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意識がゆっくり浮上していく。
ぴったりと閉じていた瞼を徐に開けば、薄いカーテンの隙間から差し込む僅かな光に目が眩んで、思わず手を翳した。
鉛のように重い体をのろのろと起こすと、じわりと寝汗をかいていた背中に風が通り涼しくなって、だが同時に襲ってくる湿った感覚に不快感を覚える。
そういえば数日前から蝉がじーわじーわと鳴きだした。
あの陰鬱な梅雨が明けて、本格的な夏を迎えたのだ。
「·····ねむ」
うっすらと濡れたTシャツを脱ぎ捨て、ベッドから腰を上げた。
あちこちに寝癖がついた髪を乱雑に掻き回しながら洗面所に向かうと、体をくの字に曲げて鏡と睨めっこしながら髭を剃っている親父がいた。
「おう、おはようマサ。あ、イタッ」
「顎から血が出てんぞ親父」
「んー、もうこのシェーバー替え時だよなあ。最近調子悪ぃや」
熊のように大柄な親父が洗面所に立てば、本来2人分はあるはずのスペースが完全に埋められる。なぜ同じ血を引いているのに、俺の身体は標準サイズなのだろうか。
邪魔な図体の親父を押しのけて、バシャバシャと豪快に顔を洗った。氷水のように冷たい水が火照った皮膚に染み込んでいく。
「そういやあヒロとイチ、全国ツアー決定だって?」
仄かに太陽の香りがするタオルを手に取り、顔を拭う。
タオルの吸水を逃れた水滴が幾つか、顎を伝って床に落ちた。
「あー·····みたいだな。またチケット送り付けてくるんじゃね?」
「お前、あいつらのコンサート1回も行ってねえだろ?知ったら悲しむぞ」
肘で脇腹をつついてくる親父の足を渾身の力で踏みつけると、ぎゃっと短い悲鳴をあげて離れていった。
悲しむ?あいつらが?そんなわけねえだろ。
「つか親父ジャマ。歯ブラシ取れねぇから退いて」
「おー、すまんすまん。さあ朝飯食ってこようっと〜」
もはや原曲が分からない調子外れな歌を口ずさみながら、熊親父はのっそのっそと大きな身体を揺らしながらリビングに続く廊下に消えていった。
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