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***
父親が病室に帰ってきて状況を話した。
どうやら葬儀屋が、今から病院に来て、葬儀屋までばーを運んでくれるらしい。
静かな病室で、4人がシーンとなっていると、見慣れない先生が父親を呼んで、父親はどこかへと消えて行った。
僕は今、荷物の整理をしている。
母親と。
ばーの着替えや、オムツ。
お尻拭きや、コップ。
病室の棚には、色々と必要な物を持って来て、棚の中に入れていた。
その全てを、棚から出し、車に向いて足を進めている。
(なんや。あっけないなぁ。)
悲しみに深く浸る間もなく、やらなきゃいけないことが次々に現れる。
入院が決まった時は、着替えだのタオルだのを透明のプラスチックケースに入れて用意するのが大変で。
ドララッグストアで大人用のオムツを初めて選ぶのが大変で。
100円均一で穴あきの蓋つきのストローをさせるコップを探すのが大変で。
テレビを見るために片耳のイヤホンを買って来てくれと言われ探すのが大変で。
色々な苦労を。
いくつかにまとめて。
車のトランクに雑に乗せていく。
撤収。
撤収と言う言葉がまさに当てはまる行動に、人の死を、あっけなく感じてしまう。
見たことのない黒服の2人組が来たかと思うと、葬儀屋ですと挨拶をして、ばーをストレッチャーのような物に乗せる。
片付けを終えた僕達は、ばーと見たことのない黒服の2人組とエレベーターに乗り、通ったことのない廊下を歩いて、病院の正面ではない入口?出口?のような場所で、黒い車にばーが乗り込むのを見て。
じーが黒い車の助手席に乗り込んで。
僕は夜明け前の薄暗い道路を、荷物と母親をつんで運転する。
経験したことのないことが、次々と経験したことのないスピードで進んでいく。
陽気な気分で話す人は誰1人としておらず、独特な空気で時間が過ぎていく。
***
家に帰って、これからどうすればいいのか父親に確認の電話をした。
母親と父親は、仕事を休んだらしい。
今夜が通夜なるもので、明日が告別式なるものらしいと言うことを聞いて、僕は少しの間眠った。
目が覚めるとお昼過ぎで、家にいたはずの母親はいなくなっていて、携帯電話にメッセージが入っていた。
「葬儀屋に行ってくるけんな。洗濯物よろしく」
と。
お昼ご飯を食べて洗濯物を入れる、畳む。
いつも通りのような、いつもと少し違うような。
嫌いだったはずの人が死んで、せいせいするはずだった僕の心は、予定通りせいせいはしておらず、極上に静かな家の中で、何とも言えない感情が、込み上げてくるような、胸にポッカリと穴が開いたような。
よくわからない自分と葛藤しながら、買ったばかりのスーツを出して、ワイシャツを袋から出して、ベルトを袋から出す。
静かなはずなのに、時間の経過をすごく早く感じる。
***
家族葬。
なるもので。
永代供養。
なるものだと、ラインで母親に聞いた僕は、支持された時間に間に合うように新品のスーツを着て車を走らせた。
葬儀屋に着くと、我が家の名前が書かれた看板が立てられていて、受付の人にどこに行けば良いのか聞くと、どこに部屋があるのか教えてくれた。
スーツを着ると、なんだか背筋がビシッと伸びる。
張りつめている気が、余計に引き締まるような気がする。
部屋に行くと、葬式!!と言うイメージ通りに祭壇が組み立てられていて、父親、母親、じーが黒服を着て畳の上に座っていた。
祭壇の前には布団が敷かれていて、布団の中には、ばーが眠っている。
通夜を経験したことのない僕には、何もかもが新鮮で、辺りを見渡してから座布団の上にお尻を置いた。
「とーはんあれから寝たん?」
「いやー。寝てないけどどしたん?」
「体もつん?いけるん?」
「別に1日2日寝てないぐらいいけるわだ」
「通夜って誰か来るんだろ?」
「おおー。まぁ親戚は、連絡したわだ」
「ねーちゃんとかーちゃんも、もーちょっとしたら来るよーに言よったわ」
「ああ。ほーなん。かーはんわ?寝たん?」
「寝てないわよー」
「とーはんスーツきつーないん?」
「きつーないわだー。ほれ」
父親がベルトの下を僕に見せびらかす。
「締まってないでーやっぱりほれ。あんたちょっとダイエットしなよ」
僕は笑いながら言葉を返す。
そんな会話を、聞いているのかいないのか。
ばーは寝ている。
少し前まで生きていて。
少し前に死にかけて。
今はもう死んでいる。
はじめて見る死人は、顔色が悪く。
肌の白いばーのほっぺたは、真っ白になっている。
ばーの横には、長い蚊取り線香のような物が置かれていて、煙が上がっている。
「これなに?」
と、僕が質問すると、
「線香じょ」
と、父親が当たり前のように切り返した。
「線香!?」
僕は驚いて聞き返した。
「おお。なんや今晩は1晩中火が消えんようにするんやって」
「ほなけんこんだけグルグル巻いとん?」
蚊取り線香のような形をした線香を眺めながら聞き返す。
「ほーだろーな」
「なんやひいじいちゃん時もお線香消えんようにしたけど、昔はこんなんでなかったわよ」
「へえー」
「これ1つで10時間ぐらいいけるんやって。用意しよる人が言よったわ」
「なんで一晩中点けとくん?」
「なんかなぁー。死んだ人が迷子にならんようにとか、ほんなんがあったはずじゃわよ。ひいじいちゃんの時はほない聞いた気がするわ」
「へえー」
「写真やどないしたんとーはん?」
祭壇の中央には、大きなばーの写真が飾られている。
「ほれよお前、ばーの写真やないけん探しまわってよ。ほんでまたこれあれぞ。カラーにするんだったら追加料金がいるやゆーけん、ほなけんもう白黒にしたわだ」
「えーーーー。なんやばー。会員に入いよったのにまだお金かかるん!?」
「ほーじょだお前。この部屋やってばーがなんや入っとんは、告別式だけの部屋借りる料金しか入ってないけん、今日部屋借りとんは別料金やって。うまいことできとんなーほんま」
「えーーーーーーーーー。なんや営業に来とるおばはんは、これに入っとったら大丈夫ですやて言よったのに。ぼったくりやなぁ」
「この写真の枠やってお前、ばーの入っとんだったらもっとちゃっちい枠だったんぞー。あんまりやけんて枠変えたらまた金じょだ」
「えーーー。お金あるん家?ほないないのにいけるんほれ?」
「ないったっているもんしゃーないでーなー」
父親が、チラッと母親の顔を見た。
「できるだけ使わんよーにしーよ。葬式にや金使う時代でないんやけん」
「ばーがもともと入っとんが家族葬や言うて、ほない人呼ばんよーなんにしとるけん、昔みたいに何百万もはいらんみたいなけどなぁ。ほなけどお前、次から次に金がいるわだ」
父親が、呆れたように笑いながら話していると、母親の姉と、母親の母親が部屋の隅から顔を覗かせた。
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