とんかつ

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とんかつ

俺は二六歳で無職になった。職探しと二郎を食すだけの日々が二週間を過ぎた頃、妙に気持ちが落ちかなくなってきた。 「せめてあと二週間で見つけたいものだ」 社会人になり好きだった自炊を辞めた俺の食生活は外食の割合がかなり高かった。料理をすること自体は今でも好きだが、自分で作った物を自分一人で頂くというのはどうも性に合わないらしい。俺は誰かのリアクションが欲しかったのだ。 この日もとうとう仕事は決まらず俺はいつかの神豚二郎をすすりにあのお店へと向かった。 駅に向かう道中、雰囲気良さげなとんかつ屋が目に止まった。 決して綺麗とは言えない塗装と油汚れで少し黒くなった看板。そんなお店から溢れ漂ういい匂いが返って俺の興味を誘った。店内にはテーブル席が設けられており、テイクアウトしているお客さんもいた。なかなか繁盛しているようだった。 どうやらこの店は揚げたての自家製とんかつを店内や店先で頂くことができるらしい。 「今日は趣向を変えてとんかつにしてみるか」 俺は完全にとんかつの気分になっていた。 「いらっしゃいませ。店内で召し上がりますか?」 これは驚いたことに店員は若い女性だった。偏見かもしれないがこういった雰囲気のお店は、気のいいおっさんがとんかつを売っている姿が絵になるし、実際にそういうものだとばかり思っていた。女性は黒髪のショートロングで優しい面持ちだ。年は20代前半だろうか? 一つ確かなのは彼女が実年齢より遥かに若く見えるタイプのだということだ。 「テイクアウトで」 俺はメニューにおススメと書いてあったロースとんかつとヒレカツを一枚ずつ購入し特製のソースを頂いて家路に着いた。少し早歩きになったのは気のせいではないと思う。 「またのご来店お待ちしています」 家に帰り早速夕飯の準備を始めた。冷蔵庫にキャベツが半分余っていたので千切りにして、その上に五等分に切ったロースとヒレカツを乗せた。 「完璧だな」 特製のとんかつソースをかけて完成。 思わず写真を撮りたくなるほどの魅力がこのとんかつにはあった。 「頂きます!」 まずはロースカツから頂く。サクサクの衣にジューシーで肉厚な豚。一口食べただけでこのカツのクオリティの高さが伺える。俺はロースカツをおかずに炊きたてのお米とキャベツを口いっぱいに頬張った。今日、新しい神豚が発見された。それは俺の中ではかなり大きいニュースだ。 「うまい、なんだ?これは?」 とんかつがうまくて震えを感じたのは生まれて初めてだった。続けてヒレカツもいってみよう。 「はい、優勝!」 クラッカーを鳴らしたい衝動を抑え込み、俺はヒレカツをただ、口に入れそれを咀嚼するという行為のみに没頭した。その洗礼された動きは音を置き去りにした。ロースよりもさらに脂の甘みが強く肉の重厚感も感じられた。値段帯はロースが180円なのに対してヒレは280円だった。やはり100円の差は大きかったようだ。 「ごちそうさまでした!」 とんかつ二枚とどんぶりに入れたお米を俺は速攻平らげた。 明日からはまた職探しなのは憂鬱だが、しかしこの時の俺にはある考えが浮かび上がっていた。 次の日、俺はあのとんかつ屋へと再び足を運んだ。昨日食べたあのヒレカツの味が忘れられないくて今日も来てしまった…というのは嘘で今日俺が来たのは全く別の理由だ。 「あの、すいません」 美人店員に声をかける。 「いらっしゃいませ。毎度ありがとうございます!ご注文はお決まりですか?」 俺は昨日買って食べたヒレカツやロースカツが大変美味かった事を店員さんに伝え、そして本題に入る。 「ここって募集してたりします?あのここで働きたいのですが」 店員は少し驚いていた。それは仕方のない事だ。昨日とんかつを買いに来た三十路の男が今日はここで働きたいと言ってきたのだ。 「あの、私の一存では決められません。ここ、父のお店なんです」 「なるほど」 そのあと俺はヒレカツを買ってその店を後にした。 店員さんに店の電話番号をもらい、都合の合う日に面接をするよう言われた。 「都合ならいつだって合うさ」 俺はあのお店で働きたかった。前の職場はホテルの料理人で、それは先日クビになったばかりだ。とんかつを楽しそうに販売するあの店員さんを見て俺はあそこで働きたいと心から思った。それはホテルで働いていた頃の俺にはない笑顔だったから。いつからか大好きな自炊をしなくなった。それは俺の中の料理に対する思いが趣味ではなく仕事に変わったからかもしれない。俺は一から仕事に、料理に向き合いたかった。周りは関係ない。俺はあのとんかつ屋で働きたかった。 店を出た俺は、アパートに向かった。すると突然背後から声を掛けられた。 「久しぶり。昌人」 振り返ると不敵な笑みを浮かべる妹、麗華がいた。 「なんだ、お前か」 「誰だったら良かったの?」 「別に、誰でもよかないよ」 正直とんかつ屋の店員を期待していたが、あの人が俺を追いかけてくる筈もなかった。久しぶりに見た妹はやけに大人びて見えた。 いや、正確にはもう大人だった。 「お母さんから聞いたけど、クビになったんだって?」 「それを言いにきたのか?」 「いや、落ち込んでる顔を見に来た」 相変わらずいい正確してやがる。俺は妹を無視してアパートに向かった。後ろを振り返っては居ないが妹が付いてきているのは分かった」 「なんだよ?もう目的は果たした筈だろう?」 「夕飯食べていく」 昔は夕飯なんて用意しても手をつけなかったくせにどういう風の吹き回しだ。それに食材は買い置きしてないから何も作れないぞ。 「悪いが家には何もない」 そう告げると妹は俺のが手に持つアレを指差してきた。 「それ、とんかつでしょ?いいよそれで」 「中身は成長してないんだな、お前。分かったよ。このとんかつはお前にも分けてやる。そのかわりスーパーについてこい。荷物持ちくらいしろよ?」 こうして俺は妹と夕飯の買い出しに行った。 せっかくとんかつがあるので夕飯は揚げ物にしようと思い俺はクリームコロッケを作ることにした。 アパートに帰宅し早速調理を始めたが、久しぶりの自炊、しかもクリームコロッケなど何年も作っていなかったのでだいぶ手間取った。これも全部奴のせいだ。当の本人である妹はリビングでテレビをみていた。俺はクリームコロッケを二人分作り、キャベツと、買ってきたとんかつを盛り付け妹を呼ぶ。 「おい、テーブルに並べて欲しい。食器も出しといてくれ」 その間に俺は洗い物を済ませておく。食後に油を片付けるのは面倒だからな。 「頂きます!」 思い返すと妹と二人で食卓を囲むの初めてだ。 クリームコロッケを自分で食べるのは今回が初めてだなと思った。そういえば前にクリームコロッケを作ったのはなんでだっけ?何か理由があった気もするが思い出せない。
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