僕がニートを卒業しようと決めた日

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*** 夜ご飯を食べ終わった父親が、1万円札を5枚持って、部屋に入ってきた。 黒いズボンを履いて。  「これー!どーゆーことー!?」  「えー?なにがぁ?」  「これ、フォックが閉まらんでーこれー」  「はっはっはっ」 僕は父親のお腹を見て笑う。 夜ご飯をたくさん食べて、パンパンに膨れ上がったお腹は、かろうじでチャックが上まで上がっているが、肝心の1番上の止め具が止まっていない。  「まーでもいいか。こんで」  「いやいやいや。ほれはあかんだろ」  「えー。どーせベルトするし、上着も着とるけんここ閉めてなかってもわかれへんだろー?」  「いやいやいや」 僕は立ち上がり、父親のお腹とズボンの隙間に手を差し込む。  「パンッパンでこれ!」 笑いながらわずかに入った指を抜く。  「ほれわー。あれちゃうんー。今ご飯食べたとこやけんちゃうん」  「いやいや、そーゆー問題でないだろこのキツさわ」  「えー。金もったいないこれでいいわまぁ。ほれよりお前じょだ。ないんだったら買わなしゃーないでないかだ。急いで買わんでもいいけど、またちょっとどっか見てこいよ」 そう言って、父親がお金を部屋に置いていったのが、僕がお風呂に入る少し前のことだ。 (青木行ってみよーかー。) (はるやまかなぁ。) (青木とはるやまってどっちが良いんだろうか。) なんて、考えながら、眠りについた夜。 *** あれから、3日。 僕は2度、病院に行った。 1度は、自分が行くために。 もう1度は、母親を送って行くために。 僕の母親は、免許証を持っていない。 もちろん、車もだ。 この車社会の田舎で、自転車で病院まで行くには、あまりに遠く、バスで行くにも不便な交通事情。 父親に、母親を送って行ってくれと頼まれたからだ。 半日。 半日、病院にいると、見たことのない親戚のような、親戚が、噂を聞きつけてか、様子を見に来た。 母方の祖母とは、よく付き合いをしていて、誰が誰なのかは、よくわかるけど、父方の祖母。 ばーの親戚とは付き合いがないから、はじめて見る顔ぶりばかりで。 (誰?これ?) と、不思議に思いながら、  「ああ、はじめまして。孫のぉ……」 なんて、ぎこちなく返事をした。 酸素マスクをつけて、目を開いてはいるものの、会話をしたそうに見えて、会話をすることのできない祖母の様子を見ると、なんだか心苦しかった。 喋ろうとすると咳が出て、見たことのない親戚が話しかけて、また喋ろうとすると、言葉にならず咳だけをして、  「コンコンコン」 と、音が鳴ったら、僕はパイプベットから起き上がる。 ***  「コンコンコン」 この音は、サインだ。 父親が、そう決めた。 声が出ずらい祖母が、僕たち付き添いを呼ぶ、合図。 ある時は、 「コンコンコン」 の音で、電動ベットを起こす。 ある時は電動ベットを下げて、平にする。 僕は音で呼ばれ近づき、  「ベット下げるんかー?」 と、質問すると、顔がコクンとうなずいたから、電動リクライニングの上半身の部分を、下方向に動かすボタンを押し込んだ。 ***  「コンコンコン」 パイプベットに横になっていると、音がした。 僕は反射的に起き上がる。  「どしたんなー?」 話しかけながら、ベットの隣に立つ。  「おまはんっケホッケホッ」  「なんなー?ベット起こすんか?」  「おまはん。ケホケホケホ。おまケッホケホ」  「起こそうか?」 僕が聞くと、首がコクンとうなづいた。 電動ベットのリモコンを押し込むと、ばーの上半身が、ゆっくりと、起き上がる。  「よっしゃ」 言葉を聞き入れ、反射的に指をはなしリモコンをベットの上に置く。  「おまんも、すぐには無理だろうけどケッホケホ。どないかせななぁ。はぁはぁ。」 荒い息遣いで、よくわからないことを言うばー。  「何をな?」 僕は不思議に感じ、聞き返す。  「しーごと」  「え!?」  「仕事。はぁはぁ」  「え!?仕事!?」  「んーはぁ。ケホッケホッ。しーごと。はぁ。おまんは、体はどんなん?」  「体!?わいの!?」 僕は驚き、聞き返す。  「えぇ」  「ほらまぁ、薬はよーけ飲んみょるけども」  「えぇ。よーけ飲んみょんでおまんも。はぁはぁはぁあー。せこ」 顔を強くしかめ、両目を閉じるばー。  「せこいんだったら寝とけだ。下げようか?」  「いつかは、嫁さんももらわなんだらケホケホケホ。おまんケッホ。兄ちゃんもとーきょーケッホケホ。ケホッケッホいてもーて。はーはー。こっちにおるんは、はぁ。・・・おまんだけやけん」 (なんやこの人。こんな時にこんな心配しとんかい。)  「よーないよんで?病気わ?」 目を閉じたまま、声を弱々しく出したばー。  「んー。まぁ。よーないよるけん、ばーもはよ治せよ。せこそーなけんもー倒すぞ?」  「えっとなんもしてないケホッケッホケホケホ。けん、はぁはぁはぁ。いきなりはケッホ。できんだろけんケッホケホケホケホちょっとずつなぁ」 (自分が死にかけとるのにわいの心配しよんかい。)  「おぉー」  「おまんもまぁはぁ。がんばりよ」  「おおー。ベット倒すぞ?」  「ええ」 言葉と共に、首がコクンと下に下がり、僕はベットを平にする。 *** 僕はパイプベットに横になり、しばらく天井を見つめた。 (こんな時に、わいの心配かい。) (自分死にそうやのに。自分の心配せーよ。) (急に変なこと言うなー。) 思わぬ質問に、天井を見つめていると、何故か両目に熱いような感覚がした。 が、僕は本能的にグッと何かをこらえた。 グッと体のどこかに力が入っている間も、部屋の中には咳をする音だけが流れた。 久しぶりに味わう不思議な感情を、僕はグッとこらえながら、寝がえりを打つ。
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