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***
しかし。
事態は、予想もしない方向に転ぶことになるのである。
――えっ!?
その日の仕事中。私がほんの数分トイレに経った間に、貰ったネックレスが何処かに消えてしまっていたのだ。確かに机の下に置いたバッグの中に、大事に入れておいたはずだったというのに。ケースごと、どこかに消えてしまったのである。
――う、嘘嘘嘘嘘!どうして!?さっきまで、バッグの上から確かに見えてたのに……!
もはや仕事どころではない。私は事務机の上の資料やパソコンをひっくり返してネックレスを探した。さらに机の下、棚の下、ゴミ箱の中まで。ほんの一瞬の間に、どこかに落としてしまったのだろうか。あるいは、入れたつもりが別の場所に置いてしまった?
「お探しのものはこれかしら?」
「!」
唐突に後ろから声をかけられた。私は四つん這いになった状態のまま、強引に首を傾けて後ろを見る。そしてぎょっとするのだ。
「綺麗な宝石よね。あんたなんかに持たせるのは勿体無いわ」
同じ人事課の先輩社員、山田真澄。彼女は派手に化粧を塗りたくった顔で(多分三十代だと思うのだが、化粧が濃すぎていまいち年齢がよくわからないのだ)ニヤリと微笑んだ。その手に、あのネックレスのケースを堂々と掲げて。
「見てたわよ。あんた、よりにもよって桜坂さんからこれ貰ってたじゃない。あの桜坂さんが、なんであんたみたいなしょぼい女にプレゼントなんかするの?しかもこんな、いかにも高価なネックレスをさあ!」
「なっ……」
けして、仲の悪い先輩ではなかった。ちょっと言葉はきついが、みんなの良いお姉さん役みたいな先輩であったはずである。それが、一体何故ここまで悪意に満ちた言葉を向けられなければならないのか。もしや、彼女も桜坂を狙う一人であったのか?
「か、返しっ……きゃあ!」
立ち上がろうとしたところで、思い切りお尻を蹴られた。つま先が後ろから思い切り股間に当たり、私は悲鳴を上げて悶絶することになる。意外と知られていないのかもしれないが、股間を蹴られていたいのは女も同様なのだ。しかも、女性のハイヒールというやつはつま先が尖っていることも少なくない。
痛みに呻く私の尻を、彼女はさらにハイヒールの踵を押し付けるようにして踏みつける。踵はもっと鋭く、凶器のごとしだ。悲鳴を上げてのたうつ私の背中に、彼女の嘲るような声が降る。
「返して?返してとでも言おうとしたわけえ?あんたなんかに相応しいはずがないじゃない。あの場にたまたまいたのがあんただったから、これを貰えたってだけでしょ?あたしがいたら、貰えてるのはあたしだったはず。返して?自分の所有物みたいに語るんじゃないわよ地味女!……ぎっ!」
ドゴッ!と突然大きな音がし、私の腰の圧力が突然なくなった。私はその隙に、尻をさすりながら必死で体を反転せる。どうにか体の向きを変えて見てみれば、山田が手首を抑えてうずくまっているのが見えた。
その傍にいるのは小柄な若手の女子社員、大塚麻莉彩。彼女はうっとりした表情で、ケースを電灯に掲げて見つめている。傍で呻く先輩社員のことなど見向きもせずに。
「きれーい……本当に綺麗な青い宝石。サファイアですかね?欲しいなあ」
「痛い……痛い痛い痛いっ!何すんのよ大塚!あたしの手、手がっ」
「ごちゃごちゃ煩いですよー先輩。ちょっと手首折れただけで何言ってるんですかあ」
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