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「僕は花人形なんです」
ようやく動けるようになった由香の、矢継ぎ早の質問に彼はあっさりと答えてくれた。その時見せてもらった手袋の下、指の関節には球体関節がはまっていて、ふれた掌に肉の柔らかさはなく、まるで樹木のような硬さがあった。顔だけ見ていれば、とても気づかなかっただろう。
彼は人形であるがゆえに確たる我がなく、花を食べることによってそこに込められた感情を得るのだという。そこに込められた感情というのはよくわからなかったが、スミレの花言葉は『誠実』だ。目の前の相手に『誠実』に対応しようとする感情を得たということだろうか。
野花は食べてはいけないと言われているらしいが、ちょうど河川敷を歩いていたら綺麗なスミレの花をみつけてしまい、ついつい手が伸びてしまったらしい。直前の夕食が『好奇心』だったのもあるだろうという。だから、傍に由香がいても『好奇心』が抑えられず、人前で堂々と花を食べてしまったのだとも。
由香がこの時思ったのは、この出会いをこのままで終わらせたくないということだった。美しい青年の姿をした花人形との出会いを。
だから、うちの店に来てくれと誘ったのだ。うちは花屋だから好きなだけ花を食べることができる、と。
名前がないというから、菫という名をつけたのもその時だ。出会えたきっかけがスミレの花であったから。
あれから、週に二、三回の割合で菫は由香の店にやってくる。花を食べる花人形を自称するのに、菫は花に関する知識が疎かった。だから花選びはもっぱら由香の役目だ。そして実際に菫の言う通り、渡した花によって彼はその性格をころころ変えた。
菜の花では『快活』に元気よく。
ヒヤシンスでは『しとやか』で物静かに。
アストロメリアでは『凛々しく』て格好よく。
試しにアジサイを渡したときは『冷徹』な顔で「つまらないな」とさっさと退店されそうになったので、二度とアジサイは出していない。
今日、アスチルベを食べた菫は先ほどまでの冷めた顔をぱっと薄桃色に染めてみせた。「甘酸っぱいね」と美しくはにかむ。アスチルベの花言葉は『恋の訪れ』。彼は今、恋の訪れを感じてくれているだろうか。由香に、恋を感じてくれているだろうか。
菫の手が伸びてきて、由香の頬に触れた。そのままこめかみの辺りまで撫でられて、髪を梳かれる。この夢のような一時が永遠になればいいと由香は思った。
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