僕がニートを卒業しようと決めた日

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*** 僕は自分なりに吸収した知識を、父親に説明して、また布団に戻った。 (あんな死にかけの人間がピンピンしとるや絶対おかしいわ。) (またステロイドよーけいったら、もし退院してもまたじーとひどーに喧嘩するんちゃん。) (嫌やなぁー。) (テンション高いんもこっちとしては困るけんなぁ。) (もうスッと楽に死んだらいいのに。) 煩わしい存在に、スッと誰にも迷惑をかけずに死ねばいいのにと思いながら、目を閉じる。 *** 次の日。 僕は目を覚ました瞬間に気分が晴れ渡った。 いつもなら、まだ起きたくない時間に、枕の下から聞こえてくる話し声や、痴話喧嘩の声で目が覚める。 でも今日は、いつもよりよく眠れた気がする。 目を覚ましてからも、家の中は、ずっと静かで、僕の理想の時間がゆっくりと流れていく。 ずっと。 この平和がほしかった。 目を覚ます前からはじまっている喧嘩の声で目を覚ます朝。 起きた瞬間は静かでも、5分、10分と、時間の経過とともにはじまる話し声。 (あー。1人おらんけん静かでいいわ。) シーンとした自分の部屋の中で。 布団を頭までかぶり。 目を閉じる。 *** (ん、んもおおおおお!) 目を覚ます前から、はじまっていたのだろう。 お決まりの効果音に、歌声。  「チャッチャーチャチャー」 ドスのきいた演歌の前奏が、寝起きの耳に突き刺さる。 (なんやねん。1人おらんけん静かと思ったら、やっぱりこれかい。) マイクを使わない、家の中でのカラオケ練習。 それでもあのじーの喉ぼとけには、天然のマイクが仕込まれている。 (うっとーしーなー。) 僕はイライラしながら、布団から出る。 *** 僕は、ニートになって何年目だろうか? はっきりとは、覚えていない。 病気をきっかけに、アルバイトを辞めてから、いつの間にか布団の中で毎日を暮らすようになった。 うちの家族は、所々。 仲が悪い。 じーとばーは、犬猿の仲。なんて可愛い言葉じゃ収まりきらないほどの仲の悪さだ。 嫁。 姑。 ここも。 問題だ。 仲が悪い。 僕自身が10代でイケイケだった頃は、特には気にしていなかった。 あの頃は、自分が地球上で最強な人間だと思っていた。 だから、家の中のちっぽけな問題なんて気にもしていなかった。 それが、1日の99%を家の中で暮らすようになり、1日の60%を布団の中で暮らすようになった頃には、家の中のことをいろいろと気にするようになった。 でも、1人いないだけで、やっぱり、ずいぶん平和だ。 今日は、良い日だ。 じーがうるさいのはカラオケくらいで、気の済むまで歌い終わると、静かになった。 イライラした母親が、コップをバン!と、置くこともなければ。 フライパンがバン!と、威嚇することもない。 じーは1人で喧嘩することもなく、1人で歌う程度。 母親も姑がいないから、ピリピリ、イライラしていない。 何よりもいつもより気が抜けたのは、夜ご飯の時間だ。 1階の台所でご飯を食べる僕は、毎日、周りの気配や顔色を窺いながら逃げるように速めに食べて自分の部屋に避難する。 とばっちりを、喰らいたくないからだ。 でも今日は、食器もソフトに置かれ、周りをウロチョロする人間もじーだけだった。 警戒心を解き放つことはなかったが、火の粉をあびずにご飯を食べることができた。 それから先のお風呂もだ。 誰が、何時に入る。 我が家では、暗黙のルールが決まっているが、人が1人いないぶんいつもより少しだけゆっくりと休憩し、おっとりとした気分で入ることができた。 僕は、19時~19時30分の間が持ち時間だが、19時50分過ぎにお風呂から出てきた。 そもそも。 1つのお風呂。 1つの台所で。 3世代が暮らすなんて。 無理に等しい。 前から思っている不満も今日は感じることなく、いつもより遅めに帰ってきた父親の車のエンジン音が、静かに響き渡る。 *** 下で、父親と母親が何か話をしている。 声が聞こえる。 何やら今日は熱がある。 そんな感じの内容は聞き取ることができた。 穏やかそうな会話から、炊事をする音に切り替わったことに気がつき、 (あぁ。ご飯作りだしたな。) 僕は布団の中で理解する。  「トントントントン」 (あぁ。親父か。) 足音で、わかる。 この重量感のある足音は、父親だ。  「ゆーやー」  「ん?」 僕は仰向けになりながら返事をする。  「なんやお前、昨日はピンピンしとったのに今日はなんやしんどそーだったわ」  「あー、そうなん」  「なんや熱が出とんやとー」  「なんぼあるん?」  「37℃ちょっとって言よるけん微熱だろうけどなー」  「ああ。なんやよーわからんけんど今しよる点滴がステロイドパルスや言うやつだったら明日か明後日にもっと体調崩すと思うぞ」  「なんなほれ?何って?」 不思議そうに、上から僕の顔を覗き込む父親。  「もし今回の入院が急性増悪だったら点滴はステロイドしよるかもしれん。んでほのステロイドパルスって言うんだったら薬がきついけんかしらんけど3日間しか治療できんのやって」  「おー。ほなけんどないなるんな?」 不思議そうに笑いながら聞き返す父親。  「もし急性増悪だったら生存率も低いしパルス終わったらまたぶり返すんちゃうかなーと思ってよ。ってかこの前言うたやん!」  「えーーーーーー。なんでお前にほんなんわかるんなだ」  「とーはーーーーん!ご飯できるじょー!」 下から母親の大きな声が部屋に突き刺さる。  「あー。ちょっとネットで調べてみた」  「ふーん。ほなほのパルスって言うんしよったら昨日から点滴しよるけん、明日できれるっちゅーことか」  「んーわいも医者でないけんよーわからんけどな。今度病院に行ったら急性増悪かどーか医者に聞いてみー」  「できたじょー!!降りてきなよー!!!!」  「えーーーー。ほんなん聞かんでもいいんちゃーん。別にー」 面倒くさそうに返事をした。  「いやいや。聞いたほうがいつ死ぬかわかるやん」  「ほないすぐには死ねへんだろー。昨日あんな調子やったしよー」  「とーはーんー!冷えるじょー!降りてきなよー!聞こえよんー!?」  「ほれもうかーはん呼んびょるけん飯食ってこい」  「おお。うるさーいけんなーあいつわー」  「今度医者行ったら先生に聞いてきなよ。急性増悪かどーか」  「えーーーーー。ほんなんどーでもいいんちゃーん」 面倒くさそうな言葉を残しながら、背中を向けた。
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