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カーフ国
「…というわけで、やはり噂は事実のようです」
その後フレディから詳しく聞いた話を合わせて深刻な顔で話すジェイに、執務室の一番奥の席に座った青年が良く通る声で返した。
「ああ。俺も本人から報告は受けている。ゲヘナ帝国には男を遥かに凌駕する実力の女性剣士もいるそうだ。女性が将軍なのは当たり前だとしても、魔法ではなく剣で男性を軽く斬り捨てるとなれば…」
自分たちも、うかうかしてはいられない。
若い風貌に似合わず威厳のあるその青年は、騎士団長ルーカス。
若干三十歳過ぎにして国内の剣技大会連続優勝記録保持者であり、その真面目で気さくな人柄から多くの若い男性たちの人気を集めている。
そして彼の下に数人いる師団長の中でも相談役として最も信頼されているのがジェイだった。
「…念のため、フレディと同行した別の騎士にはまだゲヘナに残って情報収集を続けてもらっています」
その時、執務室のドアが遠慮がちにノックされた。
「あのぉ…」
「おや、ニックさん。カーフ国に潜入しに行ったんじゃなかったんですか?」
あまりにも早すぎる帰還に少し驚いた風にジェイが訊く。
しかし、当のニックはもじもじとドアのところで顔だけ半分出したまま入ってこようとしない。
「そ、それが…ですね……」
「?」
小首をかしげる二人の前に、観念したような顔でニックが入ってくる。
ジェイが軽く叫んだ。
「ニックさん…ッ、どうしたんですか、その尻尾ッ!!」
どこからどう見ても人間の男性のニックの尻に、可愛らしいふさふさの尻尾が生えていた。
「その……報告、いいですか?」
流石のルーカスも何と声をかけてやればよいかわからず、彼にしては珍しい生返事を返した。
「あ、ああ…」
「…カーフ国に…いったんですけど……」
入国審査官に、ニックは熱弁した。
『俺、昔っから犬になるのがほんっっっっとーに夢だったんですッ!! 祖国は捨てましたッ!! これからはこの国で犬人として生きていきたいんですッ!!!』
カーフ国は世界でも珍しい人間と犬の混ざったような犬人の国として知られている。面白いのは、彼らは元々人間だったらしいということだ。
国内のなんらかの特殊な技術でそうなったらしいが、詳しいことは謎に包まれている。大きな壁で国境をぐるっと囲まれたカーフ国は外部からの侵入が困難な国として有名であり、移民希望者を装ってスパイ活動をするにも一筋縄ではいかなかった。
『君…ホントにいいのかい? 犬人になったら二度と元には戻れないよ? この国で生きていくんだね?』
『はいッ! 誓いますッ!!』
「……それから俺は自分で自分に暗示をかけ嘘発見器をすり抜けました。全部で五千問あった質問集にもすべて答え、体質チェックの結果もクリアしてこんなに立派な尻尾もはえました」
体質チェックは機密漏洩を防ぐため、念のため目隠しと耳栓をされて身体に何かされた。結局、何だったのかはわからない。とにかく尻尾が生えたから君は合格だと言われた。
「そ、そうか…。それは、大変だったな」
たどたどしく返すルーカス。ジェイが言葉を選びながらニックに訊いた。
「でも…そこまでしたのなら入国できたのでは?」
「それが…ですね」
すべての入国審査にクリアした彼に、入国審査官が告げた。
『おめでとうッ! これで君は今日から我が国の国民だッ! さっそく入国して正式な犬人になるといい。そうだ、入国記念にカーフ国で大人気のこの『バウ・ちゅーる』をプレゼントしようッ!!』
『え……いりません…』
「て、言ったら追い返されたんですよぉぉぉぉぉッ!! 酷くないですかッ?!」
泣きながら語るニックにジェイが片手で顔の半分を覆う。
とにかく必死にニックを宥めながらルーカスが彼を帰らせた。
気の毒な彼にはしばらく休暇が与えられるらしい。
しばらくしてから、やっとの思いでジェイが口を開いた。
「……なかなか、潜入活動もうまくいきませんね」
「仕方がない。みんな命がけの仕事をよくこなしてくれているし、お前のスパイ活動指南も素晴らしい。…地道に活動していけばそのうち実を結ぶさ」
「団長…」
思わずルーカスの顔を見たジェイに、滅多に笑わない男がかすかに微笑んだ。
「うちには根性と勢いのある者は多いが、冷静に物事を考えられる者が少ない。…この国では高等教育を受けられる男性が少ないからある程度は仕方のない事だが…。お前がいてくれて助かる」
彼の声は、低くて温かい。
ジェイは思わず顔をそらして口元を抑えてから、なんとかいつもの笑顔に戻って答えた。
「…いえ、仕事ですから」
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