1-1 第三王子の噂

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 ガルセクは激しく狼狽(うろた)えた。 「何を言い出すんですか! 私までこの部屋で寝泊まりできるわけないでしょう!」 「同じ場所で眠るわけじゃないわ。……そんなに、いけない?」 「当たり前です。私は……男、なんですから。エフェメラさまのためにあてがわれた部屋で、毎日寝るなど」 「ガルセクはわたし専属の騎士よ。家族のようなものでもある。性別なんて関係ないわ」  ガルセクは口を開け閉めして、しばらく言葉が出なかったが、やがて言う。 「エフェメラさまはよくとも、先ほどの使用人頭の、確か――ベルテさまに怒られますよ」 「そうだとしても、でも、やっぱりみんなでそばにいたほうが心強いって思うのよ。スプリアから来たのはわたしたち四人だけなんだから。……お願いガルセク。慣れるまででもいいから。こんな広いお城で離ればなれで暮らすなんて……寂しいわ」  主であるエフェメラには逆らえないと、ガルセクは結局は諦めた。 「わかりました。エフェメラさまがどうしてもとおっしゃるのなら、私はここで生活いたしましょう」 「本当?」 「慣れない場所ですからね。私が近くにいることで、エフェメラさまのお心が少しでも楽になるなら」  エフェメラの明るくなった表情に、ガルセクは満足するように目元を和らげる。そこへ、寝室に入っていたローザが扉から顔を出した。 「エフェメラさま、こっちにきてください! バルコニーが、すごいですよ!」  何だろうと寝室に向かう。寝室は落ち着いた色調で、女性らしい部屋から一転、視界が暗くなったように感じられた。中央に純白の天蓋(てんがい)付きの四柱式寝台があり、片側の壁一面が硝子窓となっている。窓はバルコニーへ出られる造りだ。  ローザに急かされながらバルコニーへ出ると、瞬間、全身を花の香りに包まれた。呼吸を忘れた。前方に、巨大な庭園が広がっていた。  中央に水を散らす白い噴水があり、囲むようにして、赤、黄、紫、白など精彩に富んだ春の花々が数えきれないほど咲いていた。風が通り抜けるたび、吹き出す噴水の(しずく)がきらきらと輝き、草花が優しく揺れる。なんという美しさだろう。 「きれい……」  エフェメラは花が大好きだった。子どもの頃からずっとだ。 「どうしてかしら……スプリア城の庭を思い出すわ」  スプリア王国に残してきた、エフェメラが作ったエフェメラの庭だった。城の横手に作られていて、幼い頃から丁寧に世話をしてきた甲斐(かい)があり、毎日綺麗な花を咲かせてくれた。その大好きな庭も、サンドリーム王国へ来るためには置いてくるしかなかった。  目の前の庭園とエフェメラの庭は、規模は比べるべくもない。それでもこの庭園からは、エフェメラの大切な小さな庭と同じ温かさを感じた。  そよ風が頬を撫でる。気づけば太陽は随分と傾いていた。もうじき空は赤銅(しゃくどう)色に染まるだろう。エフェメラは目を閉じて、花の香りを胸いっぱいに吸い込んだ。    ×××  しばらく庭園を眺めた後、晩餐会の支度を始めた。ローザとヴィオーラを連れて衣装室に入る。 「エフェメラさま。今日は、たくさんの人にドレスを見てもらえますね」 「エフェメラさまの一人おしゃれが、ついに陽の目を見るときがきて、ヴィオーラはうれしゅうございます」  衣装室には、優に百は超えるであろうドレスが並んでいた。すべて、針仕事が得意なエフェメラの兄が作ったものだった。二つとない、エフェメラのためだけのドレスばかりだ。  髪飾りや首飾りなどの宝飾品も数え切れないほどあった。スプリア王国では宝石となる鉱石が採れるので、自由に宝飾を作れるのだ。  ローザとヴィオーラは、出会った当初こそエフェメラのおしゃれ道具の多さを驚いていた。いまでは慣れ、何の反応も示さない。エフェメラが選びやすいようにと、手際良く品を並べていく。 「もう、二人とも。からかうのはやめてちょうだい。わたしはちゃんと、楽しんでいたんだから」  『一人おしゃれ』は、ドレスや宝飾、靴などを好きに組み合わせて鏡の前で見るエフェメラの密かな趣味だ。人付き合いが得意なほうではないエフェメラは、会話も家族やスプリア城の者とする程度だった。空いた時間は一人で庭の花の世話をするか、自室で一人おしゃれをして過ごす。そのためスプリア王国内では引っ込み思案の姫だと言われていた。  おしゃれを研究するのは、たとえ一人でも楽しかった。ディランがどう思うか想像しながら選んでいたからだ。  散々迷った末、エフェメラは月白色の夜会ドレスを選んだ。裾に縫われた紫色の花の刺繍(ししゅう)が気に入っている。髪飾りは、刺繍の色と合わせ、紫水晶(アメシスト)を使ったものだ。 「うーん……。わたしの髪色だと、合うドレスの色が、どうしても限られちゃうと思うのよ」  エフェメラは、背中まで伸びる桃花(ももはな)色の髪をローザとヴィオーラにまとめてもらう。 「もう少し明るい色のドレスのほうがいいかしら? でも、あまり派手なのも、良くないわよね。ディランさまのご家族がいるのだし……」 「心配しなくてだいじょうぶですよ。エフェメラさまをきらいになる人なんて、いません」 「大陸中でいちばんおやさしく、そしておきれいなのですから」 「あら、褒め上手なのね。さすが、わたしの一流の侍女たちだわ」  ふざけて三人で笑い合った時だった。聞き慣れない男の声が部屋に響いた。 「うーん。これは、もったいない」  いつからそこいたのだろう。衣装室の開いていた扉のそばに、黒髪の青年が立っていた。 「前もかわいいとは思ったけど、これは、相当美人に育ったな」  歳は十七、八くらいだ。服を着崩し、腰に二本の剣を差している。瞬きも忘れるエフェメラたちを気にしたふうもなく、青年は品定めするようにエフェメラを眺めた。するともう一人、別の青年が衣装室に入ってきた。 「ディランも来ればよかったのにね」  今度はさして興味がなさそうに一瞥(いちべつ)される。冷めた印象を受ける、白に近い銀色の髪の青年だ。  エフェメラはディランの名が挙がったことが気になっていた。この二人の青年も、どこかで見た記憶がある。 「あなたたちは……」
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