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「あ、お世話になりますぅ」
僕は小声で挨拶をした。
30代くらいの看護師さんが、部屋に入ってきたからだ。
「点滴の交換の時間なんでね」
そう言うと、看護師さんは、寝ているばーの右側の、脈拍が映し出された機械の上にぶら下がっている点滴の袋を、何やらいじくりだし、何やら作業が完了したかと思うと、僕に何か変わったことがなかったかと質問し、確認すると、部屋から出て行った。
僕は、通常の音量で声を出す看護師さんに、
(いやいや、ほんな声で喋ったらばーが起きるって。)
と、思いながら、パイプベットのような簡易のソファのような椅子に座って静かに待っていた。
僕の予想は的中し、目を閉じていたばーが目を開き、咳をしはじめたのは、少し前からの出来事。
「いけるんか?」
看護師さんのいなくなった部屋で僕は、ばーに話しかける。
はぁはぁ。と、荒い息遣いに、喋ると苦しそうに見えるばー。
僕が病院に連れて来たあの日よりも、さらに体調が悪そうだ。
声を出そうとはするが、少し声を出すと咳をして、苦しそうなばーに、僕は話しかけた。
「しばらくここでおるけん。なんかあったら言えよ」
そう、話しかけた僕の声には、声は返ってこず、枕の上の顔が、下にコクンと面倒くさそうに動いた。
***
ずっと部屋にいても、なんだか暇。
しばらくは、靴を脱いで、パイプベットのような椅子のような、少し固い小さめのベットに横になって、ツイッターやらグーグルプラスやらをチェックしていた。
一通りチェックして、それでも暇だから寝ようと試みたものの、なんだか寝れない。
トイレを探しに廊下をうろついて、ようやく見つけて用を足したものの、ばーの部屋の扉を開けてすぐ右側にトイレがあることに気がついたときには、なんだか少しだけがっかりした。
それでも、滅多にこんな所に来ない僕には、新鮮な空間で、廊下を歩けば色々な部屋があって、人の気配がして、すれ違う人は看護師さんであったり、介護士さん?少し服装の違う人であったりと、なんだかウキウキした。
病室で目を閉じていると、もう1度部屋に看護師さんが入って来た時には、驚いた。
男の、看護師さんだったからだ。
しかも、イケメン。
凛とした濃い顔立ちで、イケメンという文字が、顔に張り付いていた。
(すごいな。あんな男の人もおるんやな。)
看護師は、女の人しかいないと思っていた。
(あんなチャラそうな奴もおるもんなんやなぁ。)
茶色に染められた髪の毛を、やんわりと靡かせながら、部屋を出て行ったからだ。
***
異世界。
僕の人生には、今までなかった世界。
心身症だの、パニック障害だの、持病はあるものの、たいして大きな病気になることもなく、大きな怪我をしたこともない僕には、新しい世界で、異世界だった。
けっきょく、夕方の17時過ぎ。
道路が帰宅ラッシュになる寸前まで病室にはいたものの、物珍しさと、退屈さが、個室の中で絡み合った。
点滴が吊るされた機械。
画面に映し出された数字。
口には酸素マスク。
ベットの右隣にはおしっこを溜める袋。
ばーの右手人差し指には、酸素数値?を計るクリップのような小さな器具。
体の周りには色々な管があって、はじめて見る病人の、病人らしい姿には驚いた。
大きな病院には医者がたくさんいたり、看護師がたくさんいたり、イケメンの看護師がいたり。
驚くことはたくさんあった。
けど。
1番驚いたのは、ばーが、病人のようになっていること。
ずっと前から病人で、家にはいたが、毎日、毎日、じーと喧嘩をして、いがり声を飛ばしていた人が、色々な管に繋がれて。
まるで、虫の息。
と、言う言葉が当てはまるかのような生命力のない雰囲気に、1番驚いた。
毎日、喧嘩をして、うるさくて、毎日、咳をして、うるさくて、イライラして、うっとーしく感じていたはずなのに、僕は何故だか、かわいそうに思った。
ぼーっとしながらアクセルを踏み、ぼーっとしながら車庫に車を止めた。
***
家に帰って、病室での状況をある程度、母親に話した。
面倒だけど、じーにも状況を話した。
聞かれたからだ。
父親は、帰ってこないようだ。
母親の携帯電話に、病院に寄ってから帰ってくるように連絡があったらしい。
僕は台所でご飯を食べ、お風呂に入り、布団に入る。
寝る前に、少しだけ検索した。
人差し指に取り付けられた、小さなクリップ状の物は、酸素の数値を計る機械。
健常者では、97くらいが健康らしい。
僕はてっきり、100が健康だと思っていたが、そうではないことに少し驚き、92という数字にも、驚いた。
今日のばーの数字は、92。
それは、人が全速力で走ったあとくらいの数値らしい。
(酸素マスクしてほれなん?)
(いやいや、あの人いけるん?)
(ずっと走ったあとの苦しさって、ほれ苦しいないん?)
疑問に思いながらも、布団をかぶった。
***
目が覚めた朝。
今日は何もせず、だらだらと、いつも通りの1日を過ごした。
喧嘩のない静かな家の中は、平和で。
平和で。
それでもなにか、スッキリとはしない気持ちで、携帯電話を握りしめる時もあった。
そのまた次の日も。
特になにもしていない。
父親の仕事が、休みの今日。
朝から父親が、病院に行ったからだ。
帰ってきた父親の話を聞くには、トイレで倒れた日よりは元気になっているが、それでも、そこまで元気ではないらしい。
「あれ、もうながーないぞ」
僕の部屋の中で発せられた言葉に、僕は声を返した。
「あんた喪服あうん!?」
「ええ!?」
「あんたほんだけ太っとったらスーツ入らんのとちゃうん?」
大きく膨らんだお腹を見上げながら布団から声を飛ばす。
喪服など、母親のひいじいちゃんの法事以来、何年も来ていないだろう。
「えーーーーー、入るわだ入るんちゃうんー」
父親が、お腹をさすりながら返事する。
「入らんだろ!ほれあんた何キロ太っとるでだ!ってか、わいほなスーツ買いに行かなあかんのんか!?」
「えー!?お前スーツ持ってないんかだ!?」
「持ってないよスーツや!」
「まぁほらほない急いで買わんでもいいだろうけど」
「とーはーん!!ご飯できたよー!」
「あんたスーツ入るかちょっと1回ズボン履いてみなよ」
「えーーーーーーー」
「ごはんー!冷めるじょー!」
「ほれあんた返事するか降りて行くかしなよ」
「おー」
僕は、スーツなど持っていない。
ひいじいちゃんの法事の時は、学校の制服を着ていたからだ。
成人式には出たが、その時は兄にスーツを借りた。
縦ストライプが入った、スーツをだ。
長くないと聞いて、1番にひらめいたのは、スーツを用意しないといけないということ。
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