僕がニートを卒業しようと決めた日

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*** 夕方の帰宅ラッシュの前に僕は車を走らせる。 父親は、仕事が終わると病院に向いて車を走らせる。 しばらく、そんな生活が続いた。 僕は、そんな生活の中で、ばーの主治医に質問をしたことがある。 眼鏡をかけた、優しそうな顔の白髪の先生は、僕が質問すると、驚いた表情で言葉を切り返したのだ。  「先生、あれって、薬で殺せんのですか?」 僕が、こう、質問したからだ。 間質性肺炎。 特発性間質性肺炎の、急性増悪。 原因不明の間質性肺炎で、急性増悪を起こすと、死ぬ確率が高い。 断片的な知識をネットから収集した僕は、息苦しそうに呼吸するばーに、このまま苦しみながら死んでいくくらいなら、薬で眠るように死んだほうが楽なんじゃないかと思ったからだ。  「なっ!?今、えっ!?なんて!?」 よぼついた二重まぶたの目を、メガネのレンズごしに大きく見開いた。  「安楽死?みたいなんてできんのですか?息がせこそーで、あれやったら薬で殺してあげたほうがいいような気がして」  「あ、安楽死はね、今の日本ではできんのですわ。えーっとねー。美空さんの場合わー」  「無理なんですか?」  「薬でね。そういうことするんはね。僕らの中ではセデーションて言うんです」  「セデーション?」  「そう。でもこれわー。治療をしてほれでも治る見込みがない人にしかできんのですわー」  「ばーは、あれ治るんですか?急性増悪ですよねこれって?」  「んー。僕もそうやと思うけど、人間の命っていうんは、僕ら医者でもわからないものでねー」 (なんのための医者やねん。)  「はい」  「とりあえず今、点滴して治療しよるけん、これでも効果が出んかったらー。できるかなぁ。どうかなぁ。」 (なんやねん。)  「起きとっても息しよるだけやし、水飲んでもむせて逆にせこそーにしよるし。あの酸素の数字って全速で走ったくらいの呼吸を、ずっとばーはしよるってことでしょ?」  「んー。そうやねー。酸素数値ね、ほなけど、まだ治療が効かんってわかったわけではないけんねー。今わー。無理ですわ美空さん」  「そうなんですか」 こんな会話を、病室の前の廊下で、中にいるばーに聞こえないように、少し小声でしたのだ。 *** 入院してすぐは、比較的元気だったばー。 トイレで倒れてからは、別人のようになった。 最初の数日は、なんとか会話もでき、自分でご飯も食べていた。  「もーちょっとお粥とかやりこいご飯にしたら?」 と、2人きりの時に聞いたが、へんこつなばーの前には、通常の人間が食べるご飯が、お昼になると運びこまれてきた。  「はぁはぁはぁ」 座っているだけなのに、走ったあとのような呼吸をしながら、白いお米をなんとか食べる日もあれば、デザートの青りんごゼリーだけをすするように弱々しく食べる手が、震えている日もある。 自分で歩くことのできないばーは、管が股間に通っているのか、おしっこをするとベットの右側の袋に液体が流れてくる。 1日に何度か、オムツの交換にも来る。 オムツだ。 数日前まで、じーと派手に喧嘩をしていた人が、オムツにうんこをしている。 看護師さんなのか、介護士さんなのかよくわからない人が、ビニールエプロンをして、ビニール手袋は履いて、ばーのオムツをはがし、汚物を捨て、お尻拭きでばーのお尻を拭く。 また、新しいオムツを履かせてもらうと、ズボンも履かずに布団をかぶせてもらい、咳をする。 (こんなん人間でない。) はじめて見る光景に、我慢ができなかった。 できなくなったから、僕は主治医に相談をしたのだ。 *** 父親が病院から帰ってきた夜。 夜ご飯を食べ終わった父親に僕は、話をしに行った。  「なーなーとーはーん」 畳の部屋に寝転んでいる父親。  「なんなー?」  「今日医者になー。ばーを薬で殺せんかって聞いたんよー」  「なんて!?」  「いや、ばーをな。安楽死できんか聞いたんよ。医者に」  「おお」 寝転がっている父親が、畳の上に座った。  「なんかせこーてかわいそーなでー。ずっとあんなん」  「・・・・・・」  「んで医者に聞いたらな、セデーションっていうんがあるんやって」  「なんなほれ?」  「セデーションって言うんやって。安楽死させることを」  「セデーション?」  「そうそう。薬で殺すことをほーやって言うんやって。ほんでほれをばーにできんか聞いたんやけど、今のばーにはできんのやって」  「おお。・・・・・・できんって言うんは、なんでな?」  「なんかセデーションって言うんは、治療しても、もう治ることがないって人にしかできんのやって。ほんで、ばーは今治療中で、ほれでも治りそうになかったら、ほん時にできるんやって」  「ふーん。ほんで、どないするんな?」  「いや、わいはあのまませこそうに苦しみながら死んでいくよりかは、眠るように死んだほうがばーも見よるほうも楽なんでないかとおもーてな」  「見よるほーって言うんは、とーはんやか?」  「うん。仕事もあるし、お金やってほない金持ちなことないんやけん入院が長引いたって、困るでー。よーけいったら」  「・・・・・・・・・・・・」  「ほんで息ができんで今もせこそーにしよんのに、今からもっと苦しそうになっていくん見よるほうもつらいでー」  「・・・・・・」  「ばーやって、せこいまま死ぬよりは、楽に死ねたほうがいいんちゃうかとおもーて」  「んー。。。。。。」  「ほなけんいちおほんな方法もあるよって教えとこーと思って」  「おお」  「まーほんだけ」  「おお」 黒く大きな顔を、眉間にしわ寄せ険しい顔をする父親に、僕は背を向ける。
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