53人が本棚に入れています
本棚に追加
***
僕は、見ちゃいけないと思いとっさにトイレに立ち上がった。
はじめて見る光景に、動揺した。
母親の、母親。
ばあちゃんが、父親に言葉をかけた時だ。
「晃君お疲れ様。しんどかったなぁ」
と、声をかけたその次の時間の経過からだ。
元々黒い顔を、赤黒くして、父親の目元に。
光。
流れ落ちる物質を確認した。
はじめて見る、父親の涙だった。
母親の涙は、はじめて病室で見た。
父親の涙は、はじめてさっき見た。
見たことのない光景に、戸惑うしかない。
親の涙は、何故だか見たくない。
何故だか複雑な気持ちにさせる。
トイレで立ちながら股間から流していると、何故か目と鼻からも流れそうになる自分に、クッと力を入れて水で顔を洗う。
(はよ死ね。)
毎日思っていたはずなのに、体からは矛盾した物質が出ようとする。
僕の体は、一体どうしてしまったのだろうか。
***
僕は、泣かない。
泣いたことがない。
子供の頃は年中泣いていたが、中学生になってからは、2度しか泣いたことがない。
彼女をフッた時と、彼女にフられた時だけだ。
成長してから泣いたことがあるのわ。
元々感情を表に出すタイプじゃないから、喜怒哀楽をそんなに表現しない。
だからそんな僕が、涙を流すなんて、よっぽどのことだ。
それなのに、死んでほしかった人が死んだはずなのに、何故だか出そうになる矛盾した涙。
落ち着いてから畳の部屋に戻ると、1度しか見たことのない顔の親戚が黒い服を着て畳の部屋にいた。
父親とじーは、今日はこの部屋で寝るらしい。
僕は母親を連れて家まで戻り、次の日の朝に母親を連れて葬儀屋まで車を走らせた。
広くはない部屋に10数人の身内が集まり、お坊さんがお経を読む。
涙を出しながらすすり泣く人が1人発生すると、周りに感染する。
僕は必至に感染しないように黒い数珠を握りしめた。
急いで買った100円均一の数珠は、ちゃっちくて、糸が切れてしまわないかとドキドキした。
棺に横になるばーの枕元に花を置くときには、ほぼ全員が涙を流した。
最後のお別れ。
と、言う独特な空気感は、はじめて味わう空気だった。
とてもじゃないけど、快適な空気だとは感じなかった。
僕はお別れの花をばーの左耳の横に1輪置いて、手を合わせて目を閉じた。
「プーーーーーーーーー」
また黒い車に乗り込んだばーは、長いクラクションとともに出発した。
ばーを追いかけるようにマイクロバスに乗り込んだ僕達は進み続け、バスに乗って焼き場に到着すると、見慣れない光景がまた広がり。
棺に入った、もう苦しそうな顔をしていないばーに皆で最後のお別れをする。
人が焼かれているのを待つのは、はじめてで。
焼きあがると、さっきまでのばーが、骨になっている。
人の骨を見るのははじめてで、黒い灰に混じって、白い骨がある。
白い骨を皆で箸渡しをして、骨壺に骨を入れる。
僕が慣れない環境に圧倒されている間も、慣れない体験は次々に襲い掛かってきて、慣れない感情が何度も込み上げた。
死んでほしい人が死んだはずなのに、悲しみすら、込み上げた。
最初のコメントを投稿しよう!