電線ウォーカー

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雨が強くなってきた。わたしはもう、びしょ濡れ。でも大丈夫、慣れてるもの。心配なことがひとつあるけれど、心配しても仕方のないことだし。 わたしは、電線ウォーカー。電線の上に住んでるの。姿かたちは人間とおなじ。でも、人間じゃないわ。電線ウォーカーは、人間のように食事をとる必要がないの。あえて食べ物と呼ぶなら、それは電気。電線を流れる電流の一部は、常にわたしの体に流れ込む。心臓も肺も、ものを考えたり、体を動かすことも、全て電気の力でできるの。それはロボットじゃないかって。失礼ね、全然違うわよ。人間のように考えたり、笑ったり、怒ったり、泣いたりできる。というかほら、今のがそうじゃない。ロボットが「失礼ね」なんて思う?……え……そうなの……最近のロボットはすごいのね。いや、それでも、ロボットとは違うのよ。どう違うのかって言われるとうまく答えるのが難しいんだけど、ほら、なんていうか自我?そう、ちゃんと自我を持ってる。それに……そうよ、一番大事なことを忘れてたわ。わたしはロボットと違って、ミスをすることができる。……まあ、自慢気に言えたことではないけれど。とにかく、わたしは人間でもロボットでもない、電線ウォーカーという種族なのよ。 今は夜。午後から降り出した雨が、ますます勢いを増してきたところ。残念ながら、電線の上で生活するわたしに雨宿りする場所はない。鳥たちはいいわよね、雨が降ってもすぐに木のかげや人間の家の屋根の下に飛んでいけるんだから。電線ウォーカーのわたしは、もちろん地上に降りることはできない。降りたらその瞬間に電気の供給が止まってしまうから。……別に嫉妬なんかしてないわ。彼らはわたしの友達だもの。電線の上で出会える生き物って、意外と少ないのよ。だから、大事にしなきゃ。 えっ?さっきから聞いてると、なにかと人間より不自由そうだって?まあ、そう思われるのも仕方ないわ。だけど電線ウォーカーにだって、楽しみはあるのよ。例えば、そうね………うーん……………ちょっと待って、また考えとく。 だから、雨って嫌い。友達がみんないなくなっちゃうから。こんな日は、夜の町をひとりで散歩する。両手を大きく広げて、右足、左足……。人間が綱渡りする格好とまるで一緒。ただ違うのは、人間が道を普通に歩くのと同じ速さで歩けるということ。なんなら、人間が走るのと同じ速さで走ることもできる。 さて、今日はどこへ行こうかな。正直、このあたりの町はどこも歩き尽くしてしまったのよね。名前を覚えている人間の家もある。会話したわけじゃないわ、表札を読んだのよ、電線ウォーカーは目がいいんだから。そうね、今日は少し遠くの町まで行って、新しい景色を見て帰ろう。そう思って歩き始めた時、 「あっ、おねえちゃんだ!おーい、僕だよ!こっち向いて!」 ふいに下から声がした(というか下以外から声がすることはほとんどない)。見下ろすと、住宅街の中の一軒。その玄関扉の前に男の子が立っていて、こちらを見上げていた。 あれは………この前もわたしを見つけて話しかけてきた子ね。えーっと……ふーん、佐藤ってお家の子だったんだ。こんな近くに住んでいたのね。 わたしはその時のことを思い出していた。ある朝のこと。わたしは、近所のおじいさんと一緒に「アルゴリズム体操第一」をやっていた。一緒にと言っても、むこうはこちらに気づいていない。わたしはただおじいさんを真似て、体を動かす。これが毎朝の日課。ちなみに「第二」はやらない、動きがちょっとはずかしいもの。男の子に声をかけられたのは、「空気が入って横曲げの偉い人」をしていた時だった。見下ろすと、男の子と、その母親らしき人間が、並んでわたしを見上げていた。男の子は世にも珍しいものを見るように、 「おねえちゃん、すごいね!どうやってそんなたかいところにのぼったの?ぼくものぼりたい!」 と興奮してはしゃいだけれど、母親の方はあまり面白くなさそうな様子で、 「そうね、すごいわね。さあ、行くわよ」 と言って、わたしから目をそらさずにいる男の子を強引に引っ張っていった。 実は、そういう体験はその時だけじゃなく、これまでに何度かしたことがある。だけど、どの時も同じような光景になるの。子供はわたしに興味津々で、大人は、わたしを見るのも嫌そうにする。どうしてかはわからないけど、人間界とはそういうものなのだろう、と思った。 回想にふけっていたわたしは、男の子の声で現実に戻ってきた。 「おねえちゃん!ねぇ、おねえちゃんってば……きこえないのかな」 どうやら、さっきからわたしに話しかけていたらしい。わたしが、聞こえてるわ、というと、男の子の顔が一気に明るくなった。 