僕がニートを卒業しようと決めた日

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*** 今日も続く。 僕が布団に横になり、枕に左耳をつけ、くつろいでいると。 下から響く。 口喧嘩の声が。 口喧嘩が終わり、やっと静かになったかと思えば、じーの部屋の扉がバン!と、大きな音で閉まり、それから少しして、ばんっとばーの部屋の扉が閉まる。 僕は、ずっと家にいるが、僕が暮らす部屋の下では、ずっと喧嘩が繰り広げられる。 喧嘩が終わり、やっと静かになったかと思えば、少しの間をあけて、咳がはじまる。  「ケホッ。ケホッ。ケホッ」 間質性肺炎。 何年か前から、咳がよく出るようになり、色々な病院に行った結果だ。 喧嘩の間、間でも、咳が出ている。 咳をしながら喧嘩をし、喧嘩が終わっても咳をする。 静かに暮らしたいと思う僕の耳に、今日も迷惑な騒音が響き渡る。 (咳するのに黙っておれや。) (喋るけん咳が出るんだろーが。) (はよ死ね。) 不満を抱えながら、抱き枕を抱える。 ある日には、いきなり食器が割れる音。 またある日には、怒鳴り合いのあとに食器が割れる音。 (年いってさすがに手は出んよーになったか。) (ちゃんと掃除しとけよ危ない。) 僕は、布団の中で冷静に客観視しながら、ストレスを貯め込んでいく。 *** そんな毎日が急激に変化したのは、ばーの入院が決まった日のことだ。 3日ほど前から、いつにも増して咳き込むようになったばーを、さすがに心配して僕は父親に相談した。  「あれ、ばー。最近、咳ひどーないか?」  「おお?」 畳に寝転んだ父親が、体を反転させる。  「あんだけ咳しよっていけるんか?あれちょっと病院に連れて行ったほうがいいんちゃん?」  「いつもしよんで咳や」  「なんか酸素ボンベみたいなんもらってこんでもいけるんか?」  「しらーん」 体を反転させ、テレビの画面を見る父親。 (あれほんまにいけるんか。) (あんだけ咳しよったらせこいだろーに。) 早く死ね。 と、思う日もある僕だが、あまりの咳に心配しながら階段を上がり、布団に入る。 *** (うるさいなぁ。もう。) 僕は咳の音で目を覚ます。 (なんや。まだよーけ咳しよるでないか。) 2度寝を決め込もうと布団を頭までかぶる僕の体を、咳き込む音が通過する。 2度寝をしようと決め込む意思に反して、静かな部屋に、下から響き渡る咳の音が、僕の眠気を吹き飛ばす。 *** 何度も繰り返し咳き込む音で目を覚ました僕は、食前に飲む漢方薬を飲み、布団に戻り、30分後にヨーグルトを食べ、食後の薬を喉に流し込んだ。 いつも通り。 咳の音は聞こえるが、いつもより。 ひどいことが、2階にいてもわかる。 聞き耳を立てているわけじゃない。 聞き耳は、いつの間にか、勝手に立つようになった、僕の耳。 今日は、水曜日だ。 じーは、趣味のカラオケに出かけるためであろう。 1階の洗面所から、ドライヤーの音が聞こえてくる。 その間も、絶え間なく咳き込んでいる。 (あれあんだけ咳しよったらあかんだろ。) (じーに病院連れて行ってもろたらいいのに。) (どないかせな。家で死なれても困るしな。) 布団の中で、いつもなら、うるさいな。と、思うところだが、連日続く異常な咳に心配している間に、玄関の扉が開く音がし、車のエンジンが、かかる音がする。 車が車庫から走り去ったあとも、咳き込む音は続く。
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