぶん、殿下が本気でお隠れになると見つけ出すのが難しく」 「か……隠れ?」 「何か理由がおありなのでしょうが、本来ならば、どんな理由があれど、王女殿下のお出迎えを優先すべきでございます。わたくしどもの力が及ばないがために、お心細い思いをさせてしまい、お詫び申し上げます」 「いえ、そんな。みなさんのせいではないわ。……どうか、気にしないで」  エフェメラが手をかざし言うと、ベルテは「もったいないお言葉ありがとうございます」とまた頭を下げた。 「では、王女殿下のお部屋までご案内いたします。どうぞ、こちらへ」  先導するベルテに続き、エフェメラは白の大理石の床を進んだ。  サンドリーム城は、緑の丘にそびえる白銀の城である。外壁はすべて白大理石、中央棟のとんがり屋根は全面硝子(ガラス)張りとなっていて、鏡のように蒼穹(そうきゅう)を映し出す。今日も、晴れた空を鮮やかな青色に映し出しているのが街道から見えた。その屋根の尖端(せんたん)には、紺青(こんじょう)の国旗がなびいている。  王城が建つ丘の(ふもと)には、城下町がある。赤煉瓦(れんが)の高い壁に囲まれた王都の城下町の、さらに外側には、風に揺れる緑の草原が広がる。草原から王城までの景色は絵画のように美しく、訪れる者は、みな一度は目を奪われる。  王城内も広大だ。中央と東西南北の、巨大な五つの棟で()っている。中央棟は城門と(つな)がる唯一の棟で、王座の間や舞踏会用の大広間、図書室や礼拝堂などがある。  残りの四棟はすべて王族の居住区だ。エフェメラの私室は南棟の二階に用意されているという。中央棟からの四つの渡り廊下のうち、エフェメラは南の渡り廊下へ誘導された。 「――では、晩餐の時刻になりましたら知らせに参ります。しばらく時間がございますので、お体をお休めくださいませ」
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