青の狂乱

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 手首が折れた?私はあっけにとられて、山田の方を見つめる。山田の右手首は、あきらかにおかしな方向に曲がっていた。そして、みるみる紫色に染まって腫れ上がていく。さすがに唖然とするしかない。強引にケースを奪ったのだとしても――あの華奢な大塚に、一体どうしたら人の手首が折れるのだろう。  痛みに呻きながらも、ケースを取り戻そうとする山田。その彼女の顔を平然と蹴飛ばす大塚。ぶちっ、と何かが潰れるような嫌な音がした。額を割られた山田が倒れていく。いくらなんでもやりすぎだ。私が段々冷めてきた頭でそう思う中、大塚は憑かれたような目でケースを開こうとしている。そして。 「あ、危なっ……!」  突然、大塚が前のめりに転んだ。がつん!とその額が机にぶつかる嫌な音が響く。ゆらり、と陽炎のように大塚の後ろに立ち上がったのは、人事部のお局とも言うべきベテラン社員、係長の大久保勝子(おおくぼかつこ)だった。 「それは、私のよ。その宝石の声が聞こえない?私に貰って欲しいって言ってるわ。桜坂さんだってきっと、本当は私に渡したかったはずよ」  六十近い女史は、真っ赤な口紅で凄絶に微笑むと。頭をぶつけて悶絶している大塚麻莉彩の髪の毛をがしっと掴むのである。そして、そのまま。  ガツン! 「ぎゃあ!」  彼女の顔を、事務机の角にぶつけはじめたのだ。それも、一度ならず二度三度と繰り返すのである。私が唖然と見つめる中、ぶつける音がどんどんと湿ったものを帯びるようになっていく。  可愛らしく整っていたはずの大塚の顔が。叩きつけられるたびに額が割れ、鼻が歪み、目が潰れ、頬骨が砕け、それはそれは凄惨な有様と化していく。 「これは私の。私のなの。私の、私の、私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私のっ……!」  熱に浮かされたようにぶつぶつと呟きながら、繰り返し繰り返し大塚の顔を叩きつけ、潰していく大久保。その顔が血だらけになり、もはやどこが目であり鼻であったのかもわからない有様と化してもやめる気配がない。  さすがの私も、事態がおかしいことに気づき始めていた。これは、ただのネックレスの取り合いではないのではないか。そもそも忘れていたが今は勤務時間中。どうしてオフィスで、仕事もしないで社員が暴れているのに――誰も自分達を止めに来ないのだろう。男性社員はもともと管理職以外ほとんどいない会社であったし、その多くの管理職は外に出てしまっていていなくてもおかしくはないが、他の女性社員達は――。 ――あのネックレスは惜しい。惜しいけど、でも……!このままじゃ、私も殺されるんじゃ……!  足が震えて、うまく立てない。私が尻餅をついたまま、じりじりと惨劇の現場から離れようとした時だ。  どすん、と背中が何かにぶつかった。そして。 「あれ、最初に貰ったの、久米さんでしたよねえ……?」  頭上から、声。私は恐る恐る頭を上を見上げた。そして。 「許せないなあ」  最後に見たのは。  私の顔面に向けて、ハサミを振り下ろそうとする――同僚の姿だった。
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