青の狂乱

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青の狂乱

 まるで夜を閉じ込めたような、深い深い青。  そのネックレスを見て、思わず私はため息をついた。今まで色々な宝石を見てきたし、女性として憧れたこともあったけれど。こんなに美しい青い光は、今まで一度も見たことがない。 「本当は、会社の終わりに渡したかったんですけど……今日はこれから出ないといけないので」  桜坂(さくらざか)は少しはにかんで、私にそのネックレスを手渡してきたのだった。彼は私より二つ年下だが、会社に入った順番からいえば十分先輩にあたる。若いのに優秀で、そのうち平社員から役職に上がるのではないかと噂されるほどの人物だった。とにかく優秀だし、愛嬌がある。人事部など、嫌な仕事も多いし愚痴聞きもしなければならないだろうに、いつも誰に対してもニコニコと応対してくれるのだ。  加えて、とにかくイケメンなのである。女性に見まごうような繊細な顔立ちなのに、眉毛はきりっとしていて非常に精悍。細身で長身の、いわゆるモデル体型というやつだ。老若男女分け隔てなく接するので、誰からも愛されるし頼りにされる。私でなくても、ぽっと頬を赤く染めてしまうのはどうしようもない相手であったことだろう。 「こ、こ、これ……高いんじゃない、ですか?サファイアとか、それ系の石に見えるし」 「まあ、そうですね。しかもオーダーメイド品ですし」 「ふあっ!?」  思わず、変な声が出てしまった。サファイアというだけでとんでもなく高価であろうに、それに加えてオーダーメイドとは。どれだけのお金を使ったのだろう。私はまじまじと、透明な箱に入ったネックレスを見つめる。石はとても綺麗なのに大きすぎないし、そっと身につけても派手すぎない印象。早い話、ゆるいうちの会社ならつけてくることも可能なくらいだろう。  それでいて、菱形の石はキラキラと輝き、目にした者を魅了してやまないのである。夜の中に、多くの星屑を閉じ込めているようだった。どうしてこんな高価なものを、彼は自分に渡してくれるのだろう。確かに自分は彼に対して片思いをしていたけれど、想いを告げたことは一度もないし――そもそも、同じ会社の後輩というだけだ。まだ新人私の指導役をしてくれた彼なので話す機会が多い自覚はあるものの、“私だけが”特別多いというわけでもない。なんせ、彼は誰に対しても親身に相談に乗ってくれる人物なのだから。 「こ、こんな高価なもの……わ、私が貰っちゃっていいんですか……?」  恐る恐る尋ねる。正直、一目見た瞬間“手放したくない”と思うほどの輝きだった。ましてやそれが、片思いの素敵な先輩からの贈り物ともなれば尚更である。それでも、私は彼の彼女でもなんでもないし、少し“貰い物をする”にしてはあまりにも高価すぎるのは明白だ。  反射的に遠慮を口にすると、彼は見惚れるような優しい笑みを浮かべて告げたのである。 「気にしないでください。というか、貰ってくれた方が有難いんです。それ……ずっと昔にプレゼントしようと思ってオーダーしたのに、結局渡せないままになっちゃったものだったから。なんだか売るのもバチが当たりそうでしたしね」 「え」 「恥ずかしい話なんですけど……失恋の記憶ってやつ、なんです。彼女の誕生石だから、お金ためて渡そうと思ってオーダーしたのに、渡す直前にフラれてしまって。ずっと勿体無くて捨てられないのに、それを見るたびに辛いことを思い出してしまう体たらくで。女々しいんですけど……それを喜んでくれる別の女性にあげるのが一番、すっきりするんじゃないかと思ったんです。確か久米(くめ)さん、キラキラしたものが好きだとおっしゃってた気がするから。色も青が一番好きって面接で言ってたの、覚えてますし」 「そ、そんな……」  失恋。その言葉に胸がほんの少しだけ痛んだけれど。それ以上に、彼が自分の好きなものを覚えていてくれたことに感動してしまった。毎日たくさんの人と話しているというのに、そこまで己のことを意識に止めてくれていただなんて。  こんな高価なものを、という遠慮が薄れていく。確かに、ただ売ってしまうより、これを本気で喜ぶ女性に渡した方が宝石も報われるのかもしれない。同時に、彼の気持ちも晴れるのかもしれなかった。例えそれが、恋人でもなんでもない女性への贈り物であったとしても、だ。 「……ありがとうございます、大事にさせていただきます」  私はそっと、震える手でネックレスケースを胸に抱きしめたのだった。今日帰ったら、明日は休日だ。これを着けて何処かに出かけるのも悪くないかもしれない、なんてことを考えながら。
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