愛が世界を救うなら

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 今回もそう。目の前の体育教師がアルファであるというのはすぐに分かった。オメガは平常時であってもある程度はフェルモンを出しているらしく、匂いに敏感なアルファはそれがわかってしまうらしい。そして困ったことに――現在この国は、男女の性別よりもこちらの性別を優先的に考える傾向にある。絶対優位者とされるアルファはオメガ相手なら何をしてもいいのだ、と考える愚かな人間が少なくないのだ。なんせ、アルファとオメガの間に産まれた子供はアルファの確率が高くなり、つまり非常に優秀な人材が生まれる可能性が高いからである。  アルファには女性もいる。そして、アルファの女性とオメガの男性でカップルになったら、基本的にはオメガの男性の方が子供を産むことになる。オメガの男性が実質両性具有であるように、アルファの女性も両性具有と呼ばれるものに該当するからだ。  昴はしょっちゅう、こうしてアルファの男女に絡まれて、セクハラをされたり酷いと物陰に連れ込まれそうになったりしているのである。それをガードしにいくのは、次第に彼の幼馴染である柚葉の役目となっていた。女子ではあるが柚葉は総合格闘技を嗜んで鍛えているし、とにかく普通の女の子より遥かに力が強いからである。 「無礼だと思うなら、私を倒してからにしてくださいよ、クソ教師」 「な、なな……ち、畜生!」  体育教師のくせに、ぶくぶくと太った体躯の田渕は。捨て台詞を吐いて、逃げていった。 「は!たかがオメガがいい身分だな!女に守られて情けないと思わねーのか!」  校則も忘れて廊下を走り去っていく教師を見て、柚葉はため息をついた。あれが高校教師であるのだから、本当に世も末である。人の命は平等、人権は誰にでも保証されているもの――授業ではそう歌いながら、何故このようなゲスな真似を当然のようにできてしまうのか。  アルファだのオメガだの関係ない。人の心は、誰も踏み荒らしていいものではないというのに。 「昴。気にしなくていいよ」 「……はい」  昴は浮かない顔で、俯いている。さきほどの田渕の言葉に傷ついたのは明白だった。  彼が自分で喧嘩を出来ない最大の理由。小柄で華奢というのもあるが、とにかく体が弱いのである。どうにか普通に歩いて登校することはできるが、体育の授業は殆ど見学だ。診断書も出しているので、学校側にも特例でレポートと筆記試験での単位取得を許可して貰っている。持病のせいだからどうしようもないことだ。それなのに、古い価値観の連中は昴に心無いことを言うのである。男なのに喧嘩の一つもできないのはなさけないとか、ひよひよで女みたいでみっともない、とか。  喧嘩なんかしなくていい、と柚葉は思う。本当に強い人間は拳で人を殴らなくても――十分に誰かに勝る武器を持っているものだ。自分は知っている。彼は拳はなくても多くの才能があり、努力ができる人間であるということを。 「気にしなくていいってば。すぐに人を殴るしかできない人間の方がずっと弱い。本当に強い人間は、手なんか出さなくても屈しないし負けたりしないの。あんたはそれを誇ればいいのよ、わかった?」  思わず姉のような口調で言ってしまう。昴はありがとうございます、と少しさみしそうに笑った。そして。 「それでも、僕がもう少し強い人間だったならと思ってしまうこともあるんです。そうしたら、逆に僕が、柚葉を守ってあげられたのに」 「そう思う時点であんたは強いし、優しいって。私はそれで十分だよ」 「ありがとうございます」  そうだ、それでいいのだ。  彼は人の体や心を殴りつけ、それでしか優位性を示せない――野蛮な連中とは違うのだから。
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