僕がニートを卒業しようと決めた日

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*** 僕は父親が部屋からいなくなったあと、また携帯電話を握った。 検索すれば、出てくる言葉。 急性増悪をおこせば高確率で死ぬと言う情報を、理解しては次のページに移動し、真実なのかどうかを自分の脳内で整理整頓する。 (んー。50%とか70%とかいろいろ書いとんなー。) (ほんまに死ぬんかいな。) (意外とまたケロッと帰ってくるんちゃうんかー。) (まさかなー。) (ほないすぐには死ねへんだろー。) (家の中が静かで気持ちがいいわ。) (話し声が聞こえんかったら気持ちいい。) (このまま死んでくれたほうが静かになっていいのに。) (しばらくもんてこんでいいわー。) 静かになった室内で、静寂を味わいながら目を閉じる。 *** 僕は、じーとばーの喧嘩に、何年も前からうんざり。しまくっている。 話し声にストレスを感じ、扉が強く大きく閉まる音に驚き、時折上がる大声に驚かされる毎日に、何度も1人で願っていた。 (はよ死ね。) その願いが、叶う日が来るなんて、想像もしていなかった。 でも。 もっと。 想像もしていない現象が起きることを、この時の僕は、知るはずもない。 *** ばーが入院して、4日目の夜。 いつもより遅くに帰宅した父親の車のエンジン音に、静かな室内で理解する。 (あー。病院行っとったんか。) 夜ご飯を食べ終わり、面倒だけどお風呂に入ろうかと思っていたタイミング。 1階で、父親と母親の話し声が聞こえる。 聞き耳を立てたつもりはないが、自然と立ってしまう聞き耳に情報が差し込む。 どうやら今日は、あまり体調が良くないらしい。 (あー。やっぱり。ほな点滴がきれたけんやな。) 耳に入った情報を処理していると、耳に新しい情報が入る。  「トントントン」 父親が、階段を上がってくる音だ。 ***  「ゆーやー」 部屋の扉が開く。  「んー?」 扉の方向を見ると、仕事着のままの父親が立っている。  「なんやお前、今日も熱があるや言よるわ」 (さっき聞こえたよー。ほれ。)  「あー。そうなん」  「ほんでお前、あんだけピンピンしとったのに今日やよー咳しよんぞ」 (聞いた聞いた。)  「ふーん。喋れんぐらい?」  「おー。喋れんぐらいではないけど、なんやまー喋ったらせこそーなわ」  「ほれよ!ほれほれ!わいが医者つんで行ったときもほんな感じだったんよ!」  「おー」  「ほんで医者にわ?聞いたん?」  「何がなだー?」 父親が不思議そうな顔で聞き返す。  「え!?聞いてないん!?」 僕は驚きながら聞き返す。  「ほなけん何がなだ」 黒く大きな顔を、赤黒くしながら聞き返す父親。  「急性増悪かどーかよ」 僕は布団に仰向けに寝転んだまま質問する。  「ほんなんいちいち聞いてないわ」  「ほれ聞かんでどないするんよ。あんた何のために病院行ってきたんよ」  「ほんなんいちいち聞かんでいいだろ。医者にまかせとったらいいでないかだ」 不満そうな顔で、不機嫌そうに言葉を発する父親。  「ほらまーほーやけど。急性増悪かどーかわかったらどないなるかだいたいわかるやん」  「ほんなんわかったところでどーしょーもないだろ医者にまかせとかな」  「まーほーやけど」  「とーはーん!とーはーーーーん!」  「今んとこは熱と咳がひどいっちゅーことじょ」  「熱わ?何度あるん?」  「37℃ちょっとじょ。微熱って言よったわ」  「降りてきなよー!ご飯できたじょー!」 階段の下から母親の声が響く。  「ふーん。あんたかーはん呼んびょるけんはよ下行って食べてきなよ」  「おー。うるさーいけんなあいつわ」 *** (やっぱりか。) 僕は1人になった自分の部屋で、1人で納得した。 ステロイドパルスなら、3日間しか継続して治療できない。 ステロイドパルスなら、4日後くらいにまた体調を崩すだろうと、予測を立てていた。 予測通りに体調を崩した、ばーの体。 (急性増悪やな。) (パルスやってぶり返したってことは、あんまりよーないってことちゃうんか。) いつもより静かな家の中で、いつもよりゆっくりと流れる時間。 僕は脱衣所で服を脱いで、お風呂に入る。 *** (んー。なんや。いまなんじやこれ。) 暗い部屋の中で、バタバタと下の廊下を歩く足音がして、車にエンジンがかかる音がして、走っていくような音がした。  「ゆーや」  「ゆーや!」  「えぇぇ。もう。なに」  「朝、病院から電話がかかってきてよ」  「えぇ。なにいまなんじなん」 僕は枕元に置いた黒縁眼鏡を手に取る。  「なんや、ばー。個室になっとったわだ」  「えー。なんでー」  「なんや朝、せこーなって動けんようなったんやと」  「えー。なんで。えー!?」 驚いて起き上がると、仕事着の父親が立っている。  「なんや朝、自分の部屋のトイレに自分で行ったんやと」  「ほんで?」 布団の横に置いたペットボトルを持ち、ごくりと水を飲みこむ。  「ほんでなんや、トイレでせこーなってほのまま動けんようになったらしいわ」  「えー!ほんで今はほれ、どないなっとん!」  「今はなんや、あの、酸素つけとったで、あのー鼻に管ようなん」  「うん」  「あれが口につける酸素に変わっとるわだ」  「えー、あのドラマやでよー見るやつ?」  「ほーじゃわだ。ほんでなんや、喋るんも喋りにくいような、元気やないわだ」  「えー」  「とーはんもー仕事行かなあかんけん、もう行くけどよ、ゆーやお前、用事ないんだったらちょっと昼頃にでも様子見に行ってくれんのん?」  「えーー。様子見たって、何したらいいんよほれ」  「まー。付き添いだけでいいけん。ちょっとほなもう仕事行くけんな」  「えー。ちょっ、ん、」 戸惑うように発する僕の返事を背中に浴びながら、父親は部屋の扉を閉めて行った。 (付き添いたってなあ。) 何をすればいいのかよくわからないまま、もう1度布団をかぶる。
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