恥毛付帯

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それはまだコロナのコの字も無い頃。 いつもの通勤電車で座り、スマホ見ていたが、ふと目線を横に滑らせた私は左斜め前に立つ女子大生風お嬢さんのジーパンにそれを見つけた。 目線だけ上げ確認すると、片手で吊り革持ち片手でスマホ操作してるカワイイ広瀬すず似女子だ。 斜め下に目線戻すとやはりそれは有った。 すずのジーパン全面の開閉部、ジッパーから縮れた毛がぴろぴろ。3〜4cm飛び出し、漆黒の存在を主張している。 これはあれだ。本来公共の場で人前に出してはいけない毛。その抜毛がジッパーに挟まったようだ。 どうしたものか。何気に「もしもしお嬢さん、股の毛飛び出してますよ」と注意してさしあげたら不特定多数の前では恥をかかせてしまうことに。 すずが降りるのを追いかけ、周りに人がいないタイミングで耳元に囁くか。いや、こんなオヤジがそんな事をすれば一歩間違えれば痴漢扱いの可能性が有るし、だいたい私も出勤せねば。 かといってこのまま放置すればすずはあのまま行ってしまう。次に乗った公共交通機関で私のように誰かに見つけられ後ろ指さされてしまうかもしれない。大学に着き、友人から「やだ、出てる。それでここ迄来たの?」男友達から「うわ、ヤベ!剛毛」とかからかわれ、羞恥に追い詰められたすずに自殺でもされては寝覚めが悪い。 しばし目を閉じ熟慮の末、私は腹を決めた。 よし。ここはすずの尊厳を守る為、誤解を怖れず私が取ろう、毛を。そして大切に持ち帰り丁重に保管するのだ。全てはすずの尊厳の為に。 腹は決まった。だがどうやる。ジーパンに触れてしまってはほぼ痴漢行為になってしまう。出てる毛だけを摘み取るしかない。彼女や周りの人に気づかれないように。 再度瞑目熟考の末、いくつかの作戦を立案した私は、すずが次の駅で降りる可能性に思い至り、早速実行に移った。 左手の腕時計を見るふりをし上げた手を、やや大きめの弧を描くように下ろしながら毛を摘み取ろうとした瞬間、左に座るサラリーマン風の右手とぶつかった。 「失礼」「すみません」 お互い軽く頭を下げたが、彼の目線が私から離れ、すずの毛を経て手元に戻るのに気づいた。そして、彼の思いにも。 彼は小型の手帳を持ち、ページを捲っているが、心眼はすずの毛を見ているはずだ。 ほう。私以外にも見ず知らずの乙女の為に一肌脱いで1毛摘もうとする、こんな奇特な方がいたとは。 しかし、この汚れ役をこのような将来の有る青年にさせるわけにはいかない。彼の将来の為にも私がやらねば。 彼はバッグを膝の上に置き、中に手帳を入れた。そして中をガサガサ物色している。また何か取り出す流れでアタックする気だ。 私はスーツの内ポケットからスマホを取り出し、見るふりをした。勿論横目で彼の動きに集中している。 と、彼がバッグからガムを取り出す勢い、というには不自然な動きで、手をすずの毛に伸ばそうとした。瞬間、私は近くの字が見えにくい体で、目を細めながらスマホを持つ手を伸ばし迎撃。 また手がぶつかり、 「お」「あ」 互いに頭下げるが、彼もこちらの意図に気づいている目だ。 彼は「ふう」と息を吐き、何か考えるように下を向いた。 その時、車内アナウンスが次駅が近い事を告げた。すずが顔を上げ反応した。降りるようだ。時間が無い。 私はスーツのポケットからハンカチを取り出す。隣では彼がポケットティッシュを取り出し、ティッシュペーパーを1枚引き抜いた。 勝負だな。 彼のティッシュペーパー持つ手と私のハンカチ持つ手が同時に動きを見せた瞬間、電車が揺れた。すずは左脚を半歩開きバランスを取る。彼は不自然に大きな手の動きから、ティッシュペーパーを自分の右腿に乗せ、あたかも汚れを見つけたかの如く拭いている。私はハンカチを落としてしまった。電車は減速し、駅に止まる。降車客に紛れ、すずが降りて行った。 私はハンカチを拾う。 隣の彼は、落胆した顔ですずの降りたドアを見たまま、力無く腿を拭き続けている。 私も大きくため息をつき、ハンカチをしまった。 やがて目的駅に着いた私は、まだ座っている彼に顔を向け、微苦笑で軽く会釈をした。彼も苦笑しながら顔を軽く左右に振った。 さらば好敵手(とも)よ。 電車から降り、トイレの個室に入った私は、スーツのポケットからハンカチをそっと取り出す。ゆっくり丁寧に広げると、漆黒の縮れ毛が。 そう、あの時。電車が揺れてすずが脚を開いた時、その衝撃で毛が落ちたのだ。元卓球部、動体視力の良い私にはそれが見えた。とっさに毛に被せるようハンカチを落とし、ハンカチを拾う流れの中で毛も拾い取ったのだ。 彼は、不意の揺れですずの位置が私寄りに微妙にズレ、毛の位置もズレた為、それを見送ってしまった。また、毛が落ちた事にも気づいてないようだ。 朝から人助けができ、久々に爽快な気分だ。 毛を包んだハンカチをスーツの内ポケットに大事にしまうと、会社に向かった。 オリンピックでの卓球、特に女子の活躍を祈りながら。
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