「おねえちゃんは、おうちにかえらないの?」 男の子は無邪気にたずねる。 「わたしの家は、ここよ」 男の子は心底驚いた顔で、 「えーっ!じゃあ、ねるときも、そこでねるの?おちたりしないの?」 と言った。 「大丈夫。落ちないし、わたしは眠らないわ」 電線ウォーカーは、電気が流れている限り、人間のように疲れたり、筋肉痛になったりはしない。だから、眠る必要もないのだ。「眠る」というのがどんな感覚のものなのかも知らないが。 「そっかあ。おねえちゃんは、つよいんだね。ぼくなんか、5ふんもあめにうたれただけでこごえちゃうもん」 そういえば、男の子はどうして、こんな雨の夜に家の外にいるのだろう。屋根のおかげで雨には当たっていないようだけど、寒いことには変わりなさそうだ。 「ぼくね、ママにおいだされちゃったんだ。ともだちのいえであそんでて、5じになってもかえらなかったから」 なるほど、人間界にはそういうきまりがあるのね。わたしの世界には、何時に帰らなきゃいけないなんてきまりは、ない。だって、電線の上全部が自分の家だから。 「そう。じゃああなたも、いまはひとりぼっちなのね」 「えっ?ひとりぼっちじゃないよ。おねえちゃんがいるもん」 もしかして、この子はわたしのことを友達だと思っているのだろうか。たったの二度会っただけで……?しかも一度目は、こちらから何も話していないというのに。 しかし考えてみると、私の古くからの友達である鳥たちとも、会話をしたことは一度もない。そういう意味では、わたしはもう、この男の子と友達なのかもしれない。 「そうね。わたしも、ひとりぼっちじゃなかったわ。あなたがいるもの」 男の子は、嬉しそうに笑った。嬉しそうなだけではなく、えーっと……恥ずかし、がってる?なんだかよくわからないが、今まで見てきた人間の、どんな表情とも違う顔をした。 「おねえちゃん、ぼくもそっちにいきたいよ」 「危ないわ。それに、あなたの力では無理よ」 「だいじょうぶだって!ぼく、きのぼりとかとくいなんだから!」 雨はさらに強まって、風もびゅうびゅうと音を立て始めた。電線が揺れる。男の子の声も聞こえづらくなる。 「おねえちゃん!ほんとにそこにいてだいじょうぶーーーーー」 ピシャッ ゴロゴロゴロゴロ…… ズゥーン。 突然、足元に違和感を感じた。続いて、景色全体が闇に染まっていく。家々の明かりが消える。街灯の明かりが消える。消える。消える………。 「ママ!?ママ!たすけて、ママ!こわいよう!うええええええん!」 泣き出す男の子。母親が慌てて玄関から出てきて、ごめんね、ごめんね、と言って男の子を家の中に連れ戻していった。 心配していたことが、起きてしまった。これが起きることがあるというのは、知っていた。これが起きるのは、必ず雨の日であるということも。知っていたけれど。 「あーあ、やっちゃった」 わたしは力なく笑った。すでに足元の電線から、わたしの体に電流は流れていなかった。体内には蓄電された電気がまだ残っているためしばらくの間は動けるらしいが、それもいつまで保つか分からない。今すぐ遠くの町まで行けば助かるだろうか。いや、おそらく無理だろう。暗闇は果てしなく続いているように見える。わたしは諦めてその場に腰掛けた。そして、様々に思いをめぐらせる。あの時、男の子に目もくれずに歩いて行っていたら、もしかしたら助かったのだろうか。いや、それではあの子が悪いと言っているみたいだ。あの子は何も悪くない、こんなことが起きるなんて、誰も予想できないのだから。それよりあの子は、これから大丈夫なのだろうか。これから毎晩、こんな暗闇の中で生活するのかな。などと呑気に他人の心配をしているうちに、いつの間にか雨は上がっていた。最後の豪雨で、雲はありったけの水を使い果たしたようだ。わたしは空を見上げた。 電線ウォーカーの楽しみ、見つけた。 それは、電線のない空を見られること。そこには、まばゆいほどにたくさんの星が輝いていた。 「きれい……」 意識が薄れていく。まぶたがゆっくりと落ちてくる。 待って。もう少しだけ、見させて。 視界が狭まっていく。もしかして、これが眠るということなんだろうか。とても、心地がいい。人間は、こんな心地のいいことを、毎晩しているのね。うらやましいわ……………。 やがて、地上に光が戻ってきた。家々の明かり。街灯の明かり。そして、太陽が昇る。澄み渡った朝の空。その下に、電線ウォーカーはどこにもいなかった。電線の上にも、地上にも。 「いってきます!」 大きな声とともに家を飛び出した男の子は、ちらりと電線に目を向けた。そしてまた前を向いて、友達の家へ元気に走っていく。
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